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東谷暁による「事件」に対する解釈論

自由貿易の後退が世界を壊している?;問題なのは米国の自国中心主義と自由貿易主義の幻想だ

アメリカの経済政策が急速に保護主義に傾斜して、世界にショックを与えている。この傾向が世界経済の成長を押し下げることを憂慮する人も多い。しかし、この「保護主義」もそれまでの「自由貿易主義」も、実は根っこが同じで、「アメリカ中心主義」から出たものであることを思い出しておくべきだろう。


経済誌ジ・エコノミスト1月12日号の特集は「ゼロサム:グローバリゼーションを破壊するロジック」で、アメリカの経済政策に、保護主義に傾斜する根本的な変化が生まれたことを批判している。同誌が保護主義を嫌い、自由貿易主義を称揚するのは、この雑誌の起源を考えれば当然のことかもしれない。

1815年に英国は穀物法を成立させて、海外からの穀物の輸入を制限していた。これに対し、コブデンやブライトといった自由貿易論者たちが、穀物を生産している地主たちの利益にはなっても、輸入穀物を消費している英国民には打撃になるだけだと反対し、1846年に廃止に持ち込んだ。その議論の中心がジ・エコノミストであり、彼らは拠点となった街の名をとってマンチェスター派とも呼ばれるようになった。これは高校の世界史にも出てくる話である。

 

この輝かしい伝統のもとに、ジ・エコノミストはその長い歴史を通じて、常に自由貿易を称揚して保護主義を批判し続けてきた。もちろん、日本の世論を真っ二つにしたTPP問題においても、当然のことのように推進派を支持して、反対派に激しい批判を投げつけた。また、近年ではブレグジットに反対して、EUからの離脱に強い疑念を表明し続けた。こうした一見、一貫した論調には、実はかなりの混乱があると思われる。

この号の社説「グローバリゼーションの脅威となる破壊的な新しいロジック」は、アメリカが1945年以降、いかに自由貿易をリードして、大戦後の世界経済を拡大させることにいかに貢献したかを述べている。そして、そのうえでいまのバイデン政権が主導して、この自由貿易主義に基づく世界システムから離れようとしていることを嘆いている。

「今日、この世界システムは危機にある。国々は競ってグリーン・インダストリー(環境産業)に補助金を与え、敵対国だけでなく友好国からすらも製造業を誘致し、そして、商品や資本の流れに制限を加えつつある。ゼロサム(世界における得と損を合計するとゼロになるから、その分け前を大きくすべきだ)という思想の時代が始まったのだ」

そのとおりだと賛同する人もいるかもしれないが、私は何をいまさら自分たちの自己正当化をしているんだと呆れる。自由貿易の時代は繁栄であり、保護貿易の時代が危機だというのは、自由貿易を推進すれば有利になる国家、金融、産業、人間たちが好んで口にするイデオロギーにすぎない。そもそも、1945年から自由貿易で世界経済を拡大してきたとされているアメリカは、英国との経済戦争に勝利するまでは、典型的な保護主義国だった。また、第2次大戦後も1970年代までは、資本の自由な移動には必ずしも賛成していなかった。そしてそれ以降、アメリカは自由貿易主義が自国に有利だと判断したから推進したのである。

 

同誌によると、この世界的な恐るべき思想の転換は、2007年から2009年に生じた金融危機から始まっていたという。しかし、当時、金融産業は野放図なシャドウバンキング(いまは中国の民間における金融システムを批判するさいに使うが、もともとはアメリカの金融産業に生まれたレバレッジの仕組みだった)によってバブルを生み出し、そして、その破綻が世界経済を危機に陥れたことは、いまも記憶に新しい。

ところが、同誌はそうした金融危機の現実には触れないで、いきなりバイデン政権はそうした悪しき傾向の保護政策を打ち出したのだと批判している。「アメリカは総額4650億ドルにも達する、膨大な補助金を解き放った。すなわち、グリーン・エネルギー産業に対して、電気自動車産業に対して、そして半導体産業に対して」。こうした新しいアメリカ政府の政策に対して、ジ・エコノミストは異議を申し述べるのだということらしい。

しかし、それはジ・エコノミストが、同誌の伝統に基づいて「弱い者の生活を助ける安い製品が入ってくることを阻止し、旧来の古い産業主たちを儲けさせることを批判」してきた栄光の歴史とは、まったく異なっている。アメリカ政府はいま環境破壊が広がるのを阻止するという「グリーン政策」をタテマエとして、自国の経済に有利な補助金政策を展開して、他国の事情などかえりみることなく、いまの政権の支持率を回復しようとしているのである。

The Economistより


その結果生じるのは、新興産業をグリーン政策の名の下に優遇することによって、海外から環境維持型の産業をアメリカに移転させ、他の国々の経済政策の都合を無視することによって、アメリカ国内での雇用や景気を維持し、バイデン政権の存続を維持していくという事態だろう。そこには、確かに自由貿易への軽視は見られるものの、主眼となっているのは、もはや弱体化したバイデン政権の延命措置なのである。

もうひとつ、ジ・エコノミストが、アメリカ政府の変化=保護主義化のなかに見出している意味は、中国経済の抑制である。同誌の見るところ、この中国経済抑止策は2つの発想から生まれている。ひとつが、中国をあまり豊かにするのは阻止すべきで、14億人の中国人が貧しいままなら、行動にモラルが生まれ平和を望むようになるという。もうひとつが、アメリカ経済がもっと強靭になり中国を圧倒すれば、市場資本主義が勢いをまして、アメリカは他の国の不満を、押さえ込むことができるというものだ。

もちろん、保護主義によってアメリカを強くすれば、市場資本主義そのものを強化できるという考え方は間違っていると同誌はいう。その理由のひとつは、政策を進めるための特別コストがかかり過ぎて採用できないこと。もうひとつが、アメリカの自国中心的な傾向が、いまや友好国や潜在的な同盟国を怒らせてしまうということである。

The economistより


まず、コストの問題だが、ジ・エコノミストの試算は、アメリカが世界的なハードウエア技術工業、グリーン・エネルギー産業、電池産業への投資合計額は3兆1000億ドル~4兆6000億ドル(GDP伸び率は3.1~4.8%)のコストが生じる。しかし、製造業再生化は物価を上昇させ、おもに貧困層を苦しめることになる。また、グリーン・エネルギーの供給網の拡大は、アメリカおよび世界の二酸化炭素排出を減らすのをコスト高にしてしまう。その結果、膨大な公的資金をドブに捨てるような結果になるかもしれないという。

次に、友好国や潜在的同盟国への影響力だが、ジ・エコノミストによれば、大戦後、グローバリゼーションを追求した結果、1960年までにドルで計算したGDPは世界の40%近くにまで至っていた。今日、GDPのシェアは世界の25%まで低下し、中国のチップメーカーに対する輸出禁止は、ドイツのASMLや日本の東京エレクトロンが、中国への工作機械供給を拒否しなければ効果をもたないのである。つまり、アメリカがいかに中国を牽制しようと、ドイツや日本の協力なしでは不可能なことをやろうとしているというわけだ。

さらには、アメリカは新興国との関係に悩むことになる。たとえば、2050年までにインドやインドネシアは、世界で3番目と4番目の経済大国になるが、民主制を標榜しつつもアメリカと密接な関係をもってはいない。2075年までにナイジェリアとパキスタンも、経済を拡大させて経済大国になると見られているが、そのときアメリカとの関係がどうなるかはまだよく分かっていない。

こうしたなかで、アメリカが直面していくのは、さらなる経済摩擦の拡大だが、アメリカがいまのような状態であれば、多くの世界経済における問題を解決していくことは(GDPのシェアから考えても)難しくなるだろうと同誌は予測している。その解決の糸口としてジ・エコノミストが提示しているのが、ここまで読んできた人には予想されるだろうが、自由貿易を加速するアメリカへの回帰なのである。

アメリカが1990年代に戻るとは誰も思わないだろう。しかし、アメリカが軍事的な優位性を維持しながら、中国へ危険で過剰な依存を避けるのは妥当なことだろう。そしてなおも、こうした試みがこれまでとは異なるグローバルな統合を作り出すことは何より重要になる。アメリカは他の国と互いの価値観を尊重できる深い相互協力を追求すべきなのだ」


ジ・エコノミストは、とりあえずは相互乗り入れ的なフォーラムでの一時的な取り決めが必要だと指摘している。その例のひとつとして、アメリカが脱退してしまったTPP(現在はCPATPP)に復帰することが必要だという。「今のアメリカのアメリカを保護主義者たちが仕切っていることを考えれば、グローバリゼーションを救うことが可能かどうかは分からない。しかし、米議会はウクライナへの支援を続けているし、それはアメリカが偏狭ではないことを示している。これまでのレポートを読めば、自由貿易への支持が復活しつつある兆候もある。バイデン政権も同盟国の補助金に対する懸念にも目を向けているようだ」。

ここまで読んでいただいた読者には申し訳ないが、ここまでながなが要約してきたのは、このジ・エコミストの社説が、ひたすら自分たちの凝り固まった自由貿易主義の観念を、現実にそのまま反映されることを願っているものであることを、指摘するためである。まず、グローバリズムそのものが、すでに世界の多くの国や地域で、疑うべき偽イデオロギーとして捉えられていることを忘却してしまっている。それは、むしろあまりの欺瞞というべきだろう。


どうせ長くなったので、もう少し書いてしまうが、そもそも第2次大戦後においても、グローバリズムがひたすら追求されてきたなどというのは、歴史からみておよそ肯定できない。グローバリズムという観念は、アメリカによって政治的に提示された1996年に急激に注目された(あるいはされるように仕組まれた)アメリカのための流行語だった。第1次大戦以後の自由貿易主義が急激に繁茂した後に、1929年のニューヨーク証券市場暴落をきっかけに後退するまでを、グローバリズムの時代と呼ぶことは可能だろう。しかし、戦後の冷戦期をグローバリズムと呼ぶことは、まったく異なる経済システムが世界のかなりの部分を蔽っていたことを考えても、事後的なイデオロギー的詐称というしかない。

そもそも、自由貿易主義が世界経済を拡大してきたと言えるかどうかも明らかではない。たとえば、A国は巨大な経済規模をもち自由貿易を推進して、他の国々にも自由貿易を強制したとしよう。このとき中位的な経済規模のB国は、A国の要求を呑んで自由貿易主義に加担するかもしれない。そのことでA国ほどの経済成長は得られないが、それより低い成長率は実現することができた。さらに、経済規模が小さいC国は自国の産業の成長が阻害されるので自由貿易には利益を期待できないが、仕方なくA国の要求に応じた結果、成長率がほとんど伸びなかっただけでなく、A国やB国ではすでに確立している製造業やテクノロジー産業が発達せず、将来の展望がつかないことになる。

A国が世界GDPの40%を占める場合には、この国が10%の成長を遂げただけで、世界GDPは4%上昇することになる。このときB国が2%であり、C国が1%の成長率であるとしても、世界全体での成長率はプラスであり続けることは可能だろう。しかし、60年後にA国の世界GDPシェアが25%まで落ちたとき、たとえ10%の成長を達成しても、世界GDPへの貢献は2.5%にとどまり。B国がなんとか3%の経済成長を遂げても、C国があいかわらず1%であれば、3国の経済規模の比率によっては、世界経済の成長速度はかなり後退してしまうことになるだろう。

これを阻止するには、B国が経済成長が10%になるような産業政策を認め、C国には保護主義的な措置も部分的に認めて、将来的に10%の成長ができるような経済政策を許すことである。実際には1945年から1975年ころまでの世界経済とは、こうした様々な経済体制を採用することで成長を遂げたのであって、何が何でも自由貿易主義を無理やり貫かせたからではなかった。この事実を無視しているこの社説は、すでに欺瞞の塊なのだ。


そしてまた、ジ・エコノミスト自由貿易主義の試みと信じ込んでいる、TPPの枠組みというのは、けっして自由主義の経済協定ではなかった。アメリカが自国の利益を確保するだけでなく、さらに拡大できるようにしたうえで、たとえば日本には新たに生じるとされる農産物の貿易の7割を輸入品として受け入れさせ、そのいっぽうで日本からの自動車および自動車部品などには、あいかわらず関税をかけ続けるというものであった。いってしまえばこれはJ・スティグリッツが言ったように、露骨な「アメリカによる管理貿易」だったのである。

アメリカが途中でTPPから脱退したのは、いまさらアメリカが自由貿易を原理としたところで、小数点以下2桁ほどのGDP拡大効果があるに過ぎないことが明らかで、それならば個別の協定で圧力をかけたほうが、ずっと即効性があると考えたからにすぎない。つまり、この社説でジ・エコノミストが主張している自由貿易主義が、第2次世界大戦後の世界経済を発展させてきたという話はまったくの作り話で、これからのアメリカがTPPに復帰すれば高い成長率とリーダーシップが生まれるという話も、自由貿易原理主義に基づくウォール街およびシリコンバレー的な幻想にすぎない。

さらには、中国が急進したのもアメリカのグローバリズムによると示唆しているが、中国がグローバリズムで自国に利益をもたらし得たのは、前述したB国型の経済政策を採用することによって擬態して、アメリカの思い上がりを利用することで実現したからだった。別に中国自体が自由貿易主義に染まったのではない。それなのに同誌の社説は、中国をゼロサム的な発想で排除しないで巻き込めば、これからも自由貿易主義のグローバリズムの中に、そこそこなんとか位置づけられると思っているのだ。そんなことができなかったからこそ、今の中国との危機が生じていることに、この自由貿易主義者はまるで気がついていないのである。

同誌社説は次のような言葉で締めくくられている。「自由貿易のシステムが完全に崩壊し、巨大な世界の生活に被害をもたらし、自由民主主義と市場資本主義の原理を危機にさらすまでには、まだ時間が残されている。アメリカが背負うべき仕事は巨大であり、また、喫緊のものといえる。すでに時計は動き始めている」。こういう錯誤を、「まちがった停留所からバスに乗ったら、目的とする町には行けない」というのである。今年のジ・エコノミストは、残念ながら正月から調子がおかしいようである。