HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

金融庁の『高齢社会』報告書をめぐる混乱を楽しむ

もうほとんどオコの沙汰といってよいレベルまで堕落したのが、金融庁が発表した報告書「高齢社会における資産形成・管理」をめぐるドタバタである。

わたしも前期高齢者で、また、周囲には後期高齢者も多くいるので体験的にいえば、この報告書はそこそこ納得できるものだ。むしろ政府にとって「不都合な事実」は目立たないようになっている。ところが、野党は「上から目線」とか分けの分からないことを言っているし、与党などは「あれはなかったもの」などと述べて、この世には存在しなかったものだと言い始めている。

f:id:HatsugenToday:20190612172013j:plain

いちばん面白いのは自民党政治家の反応だが、まず、順序からいって野党についていえば、ああいう報告書が出たらやるべきことは、政府の方針には批判的な学者や評論家の協力をあおいで、事実誤認や推論の甘さ、さらには現状是認の怠惰をとことん追求して、自分たちが考える高齢社会像をぶつけていくことだろう。それができないのは、貧して鈍してしまい、協力してくれるブレーンもなければ、自分たちの頭もまるで動かなくなったからである。

いっぽう、自民党だが二階俊博幹事長が激しく批判して「撤回をもとめる」と言ったのに始まって、萩生田光一幹事長代行が「評価に値しない」と強圧的に否定し、ついに森山裕国会対策委員長になると、「政府は受け取らないと決断した。報告書はもうない」と述べてしれっとした表情をみせている。それまで、わたしはこの混乱を憤りをもって眺めていたが、ここまでくれば、もう笑うしかない。

これはよく知られたことだが、砂漠でくらすダチョウは危機に瀕すると首を砂の中にうずめて、怖いものをみないようにする。また、タヌキは闘ってもかなわない相手に襲われそうになると、突如、死んだようになって動かなくなる。これが「タヌキ寝入り」の語源である。

こうした動物たちの反応は、いちおうの説明がなされている。危機に正面から向かっていって、その結果、大けがをしたり死んだりするより、対決を回避することによって無視される可能性にかけて、サバイバルしようとするのだという。そういわれてみれば、二階さんはダチョウにみえてくるし、森山さんはタヌキに見えてくるではないか。これも一種の「危機管理」なのかもしれない。

この報告書で問題になった箇所は、どこかといえば次の部分である。

「夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職の世帯では毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ20~30年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で1,300万円~2,000万円になる」

ここの「約5万円」という数値は、べつに破滅的なものではない。「65歳時点における金融資産の平均保有状況は、夫婦世帯、単身男性、単身女性のそれぞれで、 2,252万円、1,552万円、1,506万円」であるのに対して、現在の「高齢夫婦無職世帯の平均的な姿で見ると、毎月の赤字額は約5万円」だから、多く見積もっても2,000万円。この赤字分は「金融資産で補填」する、つまり貯金を取り崩すことになると言っているだけのことだ。

したがって、平均値で考えていくかぎり(これも実は甘い話だが)、国民には何とか蓄えがあることになるから、自民党は「こうした状態を維持してきたのは、わが党である」と威張っていればよかった。それなのにダチョウになったりタヌキになるから、いまの自民党がおかしなアニマル・ファームであることが知れてしまうのである。

 こうした報告書に対して、野党がヒステリックに批判するのは、来るべき参院選における争点が欲しいという、悲しい事情があるからだろう。そして、この報告書の記述が意外な波及力を見せて広がっていることに、異様に与党が慌てるのも、これまたご都合主義的で健気な「必勝自民党」の頸枷が存在するからであろう。

露骨なのは萩生田幹事長代行であって、「金融庁がなぜこの時期(参院選前)に、何を目的でこの報告書をつくったか、明らかにしてほしい。不安を払拭できるように、政府といっしょになって説明して、参院選で誤解のないように対応していきたい」などといっている。

この政治家は、いまの日本の「高齢社会」そのものを「誤解」ということにして、ともかく参議院選で順当に勝つだけの、狡猾なキツネ(ちょっと太った)となり果てている。これではとてもじゃないが、将来も百獣を率いるライオンにはなれない。

そもそも、安倍首相にしてからが、国会でこの報告書について質問され、疲れたロバのような顔をして「不正確であり誤解を与えるものだった」などと答弁しているが、これこそ不正確であり誤解を与える。いまの高齢夫婦の平均像について何も知らないし、知る気もないと言っているに等しい。

しかし、アニマル・ファームから目を転じて、現実をしっかりと見つめようとすれば、私たちはやはり厳しいデータと直面することになる。高齢者は、老後のイメージをこれまでの高齢者の状態を見て形成しているが、そのイメージがすでに成立しないことを、この報告書は冷酷にも指摘している。

公的年金とともに老後生活を支えてきた退職給付額は近年減少してきている。……定年退職者の退職給付額を見ると、平均で1,700万円~2,000万円程度となっており、ピーク時から約3~4割程度減少している」

そして、さらに注意すべきは、こうしたシリアスな事実に関して「退職金の給付額を把握した時期について、約3割が『退職金を受け取るまで知らなかった』、約2割が『定年退職半年以内』と回答している」というのである。つまり、けっこうぼんやりしたまま、定年を迎えているわけである。

私はこの報告書を称賛して「金融庁は偉い」と言いたいわけではない。それどころか、これを作成した「金融審議会 市場ワーキング・グループ」には、(立場は異なるが誠意があるという意味で)立派な経済学者が含まれているものの、金融関係者や投資会社筋の人間が見られるのは(この種の報告書の性格からして、まあ仕方ないとはいえ)大変気になるところである。

すでにインターネット上では、「よろこんでいるのは資産運用アドバイザーだけではないか」との妥当な論評もある。高齢者およびその予備軍の「不安」を煽ってもらえればビジネスに結びつくというわけだ。「失われた三十年」といわれた日本の長期不況が「老後にたいする不安」によるものであるという説を、まあまあ支持してきた私としては、これもある程度納得できる。

この報告書は、「新しい経済理論で無限大の福祉政策を」といった根拠のない楽観主義者や、手放しで「年金だけで暮らせる」などと主張する評論家などの能天気より、ずっと現実を見ようとする気力を感じさせる。さらに、これから活性化される「老後資金運用」の市場にたいする警戒を促すという点でも、はるかに有益である。ともかく、少しでも現実を直視することが必要なのだ。

とはいうものの、これからあたふたと選挙戦に入っていく政治家たちに、そんな常識的なことをいっても意味ないだろう。当面は、アニマル・ファームのドタバタ劇でもみて、楽しむしかないようである。