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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ワグネルの反乱はプリゴジンの亡命で決着なのか;ロシアの内乱はウクライナ和平を遠ざける

ロシアの傭兵隊ワグネルの反乱は、創始者プリゴジンベラルーシによる受け入れ、反乱軍への罪は問わない、反乱に参加しなかった隊員は正規軍に繰り入れるとの、一見、ずいぶんと寛容な線で落着しているように見える。しかし、プリゴジンがなぜここまで抵抗したのか、これからロシア国内はどうなるのかを考えなければ、ウクライナ戦争がどのような方向に向かうのか分からないだろう。

プリゴジンは勝機があると考えていたのだろうか

 

「モスクワ時間の6月24日午後8時(日本時間25日午前2時)を少し過ぎたころ、昔はケチな犯罪者でプーチンの有力な後援者にまでのし上がったプリゴジンは、かれの私兵にモスクワへの行進をやめさせ、首都での軍事衝突を回避すると発表した。『われわれは24時間以内にモスクワの200キロ以内にまで到達し、その間、戦士たちの血は一滴も流していない。いまや、血を流すときが来た』と語っていた」(ザ・タイムズ6月25日付)

こうした内乱に発展するかもしれない事態は、プーチンが大統領となってからの23年で初めてのことだったと、ザ・タイムズ紙は述べている。もちろん、それ以前にはチェチェンでの激しい戦いがあり、1999年、プーチンは首相として、いまも彼の冷酷さを語るさいに言及される、きわめて残虐な戦いを行った(翌年、プーチンは大統領に就任)。しかし、その戦いにしてもロシアの政治体制そのものの危機ではなかった。今回の「モスクワ進軍」は、もし呼応する者が多ければ、プーチン体制そのものが揺らぐことになったかもしれない。

ジ・エコノミストより:プリゴジンたちは戦車をもっていた


ワグネルの創始者プリゴジンが、バフムトの戦いで正規軍を上回る実績を上げていたにもかかわらず、お払い箱にされつつあったことは、すでにこのブログでも述べた。ウクライナの反転攻勢が本格化するなかで、ショイグ国防相に指揮されるロシア正規軍と傭兵隊ワグネルとの確執は激しくなった。ついにプーチンはワグネルを含めた民兵組織は正規軍の指揮下に入れる方針を打ち出し、ワグネルはバフムトから撤退していた。

その後もプリゴジンは激しく反発して、ワグネルを正規軍の指揮下に入れることを拒否し、他の民兵組織と連絡を取り合って、ショイグ国防相の方針を変えさせようとしていたと言われる。しかし、それはまったく実現の望みがうすい試みだった。「もうウクライナでは戦わない」との発言があったとき、一部のメディアは、ワグネルはアフリカなどでの紛争に活路を見出すのではないかと報じていた。しかし、プリゴジンはもうそれでは飽き足らなくなっていたのだろう。

今回も「反乱軍ではなく、われわれは愛国者なのだ」と述べ続けていたし、ショイグ国防相を批判しても、プーチン大統領をやり玉に挙げることはまったくなかった。これまでと同様に、悪いのはショイグに率いられた正規軍であり、プーチンは彼らにたぶらかされているだけだという姿勢をとり続けた。しかし、プリゴジンが本当に他の勢力を糾合すれば、プーチンが再びワグネルを復活させると信じていたかといえば、どうも疑わしいところがある。

バフムトの激戦では2万人の隊員を投入し1万人が戦死


たしかに、ショイグのやりかたは、プリゴジンからすれば腹立たしいものだったろう。ワグネルは最盛期に5万人の傭兵を抱えていたが、その2割を戦死させている。戦闘中にもウクライナからの攻撃による戦死者だけでなく、ロシア正規軍が放ったミサイルの犠牲になる隊員も多かったという(ジ・エコノミスト6月24日号)。さらに、多くの戦死者を出しているバフムトでも、ショイグたちは必要な武器弾薬を出し渋って犠牲者を多くされたという恨みがあった。

結局のところ、プリゴジンは最後の賭けに出て、プーチンとの関係を回復させることで、それまでの民間軍事会社あるいは傭兵隊の経営を継続しようとしたのだろう。しかし、すでに戦争が「陣取り」から広域の「全体戦争」に移行するなかで、プーチンも正規軍を全面に立てるしかなくなった。そのことに気がつかなかったとすれば、プリゴジンは戦争をよく分かっていなかったことになるが、それもおかしな話だろう。

ベラルーシに行ったからといって、プーチンから逃れられるわけではない


プリゴジンが最後に試みたのは、ロシアのウクライナ国境の街から首都モスクワへの進軍を行い、ショイグ国防相への批判勢力を糾合しようということだったと思われる。これはたとえばムッソリーニの「ローマ進軍」にちょっと似ている。ただし、ムッソリーニの進軍はろくな武器もないままのプレゼン行動に過ぎず、警察とぶつかっただけで停滞するような程度のものだった。

もし、エマニエル三世が勘違いしてムッソリーニを首相に任命しなければ、ただの暴動で終わっていた。しかし、プリゴジンの試みは映像で見る限り戦車を備え、参加者も本格的に武装しているので、プーチンもちょっと焦ったのではないだろうか。いまのところ真偽は分からないが、プーチンはすぐに飛行機でモスクワを脱出し、北方に向かって飛行していたという説がある(フィナンシャルタイム6月25日付)

この「モスクワ行進」という事件は、これから何を起こすことになるだろうか。何よりウクライナ戦争はどうなるのだろうか。フィナンシャル紙6月24日付に戦略・軍事担当のギデオン・ラックマンが「プーチンは自分自身で最悪の悪夢を生み出してしまった」とのエッセイを寄せている。「歴史のアイロニープーチン自身の行動が、彼が一番恐れていたことをもたらしてしまったことだ。つまり、ロシア国家と自分自身の権力の両方を揺るがす反乱を起こさせてしまったのである」。

ワグネルの戦果は評価するとプーチンはいっているが……


この「プリゴジンの反乱」はロシア国内外の反プーチン勢力を活気づけるだけでなく、ウクライナ軍にとっても朗報となるとラックマンは述べている。それはそうだろう。「ウクライナの反転攻勢は成功していなかったが、こんどの事件は歴史的な好機と呼ぶことができる」とまで述べている。事実、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシア国内がいかに分裂しているか証明したとコメントしている。

プリゴジンはけっしてリベラルというわけではなく、彼の主張は国家主義的で帝国主義的である。ワグネルはその残虐性で知られている。しかし、プリゴジンは、プーチンがそうであると同様に、自分がコントロール下に置こうとしてきた勢力を、意図せずに解き放ってしまったのである」

たしかに、歴史のアイロニーはときとして驚くべき事態を生じさせるものだ。そのことは忘れてはならない。しかし、では、「ウクライナの和平」という観点からすればどうなのだろうか。プーチンはこのまま弱気になって「わたしが悪うございました」と悟ってウクライナから撤退するのだろうか。どうもそうではなさそうである。まだ分からないが、そして国内の動揺は起こるに決まっているが、その程度はどれほどかによって、国内統制と新規動員の絶好の機会にするかもしれない。

また、プリゴジンがこのままベラルーシで安穏と暮らせるとは思えない。すでにいくつかのメディアは彼の暗殺の危険が高まったとしている。西側のメディアとの接触が多かったプリゴジンの周囲は、スパイの嫌疑をかけるのに容易だろう。ベラルーシの大統領が間に入ってくれたとはいえ、彼はプーチンと一蓮托生であって、人権保護を推進したいわけではない。(すでにプリゴジンは行方不明だとの説もある)この事件は悪くすると(その可能性は高いと思うが)さらに、和平交渉への道のりを長くしてしまう要素を含んでいるのではないか。