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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナがロシアの防衛線を突破した?;その規模はどれほどか、そして戦略的意味は何か

ウクライナ軍がロシアの防衛線を突破したというニュースが世界を駆け回っている。沈滞ムードが漂っていると報道されていたウクライナ軍が、反転攻勢で新しい段階に入り米国は「顕著な前進」とすら評価しているという。これまで何度も報道された「突破」だが、今回はどのような突破で、どのくらいの意味があるのか。

 

このニュースを早い段階で伝えたのは、米経済紙ウォールストリート・ジャーナル8月31日付の「ウクライナの反転攻勢が南東部のロシア防衛線に針の穴を開けた」という記事だった。「ウクライナ空挺部隊がベルボベの境界にあるロシア軍の陣地を攻撃したと、現地のウクライナ将校が語っている。また、ウクライナ軍はロボティネの南に到達したらしい」。

このニュースは日本でも朝日新聞電子版9月1日付で伝えたが、このときにはウクライナ防相による正式の発表も付け加えていた。「ウクライナ防相は8月30日、同国軍が反転攻勢の焦点である、中南部サポリージャ州で前進を続けていると発表した」「ウクライナがロボティネ奪還を正式に発表したのは8月28日。30日には米軍のシンクタンク戦争研究所が、同村から約8キロ南東のベルボベ村の北西端に、ウクライナ軍の歩兵隊が到達したことが現地からの映像の分析で確認されたとした」。

ジ・エコノミストより:ロボティネ村の位置


ということは、すでに正式発表がされていたのだ。つまり、ウクライナの発表はあったけれど、いつもの、小さな村を確保したという話ではないかとの疑いもあったので、派手に報道するのは控えていた。しかしアメリカの研究所が「これは新しい段階になるかもしれない」と言い出したので、朝日が報じ、そして毎日も産経も続いたということのようだ。では、その根拠はといえば、アメリカの研究所であり、産経の場合には米国家安全保障会議のジョン・カービー戦略広報調整官が「顕著な前進」といったので、これは今までの「確保」とか「前進」とは違うと判断したのだろう。

もう少し根拠が欲しいところだが、たとえば英経済誌ジ・エコノミスト9月1日号が「ウクライナの反転攻勢はスピードアップしている」を掲載し、同誌独自の宇宙からの観測データでこの2カ月のスピードアップぶりをグラフで示してくれている。「8月28日、ウクライナ軍はいくつかの戦線での苦しい戦いの末に、住民約500人のロボティネ村の解放に成功した。この村は反転攻勢において重要なロシア防衛線に近い場所にある」。

ジ・エコノミストより:この数カ月の「砲火」は急増している


「ロボティネ確保それ自体が偉大な勝利だとはいわない。しかし、この確保はウクライナ軍がいわゆるスロヴィキン・ラインに到達したことを意味し、ロシア軍にとって主要な防衛ラインであることは間違いない。ロシア軍はこの第一防衛線に多大の戦力を投入し続けてきた。これはウクライナ軍の突破口になりうる。というのも、この地点のロシア軍の防衛は厚くなく、また予備軍の配備も薄いと見られるからだ」

こうして見てくると、今回の前進は特に目立ったものではないように見えるが、戦略上の意味は大きく、ロシアの第一防衛線を突破できたからには、第二、第三へと反転攻勢が進む可能性が出てきたことは分かる。ジ・エコノミスト8月20日号では「ウクライナの難航する反転攻勢は国民のムードを沈滞させている」を掲載していたが、ここにきてウクライナ軍に明るい見通しが生まれたことを報じている。では、これからウクライナには何が必要なのか。

ジ・エコノミストより:ロシアが支配している地域はじわじわ縮小している


ジ・エコノミストは、いまの急激に「砲火」が増える事態は、ヘルソン奪回の直前と似ているとも指摘している。「これからもウクライナ軍にとって必要なのは、武器であり、兵士であり、そして弾薬である。ウクライナ軍がこれからさらに前進していけるかどうかは、同軍がこれら3つの十分な蓄積ができるか否かにかかっている。それが可能だとするならば、緩慢で厳しい戦いは、急激な攻勢へと転じることになるかもしれない」

ジ・エコノミストより:空挺部隊をねぎらうゼレンスキー


どうも、最後の締め括りだけは、これまでのウクライナ戦線報道と同じなのでちょっと興ざめだが、ウクライナの反転攻勢がいまもちゃくちゃくと続いているので、アメリカをはじめとする西側諸国はロシアのプロパガンダに惑わされることなく、もっと十分な支援をすべきたというメッセージだろう。

もちろん、ゼレンスキー大統領は西側に対してさらなる支援を要求しているし、9月31日、スペインのトレドを訪問したウクライナのクレバ外相は「ロシア侵攻に対するウクライナの反転攻勢を非難するのは、戦場で命をかけて戦っているウクライナ兵士の顔に唾を吐く行為だ」と演説した。さらに強い口調で「反攻の遅れを指摘する者は黙れ!」とすら述べた。

ウクライナのクレバ外相は、反転攻勢を批判する者は黙れと叱責した


クレバ外相の英語の演説はネットで見たが、気持ちは分かるものの、もう少し余裕を見せながらの支援要請を語るほうが、効果が高かったのではないかという気もした。今回の2つの村の確保は、たしかに戦略的に大きいのかもしれない。しかし、ウクライナ戦争はまだまだ継続することは明らかだ。大きな転機が来るのは、アメリカ大統領選の結果が明らかになってからではないのだろうか。

最初に今回の2つの村の確保を報道したウォールストリート紙は、かなり細かい点についても報じているが、次のような記述があったのを忘れるわけにはいかない。「西側情報機関の高官によれば、この数日のウクライナ反攻に進展が見られることについて、西側情報機関関係者の間では、ロシアが兵站拠点としてきたトクマクをウクライナ軍が奪還するのではないかとの楽観論も出ている。しかし、ロシアの防衛線を突破するにはまだ大きな障碍が存在する。ロシア軍はドローンの投入や空挺部隊の増員で前線を強化していて、戦線そのものが崩壊する予兆は見られない」とのことである。