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東谷暁による「事件」に対する解釈論

プーチンはクレムリンのゴッドファーザーか?;マフィア国家にしてしまったロシア体制移行期の失敗

プリゴジンの墜落死が、プーチンによる「処刑」であった事実がほぼ明らかになったことで、改めてプーチン体制の本質とウクライナ戦争の行く末がさかんに論じられている。多くの欧米のジャーナリズムがロシアを「マフィア」に、プーチンを「ゴッドファーザー」にたとえて、ウクライナ戦争がマフィア国家との戦いだと指摘している。しかし、それはこれからの戦争を予測するうえで有効な視点なのだろうか。

フィナンシャル紙電子版の画面より


米経済紙ウォールストリートジャーナル8月26日付は、アメリカ・カトリック大学マイケル・キメージ教授の「クレムリンゴッドファーザー」を掲載して、プリゴジンの殺害はマフィアの裏切り者への報復と何ら変わらず、ロシアは国際的信用と外交的資源を失ったと指摘している。「クレムリンのやることは、かつてチャーチルが指摘したように、『覆いの下のブルドックの喧嘩』のようなもので、聞こえてくるのは唸り声だけだ」とも述べている。

プリゴジンプーチンの『分身』ともいえる存在で、二人ともサンクトペテルブルグ生まれでつながっていた。二人は冷戦以後の立志伝中の人物たちだが、ならず者的な言葉づかいを好み、いっぱしのタフガイを気取ることでも同じだった。付き合いの初めのころのプーチンは、必要とあれば(マフィアのように)トイレで敵対者を殺すこともいとわないので知られていた」


そうした親密な関係にあった二人に亀裂が走ったのは、言うまでもなくウクライナ戦争が行き詰まったからだ。今年6月にプリゴジンは反乱を企てるが、キメージによれば、プリゴジンの失敗は「ボスであるプーチンに対して致命的な打撃を与えることをしなかった」ことだという。もちろん、それには理由があった。「プリゴジンはロシアの情報機関にちゃんとしたコネをもっておらず、ロシアのエリートたちとも確たる関係を築いていなかった。彼のソーシャルメディアでの長広舌は、革命の一貫したプログラムになっていなかった」。

いっぽう、キメージがプーチンについて疑問に思うのは、そもそもプーチンはちゃんとした国家を運営するにふさわしい人間なのかということだ。「プーチンはロシアをマフィア国家として運営する能力はもっているし、いまのウクライナ戦争はこうした能力の反映であり、その根源だった」。それはそうかもしれない。しかし、この歴史学の先生が、次のように述べているのは、いささか歴史的考察に欠けているのではないだろうか。

映画『ゴッドファーザー』より


プーチンによる2022年のウクライナ侵攻は、西側諸国を圧倒して勝利することは意図していなかった。しかし、それと矛盾しているのだが、この戦争は、ウクライナの領土に侵攻するだけでなく、西側諸国の勢力範囲をも侵犯することを計画してあるものだった。プーチンはロシアの非西側諸国を援助(して深い関係を確立し、西側を圧倒)することを望んでいるのである」


戦争の計画と現実を見比べるときには、そのプロパガンダと本当の戦争目的とその結果をしっかりと比べなくてはならない。たとえロシアがウクライナを占領してロシア化することだけが目的でも、プロパガンダではNATOに対する激しい敵対的姿勢を示すことは当然であり、だからといってプーチンNATO諸国まで支配しようと思っているとは限らない。また、アフリカ諸国との関係を深めようとしていても、それが世界帝国の野望などといったら、歴史家としてどころか常識人としての信用すら失うのではないだろうか。

そして、もうひとつ、キメージの論旨のおかしなところは、最後のほうで旧ソ連についてチャーチルが述べた言葉「クレムリンのやることといったら、覆いの下でのブルドックの喧嘩だ」を引用して、いまもロシアの本質はかつてのソ連と同じだと述べている点である。これまでの冷戦以後のロシアを観察していれば、ウクライナ戦争に至る以前に、プーチン支配の本質も手法が旧ソ連・旧KGBと同じだということは、とうに分かっていたはずではないのだろうか。スターリンの粛清の数々を思い出せば、それは別にプーチンプリゴジンがそれまでのソ連的な政治風土を破壊したわけではないのだ。


なぜこのような奇妙な矛盾が見られるのかといえば、冷戦末期から崩壊直後にかけて、つまり、ゴルバチョフからエリツィンの時代にかけての「新生ロシア」が、自由と民主主義を目指した「正しい」ロシアだったと錯覚しているからだろう。しかし、ゴルバチョフは舞い上がってペレストロイカグラスノスチを導入してソ連社会の秩序を急激に破壊し、エリツィンアメリカの甘言に乗って、金融制度導入を先行させて産業インフラを軽視し経済体制移行に失敗した。彼は愚劣な酔っぱらいだったというしかない。

わたしはまったく親ロシア派ではないし、帝政期ロシアが素晴らしい文化的国家だったのに、社会主義革命が全部をだめにしたというロマン主義者でもない。しかし、旧ソ連崩壊のさいに、アメリカがロシアにアドバイスすると称して、とんでもない蛮行を行って、いわゆる移行期経済をまったくダメにしたことは、リアルタイムで読んだり見たりして知っている。伝統的に独裁的になりやすいロシアという国が、もし、別の道を歩む可能性があるとしたら、この時期に自国の社会や文化との整合性のある経済および政治体制を作り上げるべきだった。ところが、アメリカのアドバイザーたちは寄ってたかってそれをダメにしたのである。

例によってこのロシアが専門のアメリカの歴史学教授は、アメリカが世界を自由と民主主義に作り変えているという、壮大な錯覚に基づいて現代ロシア史を見てしまっているので、アメリカに親近性を示した時代だけが「正しい」と信じているらしい。しかし、この時代は、驚くべき安い価格でアメリカに石油を売り飛ばすなどの、祖国に対する裏切りを続けた成り上がり者=オリガルヒたちの腐敗の時代でもあった。そんな恥知らずの時代の反動として、プーチンという「ゴッドファーザー」あるいは旧KGBを背景にした「ツアー」が登場してしまったことを忘れるわけにはいかないのである。