HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

いまさら進次郎を叩く者たちの浅ましさ

小泉進次郎環境大臣のさまざまな発言が批判されて、急に人気に陰りがさしているように見える。多くの評論家があれこれ批判を始めている。しかし、いまさら何をいっているのかと思われる話ではないか。進次郎の発言は内容のないもの、有権者の気を引くだけのものだ、などというのは、彼が未来の首相と持て囃されるようになる以前から分かっていたはずである。ある芸能人が「彼の発言は常に後出しジャンケン」などと言っていたが、後出しジャンケンをやっているのは自分なのだから呆れる。

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きっかけは、何でもよかったのだ。滝川クリステルとの「できちゃった婚」でも、環境相としての初の入閣でも、外交デビューでの「セクシー」発言でも、そろそろ賞味期限が終りつつあると分かれば、これまで隠していたネタを解禁にすればいいだけのことである。そもそも、進次郎が頻繁に取り上げられたこと自体、しばらくは使えるネタだと判断してきただけのことで、未来の首相であるのか、才能のある逸材なのか、などということはどうでもよかったのである。

 誤解のないようにあらかじめいっておくが、私は進次郎が本当は優れた政治家の片鱗があるとか、将来は首相だなどと思ったことはまったくなかったし、いまも思っていない。このホスト顔の青年が、ある種の人気を獲得するだろうとは思ったし、政治家に必要な勘が備わっていれば、それなりの存在感をもつことはあり得るとは考えた。しかし、それらは早晩テストされるものであり、いまやその第何次目かのテストの結果が出つつあるということだ。

 しかし、それ以前のテストにおいても、進次郎は本来の成績がそのまま公表されてきたわけではなかった。つねに、さまざまな下駄をはかせて、しかも、かなりの高下駄をはかせてブームを煽る材料に利用されてきたことは確かである。

 典型的な下駄が、自民党の農林部会長時代のもので、そのデビューを飾ったとされる初の農林部会で、まさに未来の首相の片鱗を見せたと報じられたが、いま、その「片鱗」とは何だったのか、ほとんどの国民は忘れてしまっている。それは、単に進次郎がずらりとならんだ自民党の農林族議員の名前を暗記していて、挨拶のさいに次々とその名前を「フルネームで」呼んでいったということにすぎなかったのである。

そんなことは、普通の会社で新しい係長になった若手社員が、当然のこととして心得ているテクニックであり、「ちゃんとお名前は覚えましたよ。あんまり苛めないでくださいね」という仁義のようなものである。あるいは、小学校の担任の先生が児童たちの歓心を買うために、名簿をみていないふりをしつつ名前を呼ぶやりかたといってもいい。

その後の自民党農林部会長としての発言も、怪しげなものが多かったのだが、多くのマスコミの担当記者たちは、競って首相の片鱗を「発見」することに邁進していた。したがって、農協改革という名の農協潰しの「大命」を受けて始めた言動も、かなりおかしかったのに、驚いたことにその奇矯さすらも首相の片鱗ということにされてしまった。

たとえば、「農林中金はいらない」とか「農機具が韓国よりずっと高い」とかも、常識のレベルでは不勉強丸出しの失言だった。ところが、マスコミは鉦や太鼓でほめそやし、それに農水省までが便乗して、次々とデータを提供するありさまだった。この話はリアルタイムでも書いたし、改めてサイトでも書いたことなのでそちらをご覧いただきたい(TPPの現在(2)農協バッシングの陰湿)。

少しだけ説明しておくと、農林中金が要らないのは全体の0.1%しか農業に融資していないからだと述べたのだが、これは無知もはなはだしい話だった。農林中金は他のJA系金融機関で融資しきれなかった資金を吸い上げ、リターンの多いところに投資する「資金運用機関」である。農業そのものに融資する割合が著しく低いのは当然なのである。

韓国の農機具や肥料などが日本に比べて7割くらいだという話も、当時の韓国の物価は為替レート単純計算でみれば約7割だったのでこれも当たり前のことだった。この発言のもとになったと思われるのは「日本農業法人協会」の報告書だが、この報告書は韓国を数日しか調査していない薄っぺらなもので、物価の違いや為替レートだけで計算するさいの問題点などには、ろくろく触れていないというしろものだった。

結局、進次郎の「大活躍」があっても、官邸が求めていたような農協解体までには至らなかったが、進次郎の農林部会長としての成果について、マスコミの多くはたいへんな業績をあげたように書いた。全農を民営化にまで追い詰められなかったことについては、農協がいかに「岩盤」として強いかという話に換えてあった。

その後に話題になった(あるいは、話題に仕立てた)「こども保険」についても、進次郎の未来志向の構想力であるかのように報じた記事が見られたが、これも彼のオリジナルではなかった。東京郊外の選挙区選出の自民党若手議員が、初当選のころからすでに発表していたプランそのものだった。

さすがにこの若手議員は駆り出されて、進次郎のチームに入って協力していることになっていたが、要するに将来の費用をいまのうちに確保しておこうという、「保険」とは名ばかりの増税策だった。それもそのはず、この議員の出身は財務省だったのだから、当然といえば当然の話である。

進次郎のカリスマ性が疑われる切っ掛けとなった「議会改革」にいたっては、投票を電子仕掛けにするとかの馬鹿馬鹿しい話だけが注目されただけで、何か切実な問題が国民に明らかになったとは思えない。こうしてみると、自民党も官邸も進次郎には「いいネタ」を渡してきたのだが、それを必ずしもうまくこなしたわけではない。ましてや、総裁選における石破茂氏への最終的な支持などは、たんなる決断力のなさを露呈しただけでしかなかった。

このやたらと目立った政治家は、いまのままでは「未来の首相候補」という膨大な政治家の名前が放り込んであるゴミ箱に放り込まれて終るだろう。そこには、おそらく小池百合子野田聖子稲田朋美といった女性たちの名前も、すでに放り込まれていると思われる。彼の目を際立たせている涙袋が、皺だらけになる前になんとかしなくてはならない。しかし、進次郎の場合にはちょっと気になる要素がまだ二つほどある。

まずひとつは、いまの状況からの起死回生策として、進次郎が環境相であるうちに「原発脱却宣言」に踏み切るのではないかということである。いまのところ福島で失言してミソを付けただけに、この路線はすでにスタッフも本人も考えているだろう。妻のクリステルのイメージも生かせることになる。障害は原発維持でやってきた安倍晋三との関係で、進次郎が踏み切れば、彼は事実上安倍の原発政策における「対抗馬」となるが、それで十分な勢力を形成できるかである。

この路線を選ぶのは、父親の純一郎が元気なうちでなければ、安倍勢力に潰される危険がきわめて高い。しかし、何かの切っ掛けをつかって、純一郎の反原発と進次郎の原発脱却をジョイントすることに成功すれば、マスコミの多くは再び進次郎をもてはやすことになる。私はこうした姦計を見たいと思わないが、そうした事態になれば、かつて純一郎=進次郎を「親子鷹」と呼んだマスコミは、こんどは「親子鳩」とでも呼ぶのだろうか。

もうひとつは、進次郎の経歴の奇妙さである。進次郎のインタビューなどを読むと、大学生になってからは英語を必死に勉強したというから、大学を卒業してアメリカに留学したという話も、今回の「セクシー」のさいも英語だけは達者だったという説も(下手だったという説もあるが)、それほど不自然なわけではない。

しかし、その留学先がコロンビア大学という名門で、この大学の中核的な政治学部であり、しかも、師事したのが日本政治研究で知られるジェラルド・カーチス教授だったというのは、やはり日米双方にかなり強力な「ポリティカル・カルキュレーション」が存在したと見るのが自然だろう。

それは、自民党の有力政治家の息子であるという特権もあったかもしれないが、受け入れるアメリカ側の思惑なしでは、とても成立するわけがない話である。そんなことはないという人は、進次郎氏が卒業した大学で、同じコロンビア大学に留学した若者がいるかどうか、あるいは同等の留学を果たした者がいるか、それだけでも調べてみればいい。

誤解されないようにいうが、別に有力な政治家の息子で留学に有利だったから「不正」だとか「ズルイ」とか言いたいのではない。進次郎という政治家には、そうしたアメリカ側のポリティカル・カルキュレーション、いわばアメリカの影がつきまとっているとみたほうがよいのではないかということである。

進次郎はコロンビア大学を卒業すると、これまたシンクタンクとしては名門中の名門CSIS(戦略国際問題研究所)に入って、なんと同研究所のエースだったマイケル・グリーンについてレポートを書いたと報道されていた。このレポートをずいぶん探したのだが、いまだに未確認であるのは、私の探し方が悪いのだろうか。

面白いのは、グリーンに最初に会ったとき、グリーンの証言によると、進次郎の英語はまったくの学生言葉だったので、「だいじょうぶかなあ」とちょっと心配になったというのである。その後まもなく学生言葉ではなくなったというのだが、これもそんなにすぐに変えられるものなのかという疑問が生まれるが、まあ、大したことではない。

いずれにせよ、こうした堂々たるアメリカの政治教育の最高レベルを、お膳立てされたうえで経験しているわけで、その間の進次郎の努力はいかばかりかと想像する。これは皮肉ではない。毛並みのいい留学生でも挫折する人間は山ほどいるからだ。私が気にするのは、こうした経歴はいったい何のために形成されていったのかということだ。そしてこの恐ろしく手のかかる面倒なプロセスが、今回の人気下落だけで、そのまま無にされるということも、実は、考えにくいのではないかということである。