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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナはなぜロシアを一気に放逐しないのか;プリゴジンの乱で明らかになった肝心な事

プリゴジンの反乱によってロシアの脆弱な状況が露呈したと、メディアは毎日のように報じている。しかし、それならば、なぜウクライナは一気に攻勢をかけてロシア軍を放逐してしまわないのだろうか。この謎に迫るには、まず、プリゴジンの反乱とはどれほどのものだったのか、改めて検証する必要がある。そして、また、ウクライナがなぜ一気に攻勢をかけることをためらっているのか、いくつかの観点から分析しなければならない。


プリゴジンの反乱がどのようなものだったかは、このブログで述べているが、敢えて一言でいえば、それはロシア国民に一時的で受動的な同情が生じても、反乱に参加する能動的なショックを与えるものではなかったということだ。また、ウクライナが何故、一気に反転攻勢するのをためらっているのかは、ここでは英経済誌ジ・エコノミスト6月28日号の「なぜウクライナはロシアのカオス状態に便乗できないのか?」を参考にしつつ、いくつかの「問題点」から見ていくことにしよう。

まず、同誌がいまのウクライナ情勢をどのように見ているか、簡単に触れておく。同誌によれば、ウクライナはロシアの「6月24日の内戦」を知って、ほくそ笑んでいることは確かだという。それどころか、プリゴジンがロシア正規軍と連携して、プーチン体制を一気に崩壊させてくれることすら望んでいるという。


しかし、この反乱は残念ながら短期間で終わってしまった。ウクライナ軍はいまも戦闘を続けているが進軍は停滞している。6月4日にすでに反転攻勢は始まっていたのに、奪還したのは9つの集落だけで(これは前哨基地にすぎないとの説がある)、肝心のロシアの防衛線を突破できず、西側諸国の担当者をいらだたせているという。ここには少なくとも「3つの問題」が横たわっていると同誌は指摘する。

まず、第一に、今回のロシアにおける反乱は、ウクライナ戦争に対して長期間継続する影響を持っているかどうかである。第二は、ロシアでの反乱が生み出した両軍のモラール(士気)へのインパクトである。そして、第三が、ロシアの軍上層部への衝撃が深刻だったのかどうかだ。

第一の、反乱のインパクトに継続性があるのか否かについては、特に傭兵隊ワグネルが今後どうなるかが注目すべき点だという。周知のように、ワグネルのなかでも、反乱に加わっていない者はロシア国軍に繰り入れることになった。反乱に加わった2500人から5000人は、プリゴジンと一緒にベラルーシに入ったといわれる。衛星情報によれば、ベラルーシミンスク120キロ南西に、テント集落がつくられ、ここがいまの野営地らしい。


ウクライナ政府が心配しているのは、ベラルーシにいるワグネルが「牽制勢力」として、北方からウクライナ国内への侵入可能な位置に、配備されているのではないかということだ。そうだとすれば、ワグネルの一部とプーチンとはいまも連携していて、ウクライナとの戦争を続けていることになる。反乱によってワグネルが消滅することはなかったし、プーチン指導力もそれほど低下したわけでないかもしれない。現実にワグネルが北から侵入する可能性があれば、ウクライナにとって不確実性は高まる。

第二の、モラールにかかわる問題については、ウクライナ軍第56機動部隊の報道担当官が述べているように、ウクライナ兵士のなかには6月23日以来、ロシア軍兵士と自分たちとの間に所謂「融合」が見られることは注目すべきだろう。ワグネルは悪辣なプーチンと戦ったのであり、その点、自分たちウクライナ兵と同じではないかというわけだ。この種の敵兵へのシンパシーが広がれば、戦場での戦闘力にマイナスの影響が生まれるかもしれない。


こうした「融合」心理については、プーチンも憂慮すべきものと考えているようで、反乱があった次の日、1917年におきたフランス軍の反乱について語ったという。この反乱は第一次世界大戦の末期、ドイツ軍と戦っていたフランス兵たちが、あまりの待遇の悪さに反乱を起こしたもので、結果として利敵行為となってしまった。別の司令官(ペタン将軍)がやってきて待遇を改善し収拾するまで混乱は続いたと言われる。

ロシア史における有名な反乱といえば、1917年のボルシェビキ革命の先駆とされた、1905年における戦艦ポチョムキンの水兵たちの反乱を思い出すほうが自然だろう。ところが、プーチンは自国の歴史的反乱よりも、ロシアとは敵対関係にあったフランスの兵士による反乱を取り上げて、自国兵士たちの士気の低下を心配しているのである。いかにもプーチンらしい屈折した心理だといえるかもしれない。

第三の問題は、ロシア正規軍の上層部が、今度の反乱に刺戟されて、さらに強い統制を行なうのではないかという予想である。ロシア正規軍の内部が、分裂と陰謀に満ちていることは、今度の反乱で明らかになったと、同誌はニューヨークタイムズなどの記事を根拠に指摘している。これが正しい指摘であるとすれば、ロシア正規軍の幹部が多く処分されるなどして、戦争どころではなくなる可能性はあるだろう。

米紙ニューヨークタイムズによると、元ロシア正規軍の総司令官(現・副司令官に降格)セルゲイ・スロビキンは、プリゴジンのショイグ国防相やヴァレリィ・ゲラシモフ総司令官の誘拐計画を知っていたという疑いで拘束された。すでに内部はそこまで分裂していたというわけだが、スロビキンはプリゴジンの誘いを断ったという報道もあって、まだ真相は明らかではない。


こうした「3つの問題」から、ウクライナ軍がなぜ一気に反転攻勢を激しくしないかを、ジ・エコノミストは検討しているわけだが、最後に付けたしのように2つの論点をもち出している。ひとつが、はたしてウクライナ軍は反転攻勢をするための兵士の訓練を十分にしてきたのかという点。もうひとつが、反転攻勢をするための西側からの武器弾薬の供与は十分なレベルにまで達しているのかということである。

これらの問題は、すでにプリゴジンの反乱が起こる前から指摘されてきた。まず、兵士の訓練については、英国軍パトリック・サンダーズ将軍のコメントを紹介している。「ウクライナの最初の反転攻勢は、ロシアの地雷原などを含む防御壁によって、同軍兵士の訓練の限界があきらかとなった」。事情に詳しい筋によれば、ウクライナ軍は大きな犠牲を出したといわれる。

また、反転攻勢を開始したとき、西側諸国からの武器弾薬の供与はロシアの防御壁を突破するのに十分だったのかといえば、そうではなかった。ウクライナ軍の情報部門の人間によれば「ウクライナは自由に使える道具を与えられているということで、可能な限り早く動こうとしている。しかし、できる限り穏当に表現しても、いくつかの友好国は前進して激しく戦えとウクライナ軍に命じながら、そのいっぽうで、ウクライナ軍が必要な装置や武器を供与するには時間がかかると言って、対応を引き延ばしていえるわけです」。

もちろん、このジ・エコノミストの記事が挙げている3つの問題は、ウクライナのみならずロシアにも将来への不確実性を高くして、次のアクションに移る事をためらわせる要素といえる。しかし、それ以前に(時間的にも規模的にも)、ウクライナを支援する欧米諸国は、まだ十分に訓練していない多くのウクライナ兵士を、ロシアが時間をかけて構築した防御壁を打破するに十分な武器や装置を持たせないままに、ロシアとの熾烈な戦場に送り込むプレッシャーをかけている疑いが濃厚だというべきだろう。

G7にゼレンスキーが特別参加して支援を確実にしたさいにも、そのいっぽうでロシアへの反転攻勢への強いプレッシャーを背負い込んだとの指摘があった。そのプレッシャーが拙速で時期尚早な反転攻勢に追い込んだのだとすれば、実は、この問題こそが、いまウクライナが、ロシアは「プーチンの危機」であるにもかかわらず、一気にロシア軍を駆逐できない最大の原因といえることになる。