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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナのザルジニー総司令官が発表した論文とは何だったのか【増補】;国家の危機を克服するクーデターの必要性

ウクライナのザルジニー総司令官が8日に解任された。ゼレンスキー大統領との確執が伝えられてきたが、その中心的な対立点は何だったのだろうか。ザルジニーは解任を予想して論文を発表しているが、この論文にはいまのウクライナの軍事体制に対して、何が不満だったのかが明快に書かれている。その核心部分を、この論文から読む。【増補】


すでにCNN日本電子版が2月2日に「戦争の設計が変わった、ウクライナ軍総司令官が寄稿」を掲載していて、これを読めば全体は把握できる。ただし、この日本語版はかなりの縮約であり省略も多いので、肝心の部分を確認するために原文(英文)の「ロシア・ウクライナ戦争における軍事作戦の現代的デザインについて:イニシアティヴのための戦闘における」で補足することにしたい。

全体をざっと読んで残る印象は、新しい技術とくにドローンと呼ばれる無人戦闘機の使用を急速に加速増強して、ロシアの侵略から防衛する戦術に転換すべきだとくり返し述べていることである。もちろん、戦争目的、戦略について述べているが、圧倒的なスペースは無人機による防衛戦術への移行であるといえる。


そう考える根拠としては、ロシア侵攻以来の戦闘の経験から、無人機の果たす役割がいかに大きいかが明らかになったこと、また、主たる支援国(アメリカ)からの支援が途絶える危険があること、さらに国内だけで兵員を動員することは難しいことなどが挙げられている。こうした状況に対して対応するためのザルジニーの提言に対して、ゼレンスキー大統領は耳をかさなかったようである。

これは論文では触れられていないが、ゼレンスキーは支援国にはミサイルやジェット戦闘機など、威力もあるが手間がかかる武器を要求し、軍部に相談もしないで数十万人の動員計画を発表するなど、技術的な戦場の変化を理解していないと思われる言動が多かったのが、おそらくザルジニーの最も憂慮するところであったのだろう。

では、ザルジニーは、政治があって戦略があり戦略があって戦術があるという軍事の鉄則や、政権が戦争目的を立ててそのために戦争資源を集中するという政治優位の原則を軽視しているのだろうか。必ずしも、そうでもないのである。論文の冒頭近くで「もちろん、戦略、作戦技術、戦術の基礎知識は軍事専門家にとって成長の階梯であって、軍人は(作戦技術と戦術という)2つの中心的な任務を解決するものである」と述べていることからも、それは推測される。


ザルジニーはこの論文では、まず、なによりも目の前のロシア軍との戦闘から得られたことを重視し、そこから国土防衛のための戦術を考えるという姿勢をとっている。戦術から戦略への遡行は逆転のようにも思われるが、戦術での技術的あるいは政治的な要請が結果として戦略に影響を与えることは珍しくない。戦術家のコリン・グレイならば「浸透」と言ったかもしれない現象が、ロシア軍との闘いで顕著になったということを言いたいのだろう。

そして、もうひとつ注目したいのは、ザルジニーが論文で、「武器の急速の進歩にもかかわらず、勝利への戦略は(変わってはいないのであって)敵を撃破して、領土を占領あるいは解放することだ」とも書いていることである。ただし、そのあとに「そうではあるが、その形態と方法は、使用される武器の進歩や数量に直接依存している」と述べていることは、シビリアン・コントロールを考えれば、軍人エリートとして矛盾を抱えているなかでの発言であることを滲ませている。


では、サルジニーはその矛盾を抱えたまま、ゼレンスキーの政治が要請する戦略にあくまでも甘んじようとしていたのだろうか。もちろん、そうではなかった。この論文では、技術的革新と戦略的資源の問題を抱えているウクライナの現状を、根本的に変えなくてはならない、そう述べているのである。論文の後半に次のような文章が登場している。

「したがって、新しい形態と方法を実現するために、国防軍はまったく新しい技術的再軍備のための国家システムを創造しなくてはならない。それには改革と科学的支援が必要であり、生産と維持を継続し、軍隊の運営においては、人々の訓練と兵士の経験を共有のものとし、柔軟な軍隊の財政つまりは兵站を可能にする必要がある」

これは何だろうか。しかも、サルジニ―はこの新しい国家システム創造を5カ月でやると宣言している。ロシア軍との戦場での経験から技術の優越性を認識したことにより、ロシアの侵攻を食い止めるには、最先端の技術的発想に基づいて「まったく新しい国家システム」が必要だから創るといっているのである。国家の根幹にかかわる政治的価値については触れていないから「革命」とはいえないものの、技術的な基礎にもとづく政権変換である「クーデター」を主張しているともいえる論理構成となっている。この論文に出てくる「パートナー」とは、このクーデターに同意する部下たちともとれる。


ザルジニーとそのパートナーたちは、この論文を単なる軍事の基礎研究として作成したのだろうか。そんなことはありえない。ザルジニーが英経済誌ジ・エコノミストで反転攻勢は「膠着状態」に陥ったとして、事実上、作戦失敗を認めたとき、すでに国防軍中心のクーデター的な発想は明らかだったのだ。あとはこの大転換にゼレンスキー大統領を巻き込むか、あるいはそもそも思想が異なるとしてザルジニーを中心に構想するか。

もちろん、後者だったわけだが、このザルジニーを中心とする軍内グループはどうやら最後まで多数派になりきれなかったようだ。そして、EUが500億ユーロの支援を決定しつつあったとき、こうしたクーデター的な試みも潰えたと見ることができる。とはいえ、EUがこれまでと同じようなレベルの支援を続けると表明してくれたものの、その支援は「(おためごかしの)美辞麗句からは程遠い」(ジ・エコノミスト)レベルのものであり、これまでの支援が圧倒的な割合を占めていたアメリカが引き揚げるとすれば、甚大な衝撃となる(フィナンシャル・タイムズ)だろう。

フィナンシャル紙より:アメリカの支援は資金だけでなく武器弾薬も多い


もしこうした論文をめぐる推論が妥当だとすれば、ザルジニーは総司令官の地位を降りるだけではすまなくなるかもしれない。あくまで論文は軍事的研究なのだといったところで、欧米的政治においてはシビリアン・コントロールの原則に基づいて、高位の軍人が政権転覆や政体変更についての言論を発表すれば失脚する。ましてや、本当の意味で言論の自由が保障されていない国でそれをやれば、最悪、亡命的な運命もあり得るかもしれない。

【付記:2月9日】ゼレンスキー大統領はザルジニー総司令官を8日付で解任し、後任にシルスキー陸軍司令官をあてた。英経済紙フィナンシャルタイムズ9日付は「ゼレンスキーは、わが国の軍隊にはリニューアルの時が来たと語った」と報じているが、ザルジニーが論文で指摘したことは、この戦争を勝ち抜くには国家の体制そのものを、ハイテク戦の時代に合わせて大きく改造することであり、単なるリニューアルではすまないということだった。。


もちろん、ゼレンスキーも反転攻勢の失敗以降、これまでの戦い方では早晩追い詰められることが分かっていて、軍隊の増員について語り、また、数日前には新しい技術を大胆に導入することを強調していた。それらはザルジニーの論文が強調してやまなかったことである。しかし、両者の最大の相違は反転攻勢は「失敗」したことを認めるか認めないかで、ザルジニーが独断でジ・エコノミストで「膠着状態」に陥ったと語り、大統領を差し置いて失敗を世界に向けて認めたことから、両者の対立は決定的となった。

これはある意味で当然のことだった。ゼレンスキーは反転攻勢を成功させるために西側諸国から支援を得るために駆け回り、演説し、時には西側諸国をするどく批判すらしていた。「戦ってみたが失敗しました」ではすまない。しかし、「失敗」以降について何をすべきかを打ち出すには自分の地位を賭けて国民と世界を説得する必要があった。それがないままに、軍部だけの責任にしても問題は解決しないだろう。