HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

米国の累積赤字は対GDP比220%まで可能?;ゴルディロックス理論が予想する可能性と限界

バイデン大統領は大胆な財政支出を行ない、ワクチンの接種率が高まるなかで、経済の回復を達成しつつあるように見える。しかし、この状態はいつまで続けられるのだろうか。具体的には対GDP比で何%まで財政累積赤字が許されるのだろうか。注目されている3人の経済学者は、最新の論文でそれは約220%だろうと予測して話題になっている。

f:id:HatsugenToday:20210610135610p:plain


3人の経済学者とは、プリンストン大学のアティフ・ミアン、ハーバード大学のルードヴィヒ・シュトロープ、シカゴ大学のアミール・スーフィである。論文のタイトルが「財政政策のゴルディロックス理論」。ゴルディロックスとは童話に出てくる少女の名前で、三匹の熊が作ってくれたお粥を選ぶとき、熱くもなく冷たくもない、「ちょうどよい」お粥を選んだという話から、そこそこの妥当な選択を意味する決まり文句となっている。

 「国債の名目の金利がゼロに近づいたとき、その経済をつかさどる政府はひとつのトレードオフ(2つの選択肢)に直面する。抑え気味の財政政策では経済成長は低いままだが、かといって積極的な財政拡大は持続性に問題が生まれる。この論文はダイナミックな財政政策のフレームワークを構築し、財政赤字は続くがそれほど大きくなく、名目金利が経済成長率よりは低いゴルディロックスが、存在することを証明する」

 論文の冒頭でこのように述べているが、これが本当なら、いまのアメリカだけでなく、ヨーロッパも、もちろん日本も胸をなでおろすことができるだろう。では、そのゴルディロックスとかの状態が維持できる条件とは何なのか。結論から先に述べると、アメリカの場合には財政累積赤字が対GDPで220%まで、イタリアは191%まで、ドイツは155%まで、そして日本は291%までは「ゴルディロックス・ゾーン」にとどまれるという。

f:id:HatsugenToday:20210610135634p:plain


なんだ、やっぱり財政赤字には限界があるということなのか、とがっかりした人もいるかもしれない。しかし、アメリカはともかく、日本はすでに約240%に達してはいるものの、まだしばらくは赤字が可能だということになる。MMTの「インフレになるまでは大丈夫で、そのインフレは年率40%までは資本主義がもつ」という見解よりは控えめだが、この「新しい説」も朗報といえないこともない。

 ざっといって、この3人の議論は、アメリカなどでの財政拡大の根拠となっている、オリビエ・ブランシャールによるg>r、つまり経済成長率が利子率より高ければ、対GDP比で財政累積赤字(負債)の比率は増えないので、当面は財政は破綻しないという議論や、財政緊縮では消費を減らして、かえって経済を縮小させてしまうという、議論の延長線上あるいは近傍にあるといってもよいだろう。

 これまでも3人は「富裕層の貯蓄停滞」や「負債を課せられた需要」などの論文で、家計の貯蓄減少や財政支出のレベルについて詳しく検討して注目されてきた。この「ゴルディロックス」という言葉を使った、一見奇をてらったタイトルの論文は、いまの国家経済が陥った自縄自縛を解き放つための探究の一環といってよい。

 さて、その内容だが、例によって数式だらけで、また、ロジックが複雑なところもあり、ひとことで言えというのは難しい。しかし、有難いことに英経済誌ジ・エコノミスト電子版6月5日付が「政府の借金はどのくらいが限界なのか?」で、一言ではないが、かなりバッサリと説明してくれている。それも参考にして、さらに以前の論文についての解説を加えて説明すれば次のようになる。

 いま米国、EU、日本などの先進諸国が直面している問題は、財政支出をめぐるさまざまな不都合であるといえる。それはまるで矛盾の固まりのようだが、それを解きほぐしていけば、だいたい避けられないとされてきた、2つ問題が存在するということができる。

まず、財政支出を低いレベルに維持し続けていると、(景気を刺激するために)金利がゼロにまで下落させざるを得なくなる。しかし、金利はゼロより下げるわけにはいかないので、中央銀行金利によって経済を刺激することができなくなり、経済成長が低下して失業率も高まってしまう。(これは日本もほぼ当てはまるが、とくにEUの場合のように失業率が高止まりしてしまうわけである。)

f:id:HatsugenToday:20210610135708p:plain


では、思い切った財政支出によって景気を刺激するとなると、財政の存続性が問題にされて批判されるので、債務のレベルを下げようとすると、こんどは深刻なデフレが生じて、経済成長がマイナスに転落してしまう。たとえゼロ金利にしても、それよりも低い経済成長率しか達成できずに、g>rは不可能となる。(まったく、日本が経験してきたことであり、中央銀行も政府もデフレからの脱却のための政策を見出せなくなる。)

 この問題は、米国の場合、収入格差が大きくなりすぎことによる弊害が大きく、以前の論文「富裕層の貯蓄停滞」や「負債を課せられた需要」では、富裕層は可処分所得のほんの少ししか消費せず、また非富裕層は負債が多すぎて消費できないため、将来的な需要が増えていかない点を指摘していた。後者では「こうした負債の罠を抜け出すには、再分配に焦点を当てた政策や極端な不平等の構造的問題を解決する政策など、通常のマクロ経済学からの発想ではないような、別の政策が必要である」と述べていた。

 しかし、そうした再分配や不平等対策が行われるにしても、財政支出は拡大できなければ不可能であり、その場合、どれだけの財政赤字を増やすことができるのかという、一定の目安が必要になるわけである。ここで3人が提示しているのが、「ゴルディロックス・ゾーン」と「フリーランチ」の領域を推論する方法である。

 ゴルディロックス・ゾーンとは、名目金利をゼロに維持することで、コストのかからない国債を発行し続け、g>rを維持できる領域で、ここでいうフリーランチはこのゾーンのなかで増税をしないですむ、さらに限定された条件がなりたつ部分である。3人の論文では、コストのかからない利回りゼロの国債を発行できるのは、財政累積赤字がある点に達するまでで、この点に達してからは国債の利回りを要求するようになると想定している。

 この想定は、不自然だと思う人もいるかもしれない。たとえば、日本ではずいぶんと長く利回りはゼロで、さらにマイナスにもなっている。それが利回りがプラスに転じて、増税も必要になるという状態が来るのかというのは、いまは想定しにくい。しかし、これがアメリカであれば、こうした事態が起こるのは不思議ではないと3人は考えているらしい。

f:id:HatsugenToday:20210610155621j:plain

The Economistより:資産間の選好や収入格差の問題も大きい


ゴルディロックス・ゾーンに入ってからは、フリーランチが可能な状態になる。単年度の財政赤字もそこそこで済み(アメリカの場合は2.0%)、財政支出によって経済成長も維持でき、名目金利もゼロにできるからである。もちろん、g>rは成立している。

 しかし、この状況は「あまりに政府負債が大きい」と評価されるようになると、投資家たちは国債の利回りを要求するようになり、その利回り上昇分を埋めるために増税が必要になってフリーランチの状態は終わる。ただし、この場合でもg>rの維持は可能である。

 さらに、何らかの変化でGDPが伸びなくなったとき、総需要が上昇したとき、あるいは収入の不平等がかなり改善された場合(投資の選好が変わる)には、ゴルディロックス・ゾーンの構造そのものが成立しなくなり、g>rは不可能になる。こうした条件の変化はいくらでも起こるわけで、「ゴルディロック・ゾーンは脆弱なのである」。

f:id:HatsugenToday:20210610135747p:plain


名目金利ゼロに関しては、MMT派は政策しだいで維持できると考えるかもしれない。しかし、この論文はステファニー・ケルトンの『財政赤字の神話』を取り上げて、MMTが想定しているインフォーマルな前提は、このゴルディロックス・ゾーンの前半の部分、国債が利回りゼロで発行できて、しかも増税をしないですんでいる状態のものだと指摘している。

この論文について短く説明している、ジ・エコノミストの記事を引用しておこう。「国債の利回りが経済の成長率より低いとき、その時点での財政累積赤字(負債)のコストは本質的に存在しない。そうした場合には、増税をしなくても生産量に比べて、負債の比率は減少するからである。とはいえ、財政赤字を出している政府は、負債の総量を増やしていることはたしかなのだ」。

 もちろん、このゴルディロックス・ゾーンが脆弱であるだけでなく、この論文で展開されている議論が、かなり微妙なものであり、しかも、確率論的な要素が大きいといわざるをえない。この論文に納得したからといって、日本は対GDP比で300%までは安泰だとうそぶいているわけにはいかない。日本でもGDPの伸びが下落し、総需要が上昇し、不平等が解消されれば、成立条件は消滅してしまう。

 そもそも、ジ・エコノミストがこの論文の何校目を手に入れたのかは分からないが、同誌が提示している数値と、ネットからダウンロードした論文(June 2021となっている)とでは数値が異なっている。同誌ではアメリカのゴルディロックスの終わりは260%となっているが、最新の論文では220%と縮小している。また、共同執筆者の一人が自分の名前で発表していた概要では250%となっていた。その理由は述べられていないが、想定している条件や使用した論文の解釈が変わったためだと思われる。