HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

増税の影響が少ない?;それは十分に倒錯です

消費税増税を断行したけれど、それほどのマイナスの影響は出ていないようだというので、「安倍さんのやることには間違いがない」などと称賛している向きは別として、ほっとしている日本国民もどうかしている。それはもう十分に倒錯ではないのか。

この十年ほどの世界的な景気回復期に、先進諸国では最低の成長しか達成できず、ブレグジット七転八倒しているイギリスより、さらに経済成長率予測が低い。それなのに何となく「うまくいっている」と感じるのは、もう正常な判断力を失っているとしかいいようがない。日本国民はいつの間にか倒錯的体質を身につけてしまったのである。

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そもそも、この時期に消費税増税を断行するという必要も何もなかった。あるとすれば、将来的に見て財政赤字を解消するということだろうが、これだってもう「解消」などは無理だから「プライマリー・バランス黒字」という目標を建てていた。しかし、気が付いている人も多いかと思われるが、安倍政権が本気でこの目標を達成しようとした形跡など皆無なのだ。 

安倍政権において最も顕著なのは、財政赤字を解消するとか財政を好転させるといいつつ、そのショックの緩和措置と称して自党に有利なバラマキを拡大してきたことである。同じように回避すべきだった日米貿易協定におけるアメリカの要求に唯唯諾諾として従い、ここでもその対策費としてバラマキを計上し、選挙のさいに声高に主張し選挙民を納得させてきた。増税で得をしているのは、この類の連中なのである。

 この類の政治家たちやその取り巻き評論家たちが口にするのが、「財務省増税して日本を地獄に引きずり込んでいる」というものだが、そのコインの裏側では自分たちの人気取りと票の獲得と権力の拡大にしっかりと役立てて来た。

 つまり、自分たちはちゃんと増税に反対しているし、安倍首相も憂慮しているが、にもかかわらず財務省が強硬に増税を進めているのだというわけだ。しかし、財務省財政破綻に神経質になるのは「仕事」であり、それを抑えて景気対策を実行するのが政治家の「仕事」ではないのか。そんな財務省だけが悪いという主張は言い訳であり、国民の倒錯した心理に便乗した悪辣な欺瞞にすぎない。

 もう、何度も見たり聞いたりしたからうんざりだという人もおられるだろうが、もう一度だけ確認しておこう。今回の増税で入ってくる増収額が5.6兆円。そのなかの1.7兆円分を少子化対策にまわし、1.1兆円を社会保障の充実に使う。ならば、残りの2.8兆円は財政赤字の削減につかわれると思うのは甘い。さらに1兆円程度は軽減税率に用いるのだという。あれもバラマキ、これもバラマキだ。

 

 

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(図版:Jiji.comより)

 

いったいこれで、なぜ増税するのか分からないというのが普通の感覚で、こんな増税が通ってしまうこの国がよっぽどおかしい。私は外国の新聞や報道機関を引用するのは好きではないが、そちら方面から聞こえてくる「不要かつ打撃」「最後のチャンスを台無しに」という言葉は正しいというしかない。

 政治家たちが欺瞞であれば、その取り巻き評論家も欺瞞で、財務省を批判してみせて「プライマリー・バランスなんて、日本しか採用していません」などという。しかし、そもそも安倍政権が本気ではないし、日本しかやってないのは日本ほど財政赤字が巨大ではないからだけの話なのである。これも倒錯に付け込んだ欺瞞というしかない。

 こんなふうに国民が倒錯に浸ってしまっているから、救国の経済学だとか20年後の常識だとかを売り物に登場してくる「新しい経済学」も倒錯しているのは当然である。「財政赤宇はすなわち国民の資産」「負債はお金だ」「税金や国債を財源にしなくとも政府はいくらでも金が使える」というわけだが、私が思い出したのは、少し前になくなった月亭可朝の『借金のタンゴ』という歌だった。

 「借金と貯金はたいして変わりはない/借りているか、貯めているかのちがいだけ」などとギターを弾きつつ歌う。その歌詞には「借金でえがくバラ色の人生」とか「借金は私の貴重な資源」というドキリとする部分もあって、MMTとかの起源は日本経済の現実ではなく、日本の落語家にあったのではないかと思ってしまうほどだ。

全部を紹介したいところだが、著作権法に違反したくないのでこのくらいにしておくが、MMT理論に執心する人はネット上で見つけて、心をこめて歌ってみればいいだろう。ちなみに、月亭可朝がこんな歌を作ったのは、自分が巨額の借金を抱えていたからで、その金額は数億円に達していたと報じられているが、財政赤字に比べればなんと少ないことだろうか。