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東谷暁による「事件」に対する解釈論

イーロン・マスクがツイッターCEO辞任;ただし阿保な後継者が見つかったら

イーロン・マスクツイッターの投票に従って辞任すると述べた。ただし、「後継者が見つかり次第」で、しかも、「この仕事につくほど十分な阿保がいたら」ということで、事実上、辞めないということではないのか。マスクは辞任してからも「ソフトウエア・サーバー・チーム」を統括するといっているし、そもそも圧倒的な量のツイッターの株式を持っている。


経済誌フィナンシャル・タイムズ電子版12月20日付は「イーロン・マスク、後継者が見つかりしだいCEOを辞任する意向」との速報を掲載したが、本気ですぐに降りる気はないことが、ありありとしている内容だった。後継者を見つけるようなことを言っているが、その後継者は阿保だと言っているわけで、阿保をCEOにつけたらどんな会社もすぐにつぶれるだろう。

もちろん、最初からツイッターで投票してCEOを降りるというプロセスそのものが、本当に企業のCEOの振る舞いとしてふさわしいかという問題があった。ファンのなかには「やめないで!」と連呼した者も大勢いて、これはひょっとすればイーロンの遊びではないのか、あるいは自分への信頼が明らかになるとの思惑があるのではないか、などと思われるのも無理なかった。

 

ただし、本当に彼の言う「阿保」が現れないとも限らない。暴君に仕える賢臣というパターンは歴史上けっこう多い。暴君に言いたいように言わせながら、賢臣がうまくさばくという経営法がないわけではない。しかし、いちばん問題なのはこうした公共的メディアを使って遊んでいるというイメージが広がることで、暴君がいくら面白くても、賢臣が最初から対応できなくなる危険もある。

問題はマスクが直面したツイッター社の経営状態で、前出フィナンシャル紙はツイッターで働きたいといったユーザーに対して、「苦労するだけだよ。ツイッターに入ったらあなたのこれまで蓄えた貯金をあらかた投資することになる。5月から破綻コースに入っているよ。それでも働きたい?」との返事を掲示していたことを紹介している。

ft.comより:こんどはどんなサプライズがあるのか


とはいえ、英経済誌ジ・エコノミスト12月19日号の社説「イーロン・マスクの440億ドルは言論の自由の意味を知るための教育費」と構えることもできる。ハイテクの先端にいようと、大胆な投資的才能があろうと、言論の自由という問題はけっこうやっかいで、その議論も地味なものだと分かったと言う意味では、今回のドタバタは意義があったのかもしれない。