HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

新型肺炎で死なないための最後の砦;中国もアメリカも封じ込めていない

新型コロナウィルス肺炎による死者が確認され、世界中を恐怖の渦に放り込んでから、すでに1カ月が過ぎようとしている。この間、明らかになったのは2003年のSARSに比べれば致死率(感染者の死亡率)が低いということと、日本の最終的な防御力は現在の日本国内の医療現場のみだということである。

f:id:HatsugenToday:20200209172710j:plain

マスクは高騰しているが、効果はけっして高くない

 

まず、たしかに2月9日現在の致死率は、中国政府の発表によれば、確認された感染者累計3万7198人に対して、死者が811人だから、約2.2%にとどまる。これはSARSの9.6%に比べればかなり低い。

 もっとも、中国政府の発表がどこまで信用に足るものかは、いまのところ不明である。2月9日の発表によれば、感染の疑いがある人の数は先の累計以外に2万8942人いるとのことで、それなら死者の未確認数も同じ割合で多くなって不思議はない。それどころか、中国国内の非常事態体制と政府の慌て方をみれば、もっと致死率が高くてもおかしくないのである。(追記;同月12日、中国政府は感染者数を新たに1万4840人増加したと発表し、合計4万8206人に。死者も1310人になった)

 しかも、すでに「新型コロナウィルスの何が怖いのか;パニック防止がパニックを生む」で述べたように、WHOのテドロス事務局長は「緊急事態宣言」をしておきながら、数日後には緊急事態という言葉が理解できていないかのような発言を繰り返して、その警告をほとんど無にしてしまっている。彼の母国と中国との経済関係を指摘する投稿が相次いでいるが、その当否を論じる以前に、あまりにデタラメで恥知らずな言動であるといわざるをえない。

 テドロス事務局長が言うままに、中国人の渡航も中国との貿易もこれまでと同じようにしていたら、新型コロナウィルスの世界への拡散を封じ込めることなどできない。そのいっぽう、中国国内では武漢の例を見ても分かるように、完全な封じ込め策を採用しているのである。これはあまりにおかしな話で、海外にはウィルスを撒き散らしてもいいが、国内は封じ込めると言っているに等しく、ふざけんじゃない!という反応が出てきて当然なのだ。

 おかしな話は中国に関することだけではない。ある週刊誌電子版の報道では、アメリカの軍関係者が、「日本の対応は甘すぎる」とお説教をたれているらしい。「日本の政府も行政も隔離の定義が甘すぎる」というわけだ。政府というのは行政のことで、この軍人はアメリカ型三権分立の意味を知らない人らしいから、あんまり相手にしないほうがいいと思うが、笑ってしまうのは、いま自国のアメリカではインフルエンザで死者が1万2000人を超えてしまったという事実を忘れてしまっていることだ。

 

f:id:HatsugenToday:20200209172821j:plain

アメリカは毎年のようにインフルで大勢が亡くなる(図:日経電子版から)


アメリカは2017年から翌年にかけて感染者は4500万人にのぼり、死者は6万1000人に達している。その後、何らかの対策がなされたかというと、どうも疑問視せざるをえない。2014年から翌年にかけても、インフルエンザで医療機関のお世話になった人が人口の6%に達していたわけで、いくらなんでも自国の医療体制を見直すのが当たり前だと思うのだが、今年もまた同じような状態なのだ。最初にこの事実をアメリカの新聞で目にしたときには、桁が2つ違うのではないかと思ったほどである。

 こうしたアメリカのインフルエンザのデーターが本当なら(さすがに、中国の情報よりは信用できるだろう)、さっきのアメリカ軍関係者がいうような発想でいけば、当然のことながらアメリカ人の渡航は禁止されるべきだろう。すくなくとも、海外に出かけるアメリカ人はインフルエンザのキャリアではないことを証明しなくてはならない。

 こうした中国とアメリカの驚くべき現実と、日本のインフルエンザの感染者と致死率を比べれば、あきらかに大きな違いがあるといわざるをえない。日本はどうにかインフルエンザの流行を抑えつつ、日本国内で新型肺炎を発症した患者に、死者はまだ出ていない(追記:13日、ついに国内初の死亡者が出た)。そして、それは(今回は説明を多少はしょってしまうが)国内における医療制度と医療機関がまだどうにか機能しているからに他ならない。

f:id:HatsugenToday:20200209172901j:plain

日本のインフルは今年は雨のお陰もあって穏やかだ(図:日経電子版より)


いま日本では多くの情報が流れているにもかかわらず、マスクと消毒用アルコールが急騰するというばかばかしい事態になっている。わたしは、マスクは予防に役に立たないという説を100%信じていないだけでなく、呼吸器系が弱い人間としてこの季節にマスク30枚を1万円でかわざるをえない事態を歓迎するわけにはいかない。

 しかし、それは個人的な姿勢にとどまる。日本全体について悲観的に最悪の事態を考えた場合に、いま日本で最後の砦となるのは何だろうか。個人として手洗いやウガイは当然として、新型コロナウィルス肺炎とアメリカ発の劇症インフルエンザにかかっても、なんとか致死率の一部にならないためには、いずれの感染者も急増しない今の医療体制が維持されていることが必要である。

それには、対国内と対海外のいずれにおいても、アメリカの「能天気」あるいは「無責任」より、中国の「徹底」した「封じ込め」のほうが方法としては正しいと思う(繰り返すが、中国はそれを対外的にも実行すべきだ)。そして、そのうえで医療機関が、新型肺炎や劇症インフルの感染者に十分な治療をほどこすことだ。

しかし、いまの日本の医療機関にとって、新型肺炎や劇症インフルに十分に対応するには、ある程度の余裕が必要である。 以前、わたしはノロウィルスが流行をきわめた年に感染してしまった。そこで近くの病院に収容してもらえないか交渉したところ、「あなたは、まだ体力のある年齢だから、死ぬようなことはないから、水を飲んでしのぎなさい」と言われた。かなり体力を消耗していたときで、このときの不安は大きかった。

新型肺炎や劇症インフルで病棟が満杯であることを理由に、同じようなことを言われたときの恐怖は極めて大きいだろうし、そんな事態になってしまえば、日本の致死率も上昇しているはずである。いまの日本の医療機関の対応能力が、常に同じように維持できるという発想で新型肺炎を論じるのは、かなり危ういのではないかと思う。

つまり、いまの日本の医療現場の状態維持は対策にとって「所与の条件」ではなくて、日本で新型肺炎や劇症インフルが爆発的に感染拡大して死者を生み出さないための砦であり、「喫緊の目的」そのものだということなのである。

 

hatsugentoday.hatenablog.com