いよいよ消費税増税が現実のものとなりつつあるなかで、増税に反対する議論も盛り上がりをみせている。そのいっぽうで、日本の政府負債が対GDP比で230%に達していることから、財政破綻への恐怖がこれまで以上に高まるとともに、自国通貨でファイナンスすればデフォルトしないと主張するMMT(現代貨幣理論)が台頭している。
すでにインターネット上ではデフォルトやインフレについての議論が盛んになっていたが、最近は雑誌やテレビでも繰り返し取り上げるようになった。それ自体はけっこうなことだが、見てみると怪しげなものが少なくない。ことに「デフォルト」や「インフレ」の意味については、自分の議論に有利なようにいいかげんな使い方をする例が見られるのである。
わたしが何より驚いたのは「デフォルトした国家はない」という主張で、しかも「専門家に聞いたが、答えなかった」なとど続き、いかにも自分の説が正しいかのような印象を与えている。これなどほとんどペテンといってよいものであるのは、以下を読んでいただければ明らかになるだろう。
また、インフレについての議論も、インフレターゲット政策をめぐる論争でおなじみだが、このときの主張のなかに「インフレターゲットなどやればハイパーインフレが起る」というものがあった。もちろん、これはあまりにも大げさな話といえる。ところが最近は、MMTの支持者から出てきたものだが「本格的なインフレは戦争や内乱でもなければ生じない」という説で、「もしインフレが起ったら増税すればすぐ沈静化する」というオマケがついている。
こうした混乱や欺瞞が起るのは、自説を信じるがゆえに(あるいは日本を思うあまりに)、ややドライブをかけているうちに、引くに引けなくなるという罠にはまったのかもしれないが、ともかく言葉の意味を出鱈目に(あるいは超ゆるく)使っていることが最大の原因であると思われる。
まず、デフォルトから見てみよう。デフォルトというのは一般的な(まともな)用語法では、債券を発行しておきながら、その償還日が来たのに契約どおりに償還できないことをいう。最初の契約で、たとえば2019年7月1日に10%の利子を付けて償還するとあったのに、償還が10月1日になってしまうのも、また、10%が5%になるのもデフォルトである。
もちろん、こうした場合は「リスケジューリング」を行うことによって条件を変えることも行なわれるが、この「リスケ」を行ったとしても債券の発行元の信用が下落して、以降の利回りや債券の信用に大きな影響を与える。だから、政府も企業もデフォルトを起こさないようにすることにおいて変わりはない。しかも、政府がデフォルトを起こした例は枚挙にいとまがないほどなのである。
それなのに「デフォルトを起こした国家はない」などというのは、どうも、MMTの理論家がドライブをかけて論じていることに起因しているのではないかと思われる。MMT理論家であるL・R・レイの著作のなかに「デフォルト(政治的な理由は別として)を起こした国家はない」とあり、また、1998年のロシア国債のデフォルトなどもリスケによって大事にいたらなかったように書いてある。
しかし、償還期限がやってくる前にリスケを発表するのも、また、デフォルト間際の国債に群がるハゲタカ(ヘッジファンドなど)たちと秘密裏に取引するのも、十分に政治的な理由のデフォルトなのである。ロシア国債のデフォルトについてレイは、このケースに詳しいという人物の説を採用しているが、この人物は元ウォール街のディーラーで現在はMMTのプロパガンディストであって、嘘ではないにしてもロシア債のデフォルトを悲惨な話として語らないのは当然のことなのである。
ロシア国債は1998年の4月には利回りが150%(!)になるが、これは首相に就任したゼルゲイ・キリエンコが打ち出した、政治的理由による国債消化のための対策であった。ここまできたら、償還期限を迎える以前にデフォルト同然といってよい。そして、同年8月にはキリエンコ首相が90日間支払い停止をしているのだから、もう立派なデフォルトである。もちろん、ロシア国債はルーブル建てつまり自国通貨建てであった。
これはロシア国債のデフォルトそのものの話ではないが、このとき、デフォルトの煽りをうけて、ノーベル賞受賞者2人を抱えるヘッジファンドLTCMが破綻したことで、国内の金融機関に1兆ドル規模の損失が生まれる危険が生じ、アメリカのFRBは金融機関に「奉加帳」を回して事態を収拾したことは、いまも語り草になっている。
さて、デフォルトについて、こうしたゆるい(あるいはペテン的な)議論をしているいっぽう、日本国債の破綻を憂慮している人たちが、ちゃんとした厳密な専門用語の使い方をしているかというと、あきれたことにこれまた驚くべきほどにいいかげんなのである。
たとえば、日本で財政破綻が生じた後のことも考えようとのコンセプトで編まれた論文集の序文で、編者はこんなことを書いている。「本書における財政破綻とは、さしあたり『穏やかな(2%程度以下の)インフレ率のもとで、正常な(4%程度以下の)名目金利を維持できない状態』を指すとしておきたい」。
ええ? こんな平穏そのものの状態を少しでも外れただけで、日本は「財政破綻」と呼ばれてしまうのかと驚いた(呆れた、あるいは笑った)読者は多かったのではないだろうか。これでは最初から、財政破綻とその後の対策を論じようという気がないと言われてもしかたないだろう。
しかも、こうした条件を提示するにあたっては、日銀が円建ての日本国債の下落を買いささえてくれるので「デフォルトは起きない」と述べていながら、そのいっぽうで日銀が国債を買いすぎてインフレが起ると、国債を買うのをやめなくてはならなくなるなどと書いている。そのインフレとは、なんとたかだか2%なのである。
この編者はすでにMMTに改宗してしまっているのか、あるいは本気で財政破綻を論じようとしていないのではないのだろうか。どうかんがえても、この人はやっぱり変じゃ、ないのか。いずれにせよ、国家が消滅しないとデフォルトでないように述べたり、2%のインフレで名目金利が4%になると財政破綻では、議論にも何にもならないだろう。
さて、デフォルトはこのくらいにして、インフレというものがどのように論じられているかを見てみよう。まず、MMTの前出L・R・レイだが、当然、例としてあげているのがワイマール共和国、ジンバブエのハイパーインフレ、さらにブラジルなどで起った高インフレである。
レイはフィリップ・ケイガンの50年代の論文を持ち出して、ひと月で50%以上のインフレ率があったときはハイパーだという説をいちおう提示はしている。(ワイマールでは1兆マルク=1レンテンマルクの交換率でハイパーを終息させた)。しかし、レイが言いたいのは、これらは戦争か内乱といった、異常事態があったから生じたのであって、「レア(ごくまれ)」な事態だということである。これは日本のMMT派もそのまま踏襲しているようだ。
しかし、私たちが何より関心をもたねばならないのは、こうした好事家が喜びそうなレアものではなく、多くの国が体験した戦後におけるインフレと、さらに70年代に世界が体験した、いちおう平時のインフレーション問題であろう。
たしかに、ワイマールは高額な戦争賠償金を課されたことが大きかったが、第1次大戦に勝ったほうのフランスなども、経済回復を焦って国債の中央銀行直接引き受けを繰り返し、年率300%のインフレを生みだし、ポワンカレ政権が一時下野している。日本の第2次大戦後はもっと悲惨で500%にまで達した。もちろん、これらも「戦争が関係していました」といえば、それはそれでレアだということはできる。
では、70年代の10~20%台のインフレはどうなのだろうか。もちろん、1兆倍のハイパーインフレや数倍の高インフレとは異なっていて、国家そのものが危殆に瀕することはないかもしれない。しかし、アメリカでは70年代のインフレは12%に達するだけでなく、不況とセットの「スタグフレーション」となり、ケインズ派経済学者たちの無力をさらして、彼らの退場をうながした。
これも「ベトナム戦争でした」といえば説明したことになるかもしれないが、平和な日本でも10%を超え、石油ショックの年には23%のインフレを記録し、大衆に人気のあった総理大臣が、あっという間に辞任に追い込まれることになる。(田中角栄はロッキード事件で辞任したのではなく、インフレへの反発があったのに加えて、それを背後で煽っていた巨魁と見なされ、金脈問題で辞任したのである。最近の若い人のなかには、事態の前後を取り違えている人がいる)。
わたしは、このインフレが起ったころ東京で浪人をしていたが、しばらくパチンコで取ったボンカレーを食べ続け、それが切れたので定食屋に行ったところ、1週間前まで180円だったサンマ定食は250円になり、250円だったとんかつ定食は380円になっていた。このインフレは日本の場合数年で鎮静化に向かうが、この程度のインフレでも世界中の大問題であり、普通の家庭にも大きな影響が生まれ、喫緊の政局問題となることを、「デフレ憎し」で育った人には理解できなくなっている。
MMTが「インフレが起ったら増税すれば終息する」と言っていることについては、アメリカでは新古典派もケインズ左派も激しく批判している。新古典派の一部は、インフレが起ってもそれは不況といっしょの「スタグフレーション」だろうから(ケインズ派と同じだと思っているらしい)、そもそも国民に支持されないだろうと述べている。いっぽう、ケインズ左派の中には「せっかく金持ちからお金を取れるツールを、国民一般への増税という形にするのは馬鹿げている」と、露骨に政治色を発散させて論じている経済学者もいる。
もうひとつ、このインフレに対する増税による抑制策には、大きな欠陥がある。インフレ率というのは、経済の先行指標ではまるでないということだ。20%台のインフレだって、起ってしまってからあたふたするから、後手後手にまわる。ましてや、それから「増税いたします、さあ、法案です……」なんてやっていて間に合うわけがない。MMTの議論というのは、いつものことだが論理的には可能なように見えて、実際には現実ばなれしている。
(この問題は、「コモドンの空飛ぶ書斎」で連載中の「MMTの懐疑的入門」でもやることにしたい)