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東谷暁による「事件」に対する解釈論

世界的規模で少子高齢化が急進している;繁栄の未来を失いつつあるのは日本だけではない

日本は少子化と高齢化が急速に進み、そのため社会保障が早晩破綻するとの警告が発せられてから久しい。なかには人口動態がどうであれ、無限の財政出動をやれば破綻しないと主張する人たちもいるが、それは短期的には可能に見えても、数十年以上の長期になれば、結果として人口減少の影響は否応なく生じる。そして、実は、日本だけでなく世界全体が、少子高齢化に向かっているとの指摘がなされるようになっている。


経済誌ジ・エコノミスト6月1日号は「グローバルな繁栄が崩壊して、深刻な経済上の結果が生じつつある」を掲載している。サブタイトルが「世界の悲惨な人口動態の行く末を変えるのは何か」というわけで、世界が人口動態的に悲惨な未来を迎えるとの危険を述べて、それを救うものがあると希望のある指摘をしようとしていることが分かる。しかし、どうも前半は正しくても、後半のほうはうまく論じていようには思えない。

まず、悲惨な未来から見てみよう。人口が減らないですむ出生率はひとりの女性が何人の子供を出産するかとの「リプレイスメント・レート」で示されるが、それは2.1であって、それ以上であれば人口は増え、それいかであれば人口は減り、この数値の近傍であれば人口は安定する。2000年の値は2.7であり、世界規模では増加がもたらす問題が課題とされたが、それがいまや2.3%にまで下落してしまったのである。

世界中の出生率が下がっているため、未来の展望が難しくなっている


たとえば、GDPで見た時の上位15か国(ここには中国やインドを含む)の出生率リプレイスメント・レートを下回っている。この15カ国に含まれる日本はまだ裕福な国といえるが、中国やインドはいずれも「裕福」とはいえないものの、この2つの国だけで世界人口の3分の1を占めることを忘れるべきではないと同誌はいう。

そして、同誌がこの記事で最も強く言いたいのは次の部分だろう。「高齢化した国というのはもはや日本やイタリアだけではなく、ブラジルやメキシコ、さらにタイなども含まれる。2030年までには東アジアと東南アジア雄の半分以上、40カ国以上が高齢国になるだろうといわれる。アフリカ以外で見た場合、2025年には世界の人口の増加はピークに達し、以降は減少していく。そして、アフリカですらもいま急速に出生率は下落している」。

人口が増加し続けるのが問題とされたのだから、減少するのは好ましいことだと思えるのだが、実はそうではない。人口構成において若い人が減って高齢者が増えていくということは、年金の仕組みに大きな影響を与えることになる。豊かな国においては、20歳から64歳までの労働人口が65歳以上の人の年金を支える。現在は3人で1人を支える勘定だが、これが2050年までには2人以下で1人を支えることになる。「ということは、税金は高くなり、退職が遅い人は年金の掛け金に比べて給付がより低くなり、たぶん政府は財政危機を迎えることを意味する」。

人口が急速に減っているのは日本だけではない。むしろ世界的な現象なのだ


そうした人口動態から生じる問題は、かなり前から予測できるので、政策を変更することができるはずだとの指摘は常にあった。しかし、まさにそうした年齢構造の変化が政策の変更を阻止する傾向を生み出す。高齢化した国々は新しい試みに積極的でなく、またリスクをとることを回避しようとする。年老いた有権者は政治的に硬化してしまう。しかも、経済成長についてみても、高齢者には若い層に比べて利益になることが少ない」。

こうした記述を読んでいれば、これまで日本で指摘され議論されてきたこととまったく同じで、「なんだ、日本だけじゃないんだ」と思って救われたような気になる人も多いだろう。しかし、はるかに深刻なのはこれが一国で起こることではなく、世界の多くの国で起こりつつあるということにある。そして、こうした問題が指摘されたときに登場してくる議論もまた同じようなものだ。

いわゆる保守派が日本で唱えた「解決策」のひとつが、核家族化したから社会的に分裂が生じたのだから、これからは伝統的な家族が同居する大家族になればいいというものだった。これは日本の場合には2つの意味で間違っている。第1に、日本における「伝統的家族」というのは「大家族」などではなく、江戸時代を見ても、また、明治・大正時代を振り返っても、両親の子供たちからなる「核家族」が中心を占めているのが日本の「伝統」だった。

日本の衰退はパテント取得競争にも現れている? ジ・エコノミストは技術開発に取り組む高い教育を受けた若者が、急速に減っていることが原因だと示唆している。それは世界的な高い教育を受けた若者が不足すると何が起こるかを予告しているというわけだ

 

第2に、これは日本でなくても生じる問題だが、かつてのように子供が大勢生まれれば、これからの人口動態によるマイナスの効果が消滅すると思いがちだが、実は、これもそうではないのだ。たとえば、いまの他の制度をそのままにして、大勢の子供を作ったとすれば、その子供たちを育てる費用が膨大なものとなり、社会的費用の割合は急増していくことになる。ということは、「子供を多く作ることが可能だとしても、育てる費用(の多く)は他人に払わせることになるわけだ」。

いっぽう、リベラルと自称する人たちが主張しがちな、世界の途上国から移民を受け入れた時にはどうなるか。これもいま日本で論点のひとつになっているが、この場合も問題は簡単ではないと同誌は指摘する。まず、そもそも豊かな国が受け入れている移民はいまやピークを迎えており、移民を送りだしている国のほうが経済を拡大しようとすると、労働力不足に直面することになる。おそらく今世紀の中頃には、特に、世界的に教育を十分に受けた若い労働者の不足は、深刻なレベルになるという。

人口減少問題は長期的には有無を言わせずに影響を生み出す


世論調査などで子供がもっと欲しいかと質問すると、たいがいの国では「ほしい」と答える人が多いが、その人たちが実際に子供をつくるかといえばそうではない。願望と現実の間には深いギャップがあり、そこには複雑な制度的問題や政策の失敗が存在している。その複雑さと解決の難しさは、たとえばシンガポールを観察すれば歴然としている。この国では思い切った補助金、税制優遇策、子育て支援を打ち出してきたが、出生率はなんと1.0に低下したままなのだ。

人口動態に付随する顕著な現象に「豊かになると、ますます子供をつくらなくなる」という傾向がある。経済成長を遂げたのちに、豊かな社会が到来すると、不思議なことに、二人だけの家庭を守りたがるという人達が多くなるのである。シンガポールや韓国などでは、若い人たちがビジネスを優先するからという指摘もあるが、では、彼らがビジネスにかける時間やエネルギーを減らせば子供が増えるのかといえば、豊かさを損なうリスクが増大するだけで、必ずしも問題は解決しないのではないかと見られている。

もうひとつの問題は、まだ「豊か」とは言えない国が、国策として若い人たちを支援して、高い教育や技術を与えると、彼らは自国には留まらずより給与のいい「豊か」な国に移民となって行ってしまうという現象もある。これもまた、若者たちを自国に縛り付けることができない限り、阻止できない現象であり、結果として優秀な若い労働者に不足するということになるわけである。おそらく、この問題の深刻さが増すと、移民を送り出すことを禁止する国が出てくるだろう。

The Economistより


同記事は最後に、ハイテクノロジーがこうした若い労働力の不足を克服できるようにならないかと希望的観測を提示している。ハイテクは若い人たちを快適にはしないが、高齢者にはサポートになるとみているようだ。18世紀英国の経済学者マルサスが『人口論』で、農業の生産力上昇より人口の増加の速度が上回るので、早晩、世界は危機に陥ると指摘したが、結果として、農業革命が起こってこの危機は回避されたように、今回も人口動態から生じる危機がハイテクによって回避できないかというわけである。

しかし、問題点を指摘する鋭さに比べて、その対策を提示する鈍さにあきれるだけのことで、ハイテクとかAIとかが問題を解決すると思うのは、あまりの楽観というべきだろう。ハイテクとかAIは、新たな危機を生み出す危険性もあることは、いまさかんに論じられているとおりである。少なくとも技術や知識を身に着けた者には有利になるが、そうでない人は職を失うとの憂慮は大きくなっている。

さらに同誌は、先述のようにマルサスをひっぱりだして、彼の予言は外れたということで、希望的観測を引き出そうとしているが、マルサスの『人口論』には農業生産性についての憂慮だけでなく、もうひとつ大きな予測も記述されていた。それは豊かな社会が到来すると、かなりの割合の若い夫婦が子供をつくらなくなるというもので、これはいまのところ的中しているように思われる。すでに他国に先駆けて豊かになった英国とくに大都市では、「いまの豊かさを失わないために子育てをしない」という若者たちが多く登場していた。

どんな問題でもテクノロジーが解決すると思わないほうがいい


しばしば、日本ではいまの経済的な停滞を「人口ボーナス」の消滅によって説明してきた。つまり、生産年齢である15歳から64歳までの人口が、他の人口の2倍を超えることによって生じる余裕が経済成長を促したが、それが逆に2倍以下になったことによって、日本経済は下り坂になったというわけである。

これも大きな原因だろう。しかし、豊かな社会を現出した国が子育てをしなくなる理由は、必ずしも人口ボーナスだけでなく、さらに、その解決策もきわめて複雑で逆説に満ちた現象に出会うことになる。そしてまた、ジ・エコノミストの記事が示唆しているように、それが世界的な現象になっていることからすれば、根本的な解決は実はかなり難しい。

繁栄を目指して豊かになろうとしてきたが、まさに繁栄をしはじめたときから、人間はその繁栄を失うさまざまな問題に悩まされるようになる。それはまさに「業」のようなものであって、繁栄を目指して技術を進歩させてきたこと自体がその原因となりうるのだ。このような問題に対してハイテクやAIが果たす役割は、残念ながらきわめて少ない、あるいは逆に加速するだけだと見ておいたほうがいいのではないだろうか。