HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

流行りを追うだけなら学者はいらない:浜田宏一氏への疑問

エール大学名誉教授で経済学者の浜田宏一氏が、安倍晋三首相にMMT(現代貨幣理論)についてレクチャーして、主流派も財政については、これまでと違う解釈を行うようになっていると述べたそうである。まあ、アメリカで活躍していた一流の経済学者のいうことだから、まったく根も葉もないことをいっているわけではなかろう。

しかし、すでに浜田氏は金融超緩和策であるインフレターゲット政策推進のアイドルとして政権の中枢近くに鎮座し、この政策がうまくいかないことが明らかになると、こんどは財政出動を正当化するシムズ理論に飛びついた人物である。そしていま、アメリカでMMTが評判になると、こんどはMMTを支持しないまでも、方向性は間違っていないようなことをいう。

以下に再掲載するのは、いまはなき『新潮45』2017年4月号に寄稿した拙文で、「経済学者よ腹を切れ」とかのタイトルがついていたが、読んでいただければ分かるように、経済学者が腹なんか切っても何にもならないのである。それよりも、日本を代表するような経済学者にしても、思想や学問の流行を、そのときの政権に都合のよいように輸入する、輸入業者でしかないことを確認していただきたい。【以下、再掲載】

 

安倍晋三政権の内閣参与を務める経済学者・浜田宏一氏の「宗旨替え」ショックは意外と大きく、憤りを隠せない関係者も多い。政権が生まれてからずっと金融緩和を推奨してきたのに、効果があまりないと分かると、こんどは財政出動だと言い出したのは、あまりに節操がないというわけだ。

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批判が向かっているのは浜田氏だけではない。たとえば、アベノミクスの一本の柱であった「インフレターゲット政策」が、経済学の到達点のように煽っていたある経済学史学者は、いつの間にか「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んでマスコミから姿を消している。

こうした状況を鑑みれば、「経済学者たちの責任感はどうなっているんだ」と糾弾したくなるのも無理はない。私のような経済政策を論じてきた人間などは、「経済学者よ腹を切れ!」と叫びたいくらいなのだ。

 しかし、ちょっと踏みとどまってあれこれ考えてみれば、そもそも「腹を切る」というのはいったい何が目的なのだろうか。いくつか説があるが、有力な説によれば「私の腹のなかには邪悪なものはない」と天下あるいは主君に向かって示すのであるという。

だとすれば、経済学者の誰かが何かの拍子に切腹してくれる前に、その腹から何が出てくるのか考えておいたほうがいい。エイリアンみたいな黒い化け物だったとき、腰が抜けないためにも準備が必要なのである。

ついでだから、このさいもっとも根本的なことから始めることにしよう。そもそも経済学とはいったい何なのか。現実の社会にとって経済学は何ができるのだろうか。まずは、当事者たちに聞いてみよう。

若者に人気のある経済学者ポール・クルーグマンは、ノーベル賞をもらった直後の講演で「現代経済学は、よくいって驚くべき無能をさらし、悪く言えば事実上の加害者でありつづけてきた」と述べて衝撃を与えた。自分を棚に上げてよく言うよと思うが、この経済学者の本音でもあるだろう。

また、英国のノーベル経済学賞受賞候補ジョーン・ロビンソンは「経済学を勉強する目的は、どうしたら経済学者にだまされないかを学ぶことにある」といっていた。なぜなら「経済学説というものは、常にプロパガンダとして提示される」からだというのだ。

「無能」で「加害者」である経済学者たちが言い出す経済政策は、「だます」ための「プロパガンダ」なんだというわけである。この点、クルーグマンが尊敬措くあたわざる人物と考え、ロビンソンが教祖のように崇拝したあのJ・M・ケインズこそ、実は、こうした現代経済学者の原型であるといってよい。

2008年のリーマン・ショック以降、急速にケインズ経済学が再評価され、ケインズ自身も聖人のように扱われ始めたが、それ以前の30年間、ケインズは「忘れられた歴史上の人物」だった。彼は大学の研究室棟の隅っこにある経済学史教室のなかで、「こういう人もいたよねえ」という感じで扱われるマイナーな存在にまで落ちていた。

そうした扱いも仕方なかった面がある。経済学の中心地であるアメリカ合衆国で、1970年代に生じたスタグフレーション(不景気とインフレの複合現象)を前にして、当時のケインズ経済学派のボス、ポール・サミュエルソンは何ら有効な手を打てなかった。

しかも、ケインズという人は、何かと問題含みの言動が多かった。国際経済学キンドル・バーガーはある著作で「通貨と貿易に関するケインズの見解は時期によって少なくとも3つあった」と言っているし、ケインズに批判された政治家のチャーチルは「5人の経済学者に意見を聞いた。大きく異なる6つの説があった。そのうちの2つはケインズ氏のものだった」と皮肉った。

いまや経済学史に燦然と輝く『雇用、利子および貨幣の一般理論』を、1936年に発表して、「熱病のように」自説を世界中の経済学者に感染させてからも、ケインズは状況しだいで平然と別の経済政策を語った。

大戦中にアメリカを訪れたさい、戦時経済におけるインフレ対策を語って、『一般理論』信奉者の米高官に反論されると、「おや、君は僕以上にケインジアンなんだね」とからかった。若きフォン・ハイエクが「『一般理論』は誤解を招きますよ」というと、ケインズは「なあに、そのときには馬鹿を説得する本を書いて、こんな風に世論を」といって指をパチンと鳴らし「変えてやるさ」と嘯いた。

こうしたケインズの『一般理論』にある欠陥を指摘して登場したミルトン・フリードマンは、1970年代から「マネタリズム」を掲げ新自由主義の祖としてアメリカ経済学界に君臨した。では、彼が提示した政策が成功したかというと、意外に思う人もいるかもしれないが、ほとんどが駄目だったのだ。

経済の成長に沿って通貨供給を調整するだけでいいというマネタリズムは、英国のサッチャー政権が採用したが、ほどなく現実的でないことが分かって放棄された。彼が「貿易不均衡が解消する」といって提示した変動相場制は、実際にはまったく貿易不均衡を解消しなかった。フリードマンの市場信仰は、ウォール街に都合のよい金融界の教義としてもてはやされてきただけなのである。

現象だけをみれば、新しい経済学説というものは、それが正しいから広がるというよりも、そのときどきの不幸を救済してくれそうなので流布するようなところがある。それでは経済学というのは新興宗教じゃないかと思った人がいるかもしれないが、その通りで、アメリカのロバート・ネルソンという経済学者は『宗教としての経済学』という分厚い本を書いているほどだ。

ネルソンは経済官僚だったが、経済政策を国民に説明しているうちに、経済学というより宗教による救済を説いているような気持ちになったという。そこで経済学史を振り返ってみれば、「わたしの言うことを聞けば、あなたがたは幸福になれる」という宗教的な論理構造が、マルクス経済学に留まらないことに気がついた。「信じよ、さらば救われん」はケインズ経済学でもフリードマン学説でも同じだったというわけである。ネルソンの説は一定の条件をつければ正しいと思う。

そもそも、最先端の経済学説を国民に完璧に理解させるということは不可能だ。いや、それどころか、最新の経済学説ほど分かりにくいものはないといっていい。それでも国民に受け入れさせようとすれば、それはほとんどスネーク・オイルを売る(偽物をだまして売る)行為に限りなく近づく。

そうした意味で、アベノミクスの金融政策を支持した浜田氏について私は、むしろ弁護したいほどなのである。日本銀行黒田東彦総裁は、科学哲学者カール・ポッパーの翻訳者としても知られ、新学説に対しては慎重なはずなのだが、どういうわけか検証が不十分だったクルーグマンの「インフレターゲット政策」に「帰依」してしまった。

1998年に登場したクルーグマンによるこの説は、日本経済は金利をゼロにしても景気を刺激できなくなったから、日銀総裁が金融緩和をしながら、「これから日本をインフレにします」と宣言して、国民に「インフレ期待」を醸成するというものだった。

ただし、クルーグマンも馬鹿ではないので、こんなことをするのは、中央銀行が制御できるお金「マネタリーベース」を増やしても、世の中をめぐるお金「マネーストック」が増えないことが分かっているからだと断っていた。しかも、インフレにすると宣言してそれを15年も続ければデフレから脱却できるかもしれないと述べ、財政出動も放棄しないという留保をつけていたのである。

したがって、安倍政権が浜田氏を金融政策についての内閣参与にしたという話を聞いたとき、私は首をひねった。なぜなら、浜田宏一教授は、クルーグマンインフレターゲット説にはかなり否定的だったからである。浜田教授は次のように言っていたのだ。

「人々がインフレ期待を持ってしまうと、名目金利が上がり、実質金利も下げ止まって刺激効果が失われる。このような錯覚を利用した政策でクルーグマンのいうように人々を15年間もだまし続けることが可能だとは、私にはまったく思えない」(『週刊東洋経済』1999年11月13日号)

 このとき、浜田教授は正しかった。そしてまた、経済政策には「だまし続ける」という要素があることもちゃんと分かっていた。当然だろう、泣く子も黙る米経済学界において地位を確立した稀有な日本人だったのだから。したがって日銀副総裁となった岩田規久男氏が15年ではなく2年でといい、当てにならないマネタリーベースを指標にすると論じてもじっと我慢をして「2年なら、2年くらいなら国民をだましてもよい」と自分に言い聞かせたのだろう。

 こんな人格者に対して安倍首相の待遇はひどいものだった。インフレターゲット政策があんまり効かないと分かり、伊勢志摩サミットを機に財政出動に切り替えようとのプランが浮上したとき、アメリカから有名経済学者のクルーグマンやスティーグリッツを呼んで意見聴取している。浜田氏はもうお払い箱だと国民に宣言したようなものだった。

浜田氏は前出の論文を書いて以後、インフレターゲット政策について「ことによるとやむをえないのかな」と揺らいだこともあり、安倍内閣の参与となってからは「信者」のふりをしてきた。しかし、それまでの輝ける経歴に恥じないためには、日銀の岩田副総裁や原田泰審議委員のように「トゥルー・ビリーバー」にはなれなかったのだろう。

ここにきて、トランプ大統領が大規模な財政出動をやると言い出した。インフレターゲット政策の片棒をかついできた経済学者や経済評論家は、空気の変化を察知して「日本には巨額の国有財産がある」と叫び出している。だから財政出動がいくらでもできるというわけだ。しかし、この議論も20年前からのもので、埋蔵金といわれるものを一般会計に入れるのは1回きり、土地・建物はせいぜい賃貸料くらいしか期待できない。

こうしてみれば、私も多少の反省をしながら書いているのだが、経済学者に切腹させても意味がないのである。というのも、もうおわかりだろうが、日本の経済学者の腹のなかには、実は何にも入っていないからだ。入っているとしても、こずるい偽信者という奇形的な虫か、学説の買弁商人という気持ち悪いミミズが這い出てくるだけなのである。

【以上、再掲載】この文は発表されたとき、多少は話題になって「おまえこそ、腹を切れ」とかの批判もされた。ろくろく読んでいないのだ。それはいつものことで驚きはしなかったが、わたしが驚いたのは、ほめてくれた人間が、浜田氏についてわたしが心から同情していると思ったことである。今回の再掲載でも、同じような勘違いをしてくれる読者もいるかと懼れるので、どっちらけを覚悟で、そうではないと付け加えておく。

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