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東谷暁による「事件」に対する解釈論

プーチンとプリゴジンは双子の兄弟だった;ただし兄は大統領になり弟はいかがわしい商売人だった

反乱は失敗したものの、悪辣なプーチンに逆らったとして、プリゴジンを英雄視する者が増えている。しかし、間違ってならないのは、彼は大量の若者の血を叩き売って這い上がった人物だという事実である。ワグネルにしても最初は民間軍事会社で報道していたが、ウクライナ軍を撃破すると傭兵隊になり、反逆したら民兵組織と表記しているあきれた西側の新聞もある。その時のご都合主義で彼の評価をころころ変えるべきではないだろう。


もうすでに歴史は書き換えられている。プリゴジンは正義のために立ち上がり、勝つ見込みのない反乱を起こしたが、市民にも支持されていたとの報道が多くながれている。しかし、たったこれだけのストーリーにも多くの創作が入り込み、それらが現実に起こったことを覆い隠し、美談を空にむなしく舞いあげている。

プリゴジンは正義のために戦ったのではなく、ワグネル解体を阻止し自分の生命を維持するために、ロシア正規軍のなかの反ショイグ国防相派の決起を促したのだ。そのためショイグの身柄を拘束して状況の打開を図ろうとしたが、反ショイグと見られていたスロビキン副司令官がまったく乗ってこなかったため、モスクワ行進という成功度の低い賭けに出ざるをえなくなったのである。


このモスクワ行進も肝心の事実があいまいにされている。流血の事態は避けたなどということになっているが、まったくの嘘で、空からロシア空軍は最新の軍機で爆撃やミサイル攻撃を行っている。しかも、こうしたロシア空軍に対してワグネルはただちに反撃し、少なくとも2機の軍用機と3機の最新兵器搭載のヘリコプターをあっという間に撃墜している。撃墜された飛行機やヘリコプターの乗組員は、当然のことながら全員死亡したとみられる。流血を回避したという報道は、これだけでもインチキだが、ワグネルのハイテク武器を用いた対空反撃力はかなりのものだったのだ。

こうした危機的事態に驚いたプーチン大統領は、モスクワが占拠された場合に備えて逃亡用の飛行機を用意させたといわれ、ニュースによっては実際に北方に逃げたとも報じられた。しかし、ロシア正規軍の大物でプリゴジンに同調するものが出ないことが分かった時点で、プーチンは激しくワグネルの反乱を非難し始め、ベラルーシのルカシェンコ大統領はプリゴジンの行進停止を説得し始めたわけである。


ルカシェンコンなどはノーベル平和賞をもらってもよさそうなものだが、説得の動機はもちろん世界平和のためでなく、自分がプリゴジンの軽率な暴挙に引きずられてはたまらないからである。ホンネ丸出しで「舎弟」のプリゴジンを怒鳴りつけたようだが、この種の人物たちはそこまでいかないと正気に戻らないのだ。プリゴジンにとってもっとも大切なことは、自分がプーチンに殺されないことで、ベラルーシが身柄をあずかるという線でなんとか落着した。

しかし、もちろん「暗殺帝国」といわれるロシアの暗殺では、スナイパーや毒殺の技術が極めて高いといわれ、ほとぼりが冷めたと思われるころがいちばん危険だろう。突然、路上で倒れてそのまま逝ってしまうとか、ベランダから不注意で転落するとか、ある日、突然に顔がむくみ始めて回復しなくなるとか、知らないうちに放射性の物質が体内に紛れ込んだとか、ともかくこれまでロシアあるいはプーチンに反逆した者の最期は悲惨である。


今回のプリゴジンについては、もうひとつ、何か宿命的なものが感じられる。プリゴジンプーチンの「兄弟」だったのではないのか。あるいは「双子」なのかもしれない。もちろん、血がつながっているわけはないが、同じレニングラード出身、1990年という決定的なときを境にして新しい人生を生き始め、プーチンは昼の世界で独裁者として、プリゴジンは夜の世界であやしげな外食産業のオリガルヒ兼傭兵隊長として成功した。しかし、カインとアベルのように、実は、秘密の部分を共有してきたために、異常な親密さと同時に、恐るべき近親憎悪が潜んでいたのではあるまいか。


こんどのウクライナ戦争では、昼と夜の世界がふたたびかきまぜられ、はては融合するなかで、プーチンが夜の世界にずるずる深入りしていき、プリゴジンは明るい昼の世界でも生きていけると錯覚した。彼がモスクワを占拠した後に考えていたのは、ショイグ国防相にとってかわってロシア正規軍を統帥することだったと報じられているが、これもけっこう本気でそう思っていたのかもしれない。

1990年を境に、プーチンは混乱のなかでKGBの単なる一員から政治家への階段を駆け上る。プリゴジンは刑務所から出てきて、野心を燃やしつつ「かたぎ」の商売を始める。巨大な国家の崩壊と再生がすべてを可能にした。兄貴のプーチンと自分とは、やってきたことは同じようなことだった。ならば弟の自分にもロシアを支配することが可能ではないのかという妄想が、ほんの1日くらい、彼の頭と心のなかを占めたとしても不思議はない。