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東谷暁による「事件」に対する解釈論

中国は「日本の罠」を回避できるか;大規模な試行錯誤と長い時間が必要となる

中国の不動産バブルが崩壊して、いまやどうすれば日本の「失われた20年」の轍を踏まないで済ませられるかが議論の中心になってきた。中国の場合は日本のバブル崩壊に似ているだけではない。規模がずっと大きいのだ。中国政府がこれから採用する回復策しだいによっては、同国の経済が今以上に低迷するだけでなく、世界経済がもっと落ち込む危険をはらんでいる。

いまの中国経済は蟻地獄か渦巻に引きずり込まれているような状態だ


英経済紙フィナンシャル・タイムズの名物コラムニスト、マーティン・ウルフは、何かを論じるさいには必ずデータを提示して、自分で考えた分析を示してくれる。それは当然なのかもしれないが、専門家や有名人にインタビューして、結論も取材した人の言葉でまとめる、どこかの国の経済ジャーナリズムとは大違いである。ウルフは9月26日付の同紙に「中国が日本の罠を避けるにはどうすればいいのか」を投稿している。

実は、ウルフは1週間前にも「中国はピークを過ぎたと言うべきではない」で、中国がいかにして不動産バブル崩壊から抜け出すかを論じたのだが、またしても同じテーマで、しかも、かなりトーンの異なった記事を寄せているのだ。前回は、本人の言葉でいえば「中国はまだ潜在力を持っているし、国民はまだ貧しいからキャッチアップできる」というものだった。しかし、今回は「しかし、そのためには障害物があることも間違いない」。そしてその障害物とは「過少消費」だというのである。

中国の貯蓄率は大きいが、それは消費に向かっていないことを意味する


いま中国の経済を見ると特徴的なのは、民間の貯蓄が大きいことである。2008年にはGDPの52%に達しており、2019年にも依然として44%を維持していた。そしておそらくいまも40%を超えている。これは何に似ているかといえば、かつての日本経済そのものなのである。「中国のストーリーは日本に似ている。しかもスケールがずっと大きい」。貯金があるのはいいことじゃないかという人がいるかもしれないが、それは消費が少ないことを意味し、このままでは中国経済は復活しない。

日本のケースを思い出してみよう。日本でも1990年に株式の下落があって、1992年ころには不動産バブルは完全に崩壊した。しかし、それでも専門家といわれる人が日本経済は「あれほどため込んでいるのだから大丈夫だ」などと解説していた。人気ジャーナリストは「不動産だって日本国民のほとんどが所有者なのだから、誰も下がることなんか望んでいない」と言っていた。しかし、それは違っていたのだ。お金を貯めていても消費しなければ経済は回らない。いったん高値に疑問符がつけば、いくらでも下落するのである。

投資金額は維持されているが、リターン率が下落してしまった


ウルフのあげるデータの中には、期待できると思われるものもある。たとえば、投資額が下がっていないどころか横ばい、さらに上がる兆しすら見せているのだ。しかし、この投資の上昇は成長率の下落と裏腹なものなのだとウルフはいう。投資額が伸びるいっぽうで、投資に対するリターンは急激に下がっている。

つまり、「限界資本係数、つまり生産量1単位の増加分と、それに必要とされる資本の増加分との比率が、下がっている」。ということは、何のことはない、投資効率が下がっている、投資をしても儲からないことを意味しているだけなのだ。(わたしは日本のバブルが崩壊したとき出版社に勤めていたが、1990年に株式市場が暴落して景気が悪くなったのに、出版界の出版点数はしばらくのあいだ増加していたのである。収益率が下落したので点数で補おうとしたわけで、いまの中国の投資額と同様だった)

「2007年、温家宝が首相だったとき、中国の経済は不安定で、アンバランスで、統制がとれていない、つまり継続不可能なのだと警告したことがある。彼は正しかったのだ。北京大学のマイケル・ペティスもまた、中国経済が多くの場合、同様の性格をもっていると語ったことがあった」

貯蓄率を世界比較でみれば一目瞭然、過小消費であることがわかる


もちろん、いつの時点で継続不可能な事態になってしまうのかを知るのは不可能だが、しかし、それは必ずやってくる。実際、アンバランスな経済そのものだった不動産部門は、すでに崩壊してしまった。今年の7月ころから新しい不動産の販売が始まっているが、その価格は2020年の下半期に比べて65%も低いという。不動産販売や建築もピークだった2020年から21年の50%から60%のレベルでしかない。それは需要が低いからで、まるで日本の後を追いかけているかのようなのだ。

新築住宅の市場は価格下落をおこし崩壊といってもよい状況だ


ウルフにいわせれば、いまの中国の危機は金融危機ではないという。なぜなら中国は政府が融資する国であり、それは自国の通貨を用いるのだから当面は問題でない。有力な銀行はほとんどが国有であり、政治力で押し切ることができる。危機なのはあまりにも弱い需要だからであって、つまりは過少消費が問題なのだ。過少消費だから投資をしても儲からないし、不動産を販売しても買い手がいないのである。

もちろん、何かを買いたい人や買わなくてはならない人はいる。ところが、いまの中国ではそういう人たちには金が流れないのだ。「収入は使う人のところに行かねばならない。そうなってこそ中期的には消費が生じ、長期的には消費のレベルが大きなものとなり、将来の成長のための国内需要に必要な、確固たる基盤が出来上がるのである。そのためには、公共支出を拡大していくとともに、普通の人たちに収入と資産の再分配を行わねばならない」云々。

中国経済を引っ張ってきた不動産業がマイナス成長に転落


しかし、ちょっと待ってほしい。ウルフの言いたいことはわかるが、日本だってその程度のことは試みたのだ。繰り返された財政支出を中心としたいくつもの経済計画や、世界で先駆的だったゼロ金利の試み、さらにはインフレターゲット政策までやってみたが、それでもだめだった。大きなバブルが崩壊すると、消費者が消費しなくなってしまい、「失われた10年」は「失われた20年」になり、そして「失われた30年」くらいになると、もともとこの国はこの程度だったという諦めが蔓延してしまうのである。

ウルフが1週間前には「中国にはまだ潜在力がある」とか「中国人民はまだ貧しい(だから、消費はもっと伸びる)」と言っていたのに、今回のコラムではかなり悲観的なのは何故なのだろうか。この間に、たとえば恒大集団の新たなデフォルトが明らかになり、同グループ会長の許家印が、警察の監視下に置かれたとのニュースが流れている。日本人にはお馴染みだが、不動産バブルの後遺症というのは長く続くから、そのことに気がついたのかもしれない。

不動産バブルの崩壊の影響は一般的にいっても大きく、日本では大きな銀行や証券が破綻したのは1998年になってからであり、マイナスの影響はいまも続いているといってよい。日本のケースを研究して、不良債権の中銀による買い取りで対応したアメリカですら、住宅バル崩壊は2007年に始まるが、失業率において以前に戻ったといえるのは2017年である。そして、ウルフの考えを変えさせたことが、もうひとつあるとすれば、本人も認めているように「中国の不動産バブル崩壊の規模は、日本よりはるかに大きい」という、恐るべき事実に改めて思い至ったのだろう。

投資が消費に向かうシフトはまだまだ遅々として進んでいない


「いずれにせよ、今の状態から抜け出すには、家計収入の再分配と政策の優先順位における革命的な転換が必要だろう。そうなれば中国にとって状況は好転するし、中国は日本の罠を回避することができる。ただし、中国にそうする意志があればの話だが」。ウルフは最後まで触れていないが、こうした過少消費が心理的な側面があることは、すでに日本で繰り返し論じられた。しかし、その心理的なものを変えるには、ちょっとした決意や制度的改変だけでは十分ではない。かなり大きな規模での試行錯誤と、長い時間が必要だということが、「日本の罠」が世界に提示した厳しい現実なのである。