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東谷暁による「事件」に対する解釈論

プリゴジンはついにお払い箱になった?;彼がここまでやれた権力と根性の秘密

ロシアの傭兵隊ワグネルの創始者プリゴジンが排除されようとしている。プーチンは他の民兵組織を含めて、ショイグ国防相の指揮下に入れる方針を決めた。いよいよウクライナの反転攻勢が始まるなかで、ロシア軍組織を強化する意図があると思われる。プリゴジンは反発しているが、地位や金だけでなく命も危ない状況に追い込まれつつある。


英経済紙フィナンシャルタイムズ6月14日付「プーチンはワグナーと対立するロシア軍を支持している」との記事は、いよいよ来るべきものが来たと思わせる内容だ。「ロシア大統領プーチンは、6月13日、戦争に関心をもつブロガーのグループに対して、ショイグ国防相の指導的立場を支持すると語った。すでに先週末に非公式軍事組織を中央の指揮に統合するとの方針を示していた」。

6月5日までにプリゴジンはワグナーを戦場から引き揚げているが、8月5日には戻るようなこともほのめかしていた。しかし、プリゴジンは「われわれはもうウクライナでは仕事をしない」とも述べていたので、もう戻ることはないとみられている。これまではプーチンとのつながりを振りかざしてショイグと取引してきたが、肝心のプーチンがショイグを支持することになれば、プリゴジンは孤立してしまう。

ジ・エコノミストより:軍隊の指揮官が積極派から慎重派に移行


このブログで紹介した英経済誌ジ・エコノミストが示しているように、すでにプーチンは軍事組織の指揮者たちを、アグレッシブなタイプから慎重なタイプに切り替える「改革」を実行しつつあった。これは戦争の規模が大きくなってきたことによって、部分的な戦闘から全体的な戦争へと移るなかで、失敗の許されない統制の取れた戦略が必要になっていることを意味している。

わたしはナチス・ドイツの「レーム粛清」を思い出したが、レームはナチス党の民兵組織を率いていた人物で、もちろん、プリゴジンのような小オリガルヒ出身の傭兵隊長というわけではない。しかし、ヒトラーの野望が大きくなるなかで、小競り合いでのし上がった暴力組織は邪魔になってきた。結局、プロシャ以来の統制のとれたドイツ軍とは比較の対象にならなかった。

 

プリゴジンは1961年にレーニングラード(現サンクトペテルブルク)に生まれる。プーチンと同郷である。人生の初めのころは華やかで、スポーツ選手として活躍し、特にスキーでは目立った少年選手だったらしい。しかし、ケガがもとでスキー選手は断念し、18歳のとき窃盗の罪で2年の懲役を受けている。これが人生の分かれ道となり、頻繁に犯罪を犯すようになって、最後に刑務所から出てきたのは1990年、ソ連が崩壊する直前だった。このとき30歳になっていた(『1843マガジン』より)。

それからは、かたぎになって自宅のキッチンでマスタードを作って売った。必死に働いて、レストランを開店して頭角をあらわす。やがて、サンクトペテルブルグでも知られる店を経営するようになり、有名人や権力者との関係を作り上げていった(同)。ここらへんは、はっきりしないところがあるが、この時期のロシアは混乱期で、そのなかで小規模ながら新興オリガルヒとなっていったということだろう。ビジネスは多岐にわたったが、そのひとつが民間軍事会社あるいは傭兵隊だったわけである。

彼が創設した傭兵隊ワグネルは、最盛期には5万人を超える兵力をほこり、とくにバフムト戦において多大の犠牲を出しながら、ウクライナ軍を撃退する寸前にまで追い込んだ。この熾烈な戦いぶりがワグネルとプリゴジンの評価を高めたが、ショイグ国防相とはまったく折り合いが悪く、プーチンとの個人的な関係が、ワグネルの独立的な地位を維持する権力の源泉とされ「茶坊主」などとも呼ばれた。さらにワグネルはロシア軍参謀総本部の情報部と、さまざまな工作を通じて深い関係にあり、この人脈から得られる秘密情報もプリゴジンが不思議に独立性を保てた秘密のひとつではないかと思われる。

フィナンシャル紙によれば、ロシアの法律では「軍隊に対する誹謗中傷」は最高で15年の刑を科されることになっているという。あれほどロシア軍とそのトップをコケにしてきたプリゴジンが、逮捕されずに地位を保持していたのはむしろ不思議だった。しかも、プリゴジンはSNSでウクライナ軍を称賛したり、ロシア軍の作戦を批判したりしていた。これでは反逆罪に問われてもおかしくないだろう。


いま、プリゴジンはロシア国内の中央統制に批判的な民兵組織と連絡を取り合って、プーチンの方針を覆そうとしているといわれる。しかし、すでにウクライナの反転攻勢が進行するなか、こうした行為も、十分誹謗中傷および反逆罪に問われる危険がある。プリゴジンの権力基盤は薄弱になっており、ますます彼自身が風前の灯となっているといってよい。

プーチンウクライナ侵攻を始めた直後は、正規軍に対して疑いをもつようになっていて、ワグネルや民兵組織に大きな期待をかけたといわれる。フィナンシャル紙が当時の発言を紹介している。「われわれが見たことも聞いたこともない人物が、影の世界から登場し始めている。彼らはきわめて巧妙で自らを役立てることになる」。そうした影の奥から現れた人間たちが活躍する局面は、いまや終わりつつある。

【追記:6月24日午後】ワグネルが空港や軍事施設を占拠しているとのニュースが流れている。これまでも、プリゴジンウクライナ軍を称賛してみせたり、突如、ワグネルを引き揚げるといったりしたが、それはすべてロシア正規軍との取引の一環だった。つまり、武器弾薬の供与を促したり、おそらくはワグネルへの支払い額を釣り上げるとかの「ビジネス」だったわけである。

しかし、もし、いま流れている空港や軍事施設の占拠のニュースが本当で、ロシア正規軍に本気で反旗を翻したのならば、もはやプリゴジンはそこまで追い詰められていたということだろう。しかも、ワグネル組織は結局はお金めあての傭兵の集まりなのだから、本気でプリゴジンに忠誠を誓う兵士たちが大勢いるかは疑問だろう。包囲されれば条件しだいで武装を解除することになるだろう。あるいは、作戦の一環だといわれて本気にしている兵士もいて、反乱だと知って驚く兵士もいるのではないかと思われる。

いずれにせよ、本文で書いておいたように、すでにプリゴジンプーチンに見捨てられていたというのが真相だろう。そして、その最後の賭けをしているのかもしれないが、とても勝てる賭けではない。ロシア国民を不安にすることになるだろうし、また、なおも駆け引きを続けようとするかもしれないが、結局、正規軍に鎮圧されることになる。

【追加 6月25日午後】プーチンとショイグは、真正面から鎮圧するのは避けて、プリゴジンの身柄はベラルーシに引き受けてもらい、参加したワグネルの隊員には罪を問わず、さらに参加しなかった隊員は正規軍の指揮下に入るという線で決着しようとしている。もちろん、こんな寛容な措置で済むわけがなく、すでにプリゴジン暗殺計画について言及するメディアもある。

問題はウクライナ戦争の和平交渉への影響だが、ウクライナ軍が反転攻勢である程度の成果をあげたところで、米欧や中国が参加する和平会議に持ち込むという可能性を指摘する人もいた。しかし、今回の反乱失敗によってプーチンは硬化するだろう。それが和平交渉の推進にはマイナスの影響を与えるかもしれない。ここらへんは次のブログをお読みいただきたい。

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