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東谷暁による「事件」に対する解釈論

中国のバブルは本当に弾けないのか;崩壊しなかったバブルは存在しない

中国のバブルは弾けないで、このまま繁栄を続けてしまうのだろうか。コロナ禍からの立ち直りが順調であるように見え、他の経済大国の悲惨さとの差が目立つだけに、そんなことも起こるのではないかと思えてくる。では、それは本当に起こるのか。そして、そのためにはどんな条件が必要なのか。 

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今年6月に刊行された、ブルームバーグ記者トーマス・オーリックの『中国:決して弾けないバブル』は、政策を大きく転換した1976年に始まる、中国政府による経済改革を追跡したリポートである。刊行当初はそれほどの関心を引かなかったが、中国のコロナ禍からの脱出が速いことから、刺激的なタイトルとあいまって注目を受けるようになり、多くの書評が書かれるようになった。

 たとえば、フィナンシャルタイムズ8月10日付は、かなり好意的にスペースをとって紹介した。同紙は、オーリックによれば、中国は思われている以上にコントロールが効いており、いまの同国経済の状態は情報と知識についての応用の賜物なのだと述べている。もっとも、記事のサブタイトルが「北京政府は崩壊しないし、また、世界を買収しようともしていない」というもので、本の煽情的なタイトルとはやや異なる、地道な部分を買っているようである。

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financial timesより


興味深いのは、英経済誌ジ・エコノミスト9月26日号の「中国の経済的奇跡は存続しうるのか」で、冒頭からオーリックの本の「けっして(never)」にこだわり、この言葉の意味を詮索するところから始まる。とはいえ、この評者はこの本を「フリーランチ」や「打ち出の小づち」の存在を認める「とんでも本」と批判しているのではなく、オーリックが試みていない経済学によるバブル継続性の検討を試みている。

登場するのは懐かしいポール・サミュエルソンの1958年の論文と、比較的近年のジャン・ティロールの1985年の論文だが、言っていることは「金利よりも経済成長率が高い」状態を続けるということに尽きる。つまり、現在の先進諸国がコロナ対策である気前のいい財政支出を正当化している「g>r」そのものなのだ。g>rが維持できれば不良債権が増加しても、その対GDP比率は大きくならないので、成長経済が維持できるというわけである。

平ったくいえば、豊かになった国において、ある世代は余分な蓄えと生産手段を残すことができる。さらに、次の世代も同じようにすれば、この国の「バブル」は継続する。もっと単純化していえば、「富が富を呼ぶ」わけで、マタイ伝にも似た富める者はますます富むの好循環が生まれることはありうるということである。

それでは、いまの中国経済は、マタイ伝の説く富める者の経済に移行したのだろうか。もちろん、それほど単純な話ではないが、いまのように世界の金利がゼロ、r=0の状態であれば、ほんのわずかの経済成長g>0でも、それが可能になる。ここらへんはまったくいまのコロナ対策経済やMMTの議論の核心部分と異ならない。

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The Economist より


ただし、中国の場合には、巨大な不良債権を抱えてしまっているわけだが、この点についての分析も、現実の中国経済を分析した経済学者カイジ・チェンとイー・ウェンたちが現実から抽出したモデルに基づいて、こうした中国の不良債権累積の加速がいかにして生まれたかを述べている。

 まず、途中まで実体経済の成長率がいかにして下落せずに済んだのかだが、これは中国の農村地帯にある安い労働力を大量に供給することによって可能になった。これは、いままでも指摘されてきたことだ。しかし、そうした労働力もいずれは安くなくなるという予想が生まれたことで、野心のある起業家たちは不動産に投資することによって、投入する資本の収益率を下げないようにした。そのことで、資本収益率rのほうが経済成長率gより大きくなってしまう状況が生まれてしまった。

 これではバブル経済は継続不可能になってしまうが、そこで中国政府が採用した政策が「5つのr政策」だったという。リフレ政策(reflating)、経済再構成(remixing)、再資金投入(refinancing)、再配分(rotating)、そしてバランスシート上からの削除(write off)の5つだというわけである。

 日本でも同じような政策が採用されてきたから、それほど説明はいらないかもしれない。リフレ政策では金融緩和を行い、経済再構成では経済のペースを落とさないように鉱山や工場の構成を変える。再資金投入は地方政府が借金の金利を下げて企業の負担を軽減してやるわけだ。再配分では法人部門の収益を維持するため、家計部門の取り分を減らした。さて、最後のライト・オフは残念ながら語の頭がrではないが、実は、もっとも大胆な政策といってよいだろう。

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このライト・オフは、中央政府からの公的資金の投入によって、それまで生まれた不良債権を帳簿上からライト・オフ(削除)してしまうわけで、もうほとんど徳政令みたいな話といっていいかもしれない。不良債権と化してしまった鉱山や工場は閉鎖してしまい、こうした現場への金融機関(シャドウバンクを含む)からの融資を、なかったことにしてしまうわけである。そうすれば、金融機関の不良債権もなかったことになる。

こんなことをやって、それが資本主義かというと問題はあるかもしれないが、こうした巨大な不良債権の処理法は、実は日本でもあった。これは取材したさいに「具体名は絶対にださないでください」といわれた話なのだが、ある商社が巨大な借金を抱えて破綻したとき、当の商社処理チーム、融資していた銀行チーム、監視する大蔵省のチームが集まった。どうしても正攻法で処理できない負債があって、ついに大蔵省のキャリアが「この負債、なかったことにしましょう」といってけりがついたという。

 つまり、商社はそんなビジネスはやってなかったのであり、また、銀行はそんなビジネスに投資していなかったのであり、さらに大蔵省は帳簿からの削除を見て見ぬふりをするというわけである。そして、銀行を中心とする債権者たちは何らかの特典を得て、債権を放棄することに同意させられてしまったわけである。もちろん、こういうことは秘密裏に行われていたが、それが巨額であれば住専問題のように白日の下で行われるから大いにもめる。さらにもっともっと巨額であれば、政権がふっとんでしまう危険もあるわけだ。

 しかし、これが共産党独裁で習近平の一強状態の中華人民共和国であれば、まったく国民には知られることなく断行される。また、その金額が巨大であっても、野党が事実上ないのだから政治危機になることはない。まさに、新型コロナウイルスを強権でロックダウンしたように、不良債権処理をロックダウンしてしまえるわけだ。しかも、それは平穏な生活を望む人民にとっても悪いことでない。

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こういうことが、アメリカで行われたことがあるかは残念ながら知らない。しかし、1970年代の金融機関の不良債権については、それらを債券化して売り払うことがFRB財務省によって考案されている。また、アメリカで調査にあたった日本人エコノミストの著作には、不良債権が増えた時期に、有力金融機関だけが呼ばれて、FRBから金利の変動についての特別の情報が与えられたことが書いてあった。この金利変動の情報をもちいて、不良債権処理の原資を得るわけだ。

それに類することが白昼堂々と行われたのが、1990年代のFRBによる金融機関救済であり、同じ手法は投資銀行によって他でもない中国の不良債権証券化に用いられた。そしてリーマンショックによる負債の解消として断行されたのが、バーナンキ時代の焦げ付き債券の買い上げだったわけである。このための資金はFRBによって「創出」され、それが自国通貨は無尽蔵という理論を正当化した。

さて、こうした手法を大々的につかって、中国の巨大な不良債権をライト・オフしていけば、中国経済不良債権はバブル状態の経済を損なわずに、これからも成長を続けることができるのだろうか。それは、ほんとうのところ、何ともいえない。世界の金融市場や実体経済における中国の評価がどのように変化するのかは、そのときになってみなければ、細かいところは分からないのだ。しかし、これも歴史を振り返る必要がある。

 日本の1980年代にも、同じような「けっしてバブルが崩壊しない」という神話が生まれた。日本国内では「これはバブルではない、なぜなら不動産と株の高騰の根拠はあるから」と言われていたが、それは一見論理的にみえたが、神話と同じようなものだった。当時、通産省は「ノートリアスMITI」と恐れられ、大蔵省は「万能のカバンを持っている」と噂されていた。外国の政府や機関には、得体の知れない能力があるように映っていたのだ。

1989年、オランダ人のウォルフレンという人が『日本権力構造の謎』という本を書いて、世界的なベストセラーになった。いまでも覚えているのだが、そこには「日本の今のバブルはけっして崩壊しない。なぜなら大蔵省がそうさせないから」と書かれていた。日本をいまの習近平独裁国家並みに見てくれていたわけである。しかし、もちろん崩壊した。そして、それから「失われた30年」が始まることになる。

ここまで ジ・エコノミストの記事を手掛かりに考えてみた。この記事はかなり短いものだが、示唆するところは大きい。理論的にはバブルは崩壊しないし、また、どんな財政支出でも、どんなライト・オフでもできるのかもしれない。しかし、それが理論上は可能であったとしても、いままで崩壊しなかったバブルはない。

同誌の書評の締めくくりはやや甘いかもしれない。「ほんとうに中国のバブルは崩壊(pop)しないのだろうか。(この本の著者はタイトルで)中国は財務諸表をふき取る(mop)ことができないということはない、とでもいっておいたほうがより安全だったろう」。