日本製鉄によるUSスティール買収はいよいよ大詰めを迎えているが、対米外国投資委員会(CFIUS)はバイデン大統領に買収に反対するように助言すると見られている。これは民主党の閣僚たちが委員を構成しているから当然だが、そのいっぽうで、同じく買収に反対してきたトランプ次期大統領も、今回の大統領選で労働組合に接近して、かなりの程度の支持を得たといわれる。しかし、USスティールの多くの労働者は、買収が成立しなければ彼らの生活は窮地に陥ると訴えている。
米紙ワシントン・ポスト12月20日付には、ベテラン経済記者のデヴィッド・リンチ(もちろん映画監督ではない)による「鉄鋼労働者たちはUSスティール売却を望んでいるが、バイデンもトランプもそうではない」が掲載されている。「ペンシルベニア州クレアトンでは数百人の鉄鋼労働者が、マイナス3度以下の寒さのなか、USスティールの工場の外で集会をひらき、自分たちを見捨てた組合幹部たちへの反感と絶望を表明している」。
彼らは日本製鉄によるUSスティールの149億ドル買収案を政府に承認するように要求してきた。ホワイトハウス、議会、そして彼らが属している労働組合の幹部たちに、現実を直視して欲しいと訴えてきたのだ。日本製鉄はさらにクレアトンの工場と近隣の2つの工場の改修に10億ドルを投じると文書で約束しており、このプランが実現されなければ、この工場は世界の業界水準からさらに後退することになるだけでなく「高齢の組合員数千人の職が危険にさらされる」と彼らは主張している。
「この日本製鉄が提案している素晴らしい協定は、今後数十年にわたって私たちの雇用を安定させるだろう。政治家たちは、この協定が私たちの雇用、家族、そして地域社会にどれほどの影響を与えるかを、ちゃんと理解する必要があるのだ」
しかし、大統領選の混乱のなかで、何が何でも自分たちの党の候補者に票が欲しい民主党のCFIUSメンバーは、鉄鋼労働組合の票ほしさに日本製鉄の買収に反対するような方向で、日本製鉄のプランを「検討」していた。その結果として12月14日の両鉄鋼企業に宛てた書簡のなかで「今回の取引から生じる米国の国家安全保障リスクを認めざるを得なかった」と述べ、さらに日本製鉄が経営権を取得した場合、「国内の鉄鋼生産能力が減少する」という非論理的かつ非現実的な指摘をしている。
デヴィッド・リンチは組合幹部、買収賛成派の労働者たち、地域の関連会社やコーヒー店まで取材して、バイデン大統領、トランプ次期大統領、組合幹部たちと、実際に働いている人たちとの深い溝をえぐり出している。われわれにはこの溝が大きなものであることが分かるだけでなく、その間で徹底反対を唱えている幹部たちの見識の低さに呆れざるをえない。鉄鋼労働者の収入は約6万3000ドル、なかには10万ドル以上の人もいるという。まあ、ざっといって1000万円と1500万円で、いままでが良すぎたのだと言いたくなるが、それは日本の大企業と米国の物価を考えれば、まあ、いまはこだわらないことにしよう。
労働組合が組合幹部と一般組合員に分裂する事態は昔からあった。USスティールの場合は、日本製鉄の買収をめぐってその潜在的な軋轢が浮上したようなかたちだ。面白いのは(本人たちは面白くないだろうが)幹部による買収賛成派への批判というのが「自分たちの利益のために資本家たちと野合し、組合の精神を損なっている」というもので、昔これは一般組合員による幹部批判の決まり文句だったのだから、まったく逆さまの世界ではないか。
では、アメリカの労働組合はこれからどうなるのだろう。この問題に焦点をあてているのが英経済誌ジ・エコノミスト12月17日号の「労働者がドナルド・トランプを愛している。彼らはむしろ恐れるべきだ」という記事で、そもそも不動産屋の放蕩息子であるトランプは、労働者の味方であるわけがない。むしろ、イーロン・マスクなどの経済的自由を強調する大富豪たちの代理人といったほうがふさわしい。事実、トランプが2008年の金融危機で破綻したとき、ウォール街の弁護士たちが「彼は使える」との判断で、膨大な借金を証券化して大富豪たちに購入させ、彼を救済したというのが、いまのトランプの再出発なのである。
さて、同誌によれば、いまアメリカは労働組合にとって素晴らしい時期であり、つぎつぎと労働組合が経営側を追い詰めて、有利な条件を勝ち取っているという。米労働統計局によれば、アメリカでは1月から11月までの間に、1000人以上の従業員が関与するストライキが29件起こっている。これは2000年(ITバブル崩壊の年)の33件以来で最多だった。労働争議の仲介をする全国労働関係委員会(NLRB)は、組合結成の投票を求める請願が昨年と比べて25%以上も増えていると報告している。
「この勢いはトランプにとって何を意味するのだろうか。アメリカのコンサバティズム(共和党勢力)は、確かに労働者に近づいている。トランプは『企業と労働者の歴史的協力』を約束するといっているが、実際には、イーロン・マスクのような億万長者との親密な関係が強まる可能性もある。トランプに群がるポピュリストと金権政治家は、労働者とはまったく異なる考えの持ち主だろう。アメリカの労働者、労働組合、産業界は、苦しい板挟みにあえがざるをえないのではないか」
もちろん、トランプの「労働者保護」がまったくの嘘だというわけでない。港湾労働者のストライキは、労働者側が60%の賃上げで認めたところで、一時的にストップしているが、まだまだ問題が残っている。そこに乗り込んできたのがトランプで、先週、労働組合幹部と会談したトランプは、いまのところ労働組合を支持しており、急速な港湾労働の自動化には反対するかたちとなっている。しかし、トランプに労働者側への持続的なサポートへの意志や思想があるわけではない。選挙のときと同様でそれがいまの時点で、自分の営為に「使える」ということにすぎない。それがいつ「使えない」に変わるかはトランプだけが知っている。同誌は次のように締めくくっている。
ジ・エコノミストより
「結局のところ、労働者を口説き落とすことと、労働組合を味方につけることとは、必ずしも同じではない。いまは上院議員のJ・D・ヴァンス副大統領とマルコ・ルビオ次期国務長官は、「巨大労働組合」には相談せずに、労働者が直接に企業の取締役会に代表を送り込む条項を含む法案を提出している。(参加させて従わせるということであって、こうした別の発想から彼らはアプローチするのだ。)アメリカの労働組合はこうしたやり方のために発生する軋轢に備える必要がある」