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東谷暁による「事件」に対する解釈論

プリゴジンのソーシャル・メディア帝国;なぜレストラン経営者が軍事ビジネスを支配できたか

反乱の直後は、ロシアを救う英雄のように称賛されたプリゴジンは、いまや行方知れずとなった。私邸に捜査の手がおよび、変装写真や膨大な資産が暴露されつつある。なかでも彼が支配していたソーシャル・メディアの規模は予想よりもかなり大きく、あれほどロシア軍トップを批判することができた背景を浮かび上がらせている。


英経済紙フィナンシャル・タイムズ7月15日号は「プリゴジンの『中毒性』メディア帝国は、苦悩するクレムリンに残された」を掲載した。プーチン大統領プリゴジンが構築したウェッブ上のサイトへのアクセスを禁じているが、それらはいまも機能していて、アクセスもできれば投稿も行われているというのだ。

プリゴジンが構築したソーシャル・メディアは、その代表的なものだけでも、フェデラル・ニュース・エージェンシー、ロシア人民ニュース、ネヴァ・ニュース、エコノミー・トゥデイ、インフォアクター、ポリティックス・トゥデイなどがあって、今年7月10日より31日間でアクセス回数が数百万件に達するという。


関係していたあるオリガルヒは次のように語っている。「こうしたソーシャル・メディアを使ったシステムは、犯罪的な組織といえる。プリゴジンはそのうちの一部を支配してきた。かかわっている者たちは戦争で金を稼いで、集められた金はバラまかれている。内部の腐敗はひどいもので、それがもう全体に広がっている」

ワグネルがモスクワに向けて進軍を開始した数時間内に、ロシアのシークレット・サービスは、プリゴジンの「ソーシャル・メディア帝国」とその関連会社の本社を捜索した。この巨大なグループは「パトリオット」という名の統率会社のもとに組織化されていた。このときパトリオットは解体され、傘下の会社群も消滅したと思われていた。ところが、全体を結び付けていたメディアはいまも存続しているというのである。


選挙に不法介入した疑いで、プリゴジンとともにアメリカの制裁対象となっているアレクサンダー・イオノフは、パトリオットについて次のように語っている。「グループは維持され、閉鎖されなかった。というのも、あの時、対処しなければならない、もっと緊急の事態が起こっていたからですよ。いまやビジネスのバイヤーたちが、存続している『巨大なパトリオットの顧客』が欲しくてたまらない」。

前出の消えたはずのサイト、ネヴァ・ニュースのトップを務めていたアレクサンダー・クラシュノバイエフは、「いま編集的な仕事はストップしています。しかし、再開するつもりだった」と語っている。しかし、プリゴジンのオンライン上の発言を追いかけているボランティアグループによれば、匿名アカウントがいまも投稿し続けているとのことで、もしかしたらこの匿名投稿によってプリゴジンの消息が分かるかもしれない。

また、オンライン活動家の「アンチボット」は、「プリゴジンの反乱は、オンライン上の挑発的メッセージの流れにほんの1秒も影響を与えなかった」と指摘している。「プリゴジンがつくった会社は希少価値があるので、もし、プリゴジンがいまコントロール力を失っているとしたら、すぐにでも(かつてのプリゴジンのソーシャル・メディアがそうだったように)クレムリンに近い別の組織が(クレムリンに)指名されることになるだろう」。


いずれにせよ、プリゴジンの旧来のソーシャル・メディア・グループ(の役割)を継ぐとすれば、得るものがかなり大きいのは間違いない。「クレムリンの元高官は、プリゴジンはともかく誰とでもうまくやっていたという。クレムリンはかなり多くの人たちに、プリゴジンに(メディア)資金を渡すように要求していた」。

このブログで何度も指摘したことだが、プリゴジンはレストランなどの外食ビジネスに成功するなかで、プーチンとの関係を深め、傭兵隊ワグネルを創始して、ウクライナ侵攻のさいに大きな役割を果たした。今回のこの記事は、さらにプリゴジンが、急激に広がるソーシャル・メディアに目をつけ、ワグネルの活動と結び付けていったことを示唆している。そして、その先にロシア軍の上層部との密着と対立もあったわけである。

同紙によれば、最初にクレムリンとの強い関係が生まれたのは2000年代だったという。将来の大統領であるプーチンが頻繁にペテルスブルグにあるプリゴジンのレストランを訪れるようになり、夕食をとる光景が見られた。それからの10年の間に、プリゴジンは「プーチンのシェフ」から公的な食糧サプライヤーとして政府に食い込み、さらにメディアに進出していった。

ウクライナの戦場、とくにワグネルによるバフムトでの戦いを展開しながら、プリゴジンが自らのソーシャル・メディアを使い、武器弾薬の要求をロシア軍上層部に行うことができたのは、こうした彼の「ソーシャル・メディア帝国」が存在したからだ。プーチンとの関係やロシア陸軍の情報部とのつながりだけでは、対抗勢力に揺さぶりをかけることはできなっただろう。しかし、そうした背景から生まれる自負が、反乱を起こす決断を促し、その後の交渉も有利に運べるという錯覚を生み出したことは想像できる。