イスラエルとヒズボラの間に停戦が成立した。もちろん、これで中東に長期的な平和が来たわけではない。この停戦が、おそらくはイスラエルによるイラン爆撃の華々しい成果によるものであることを考えれば。むしろ、中東のパワー構造が大きく変化していくわけで、その行先はまだ予想できない。当面のイスラエルの優勢があっても、中期的には不安定性は増していると考えたほうがよいだろう。
バイデン米大統領によれば少なくとも6週間は停戦となるという
米外交誌フォーリン・ポリシー電子版11月27日付が「イスラエルとヒズボラの停戦にある5つの問題点」を掲載して、いまの停戦がいかに不安定なものであるかを改めて指摘している。筆者はダニエル・バイマンで戦略国際問題研究所上級研究員かつジョージタウン大学教授。まず、ヒズボラについて簡単なおさらいをしておこう。日本人には分かりにくい話だが、ヒズボラはレバノンの中にある「国中国」のような存在で、ヒズボラの軍隊とレバノンの軍隊は別々に存在している。そして、強さからいったらヒズボラが圧倒的だった。
ヒズボラの兵力については、イスラエルとの戦争開始時でみると、ロケット弾とミサイルが15万発、常時戦闘員3万人、予備兵力2万人、そしてレバノン国内に要塞のネットワークがあり、いったんイスラエルと本格的な戦争を始めればそのパワーを見せつけるのではないかと書いていた人もいた。しかし、実際にはイスラエルの最新兵器と諜報戦略の前には歯が立たなかった。今回の停戦はこのヒズボラとイスラエルとの間の停戦で、その保障のためにレバノンの軍隊を同国南部に配置して、停戦協定の監視をさせるというわけである。
バイマンが挙げる5つの問題点のうち、第一の問題は「イスラエルはヒズボラにどれほどの損害をあたえたのか」。日本ではヒズボラの怖さを指摘するマスコミ記事は多かったが、それは欧米のジャーナリズムもほぼ同様で、原因としては2006年の戦争のさいにイスラエルが苦戦したこと、シーア派であるがゆえに何か特別なメンタリティがあるのではないかとの予想、そして、判官びいきのような少数派への複雑な同情もあったような気がする。
ここは大事なところなので、なるだけ客観的に読んでおこう。「イスラエルはヒズボラに対して連続的な破壊的攻撃を行い、同組織のパワーを大幅に弱めてきた。9月には諜報活動を展開してヒズボラが所有するポケットベル、トランシーバー、ノートバソコンに爆弾をしかけて爆破し、多くのヒズボラ戦闘員を殺害、負傷させた。また、カリスマ性を備えた長年のヒズボラ指導者であるハッサン・ナスララを含む幹部、上級副官などをシステマティックに殺害した。さらにイスラエルは空幕によってヒズボラ戦闘員を数百名殺害している」。
トランプは何もしないことで世界を不安定にするのだろうか
そこから出てくるのが、第二の問題の「ヒズボラは再軍備できるか」である。2006年の戦争後、イランはヒズボラに資金と軍事援助を注ぎ込んだ。イランはヒズボラをイスラエルに対する最前線の同盟国あるいは代理戦争勢力と考えており、もうひとつの同じ存在であるハマスが壊滅状態にあるいま、イランにとっての戦略的価値は高まっている。したがって、イランはいまの自国の状況にかかわらずヒズボラに援助を続けざるを得ない。もうひとつの潜在的な支援国はロシアで、これまでもシリアなどで間接的に支援しており、またロシアはイランに対しても接近していることからすれば、状況によっては支援を強化するかもしれない。
この点でも、イランの動向が注目されるわけで、第三の問題である「イランは代理勢力の喪失にどう対応するのか」が問われることになる。ガザ地区でのハマス、レバノンでのヒズボラの戦いは、イスラエルの圧倒的な勝利だったことは明らかだ。また、イランもイスラエルと直接戦った結果をみれば、これもイスラエル優勢の一方的な結果が生じている。特に、イスラエルが見せつけたのはミサイルに対する防御能力で、それに比べてイランの防御能力はみじめなものだった。
イスラエルは兵営国家であることを露骨にさらしている
「いま生じている大きな不確実性は、イランがこうむった損失とトランプ新政権の敵対的姿勢が、イラン政府を核兵器開発に向かわせることになるかどうかだ。テヘランはすでに核兵器開発に成功しつつあるとアメリカの情報機関は今年7月に報告している。それによれば『イランはウラン備蓄の規模を拡大し、ウラン濃縮能力を高め、最新式の遠心分離機を開発、製造、運転を継続している。テヘランが核兵器製造を目指した場合、複数の施設で原爆級濃度のウランを迅速に製造できるインフラと経験をすでに持っている』という」
では、イランにとってハマス、ヒズボラの後退は何を意味するか。ここで出てくるのが第四の問題である「イスラエル人やレバノン人は故郷に戻るのか」。あるいは彼らは戻れるのか。イスラエルがレバノンに攻め込んだのは、避難民となったイスラエル人を自国に帰還させるという名目によってだった。そしてまた、レバノン人も自国の南部に戻るにはこの地域の安定化が必要だろう。
しかし、バイマンは、しばらく双方の民間人は帰国に慎重な姿勢を見せるだろうと予想している。イスラエル人は昨年10月7日のハマスによる民間人虐殺で、同国情報機関および軍隊への信頼を失っており、また、レバノン人も自分たちの身を守るためには、安全が長期に確保されることが必要だからだ。たとえば、彼らはヒズボラの自国南部への帰還は、ふたたびイスラエルの空爆を誘うことになるだろうと見ているという。
軍事だけがネタニヤフ政権継続の根拠となった
そこで、第五の問題「戦争は再発するか」が最大のテーマとして浮上する。2006年にもヒズボラの軍事力は強大で再びイスラエルを恐怖に陥れるとの予想はあったが、これはあまりにも悲観的な予想であったことが今回の戦争で明らかになった。それでもなお、ヒズボラが再戦を望んでいるとみる議論にも根拠はあるだろう。たとえば、イランが反イスラエル勢力の地位確保のためさらなる支援を行うとか、ウクライナ問題にケリをつけつつあるロシアが背後でイランを支援するとか。
これは私見になるが、いまのところ、常識的に考えればヒズボラは今回の戦争できわめて大きな打撃を受けているからすぐには動けない。また、イランも直接にイスラエルと戦争することにより、予想以上に大きな被害をこうむっている。さらにロシアが間接的に支援するにしても、いまのウクライナ戦争の現実を見れば、北朝鮮の軍隊に支援を得ているほどのレベルなのだ。すぐにヒズボラが再戦することに影響を与えるとは予想しにくいだろう。再びバイマンの見解に戻る。
このようなイスラエルをネタニヤフは本当に望んだのだろうか
「戦争の再発問題では、平和を誰がどれだけうまく実施するかに大きく左右されるだろう。現在の報道ではレバノン軍がイスラエルとヒズボラの緩衝地帯とされるレバノン南部に配備されると予想されている。しかし、レバノン軍はヒズボラよりも弱く、イスラエルはレバノンとの経緯を考えれば、自国の安全を不安定なレバノン軍に託すとはとても思えない」
こうして見れば、しばらくは双方ともに静観する事態が続くと思われる。そしてまた、イランやロシアの動きは急速なものにはならないだろう。それに対してアメリカのトランプ新政権としても、中東の安定には関心があっても、国内に比べればそれほど大きな動きを見せるとは思えない。しかし、何もしない国が戦争の原因になる可能性は十分にある。まさにバイデンのアメリカがそうだった。戦争というものは「不確実」なものであることが、これまでの歴史でいやというほど分かっている。思わぬ小さな動きが、あるいはその欠如が、この地域に再び火をつけても誰も不思議だとは思わないだろう。