HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

複合エピデミックには間口の広い戦略が有効だ;新型コロナとバブル崩壊との闘い

いまや新型コロナウイルスの衝撃から生じた株価暴落のために、世界的に景気後退は避けられないところまできている。わが国でも新型コロナによる不況への対策がさまざま論じられているが、その多くは財政出動と金融緩和の組み合わせによって、なんとか乗り切ろうという案ばかりで、新味がないといえばそのとおりである。

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新型コロナと株価暴落という「複合」

 

そのせいだろう、逆に対策を適切に絞り込んで集中すべきだという議論が登場してきた。まず、新型コロナウイルスの感染を抑えて、経済政策は景気後退を阻止できるような策に限定すべきだということらしい。「財政と金融」がありふれたマクロ経済学的発想なら、これは「選択と集中」の経営学的発想といえるかもしれない。

 たしかに、いまの状況のなかで的確に「選択」することができるなら、効果のある部分だけに「集中」するのが効率がよいといえる。しかし、新型コロナでショックを受けて、それが長引くことによって不況に陥りつつあるという状況は、果たして選択と集中という戦略を採用するだけの経験がある事態なのだろうか。

 もちろん、これまでも1918年から翌年にかけての「スペイン風邪」の大流行や、2003年の中国を中心としたSARSの流行という、経済への打撃が大きな感染症の流行は歴史的経験と呼んでしかるべき事態だった。しかし、そのことによって世界的な景気後退が生じて、大不況に陥ってしまうという経過はたどっていない。

 いまの新型コロナの蔓延が景気後退にとどまらず、世界規模の大不況へと拡大していくとすれば、おそらく人類史上、初めての経験となる歴史的事件といえるだろう。たとえば、ITバブル崩壊や米国住宅バブルの崩壊を予測したエール大学のロバート・シラー教授は、「今回の事態は、実は新しい経験」なのだと指摘している(ロイター電子版3月20日付)。

 シラーは昨年刊行した『ナラティブ・エコノミクス』の分析に基づいて、経済バブルの形成と崩壊は感染症流行エピデミックのような現象だと指摘していたが、同紙のインタビューでは、今の事態は新型コロナのエピデミックとバブル崩壊のエピデミックの複合だと述べている。つまり、いま進行しつつあるのは感染症流行と経済不況の「複合エピデミック(co-epidemic)」という新しい事態なのである。

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新型コロナの研究は、まだ途上にある

 

したがって、投資家向けに語っている同紙のインタビューでは、「極端な判断をしないこと」を進めている。つまり、株式市場が暴落したからといって、持っている株式をすべて売却してしまうとか、逆に急反転を期待して安くなった株式を買い漁るようなことはやめたほうがいいというわけである。

 同じことは、この複合エピデミックに対する経済対策も同じスタンスが必要なのではないだろうか。たしかに、資源が少ない場合には選択と集中という戦略が正しいように思えるが、しかし、まったく新しい事態、あるいは不確実性が多い事態に対しては、あまり絞り込んだ戦略はリスクが高すぎるといえる。逆にいえば、医学的および疫学的な分野での研究推進は必要だが、経済政策的にはマクロ的政策しかないのである。

 もちろん、もう少し細かく考えておくべきことはある。シラー教授と同じように、2008年のバブル崩壊を予測して注目されたニューヨーク大学のヌリエル・ルービニ教授は、バブル崩壊は「台風のような災害であって、地震のような災害ではない」と述べている。

 つまり、バブルが生まれていることは、データで読むことができるので台風の予測のように経緯や規模を予測できる。しかし、たとえば新型コロナウイルスの蔓延という事態は、地震がそうであるように突発的なものであって、前もって予測して備えることはできない(註)。

 こうした考え方からすれば、今回の複合エピデミックにおいても、経済バブル形成から崩壊というプロセスにともなって生じる側面は、これまでのバブルの経験からある程度の予測は立てられるかもしれない。

いっぽう、新型コロナが生み出す側面は、これまでの経験に基づく予測がつく部分がないわけでもなく、インフルエンザやSARSから推測できる事態もある。ただし、それはあくまで類似性によるものであって、いまのところまだ新型コロナの医学的および疫学的な性質は、いまも不明なところが多いのである。

さらには、この2つのエピデミックが複合して進行するさいに、いったいどういう事態が生まれるかは、これまでの疫学的経験や経済的経験を組み合わせて考えることで、ある程度の推測は可能かもしれない。しかし、全体的にはまだ経験したことが少ないのだから、そうする場合でもあくまで謙虚に臨まざるを得ないということになる。

 たとえば、これまでのエピデミックあるいは世界規模となったパンデミックすらも、かなりの季節性をもっていたので、時間の推移とともに終息は予測できた。しかし、新型コロナのように季節性がないとすれば、人類のほとんどが免疫をもつまでは、本格的な終息はないことになるので、もはや麻疹やインフルエンザのような対応をしなくてはならなくなる。

 いまのところ、こうした細部にわたるデータと経験は、人類全体でみてもほとんど保持していない。ということは、これから急速に新型コロナの研究が進むことがあって、条件が変わるかもしれないが(それを期待したいが)、当面は費用が高くつく「間口の広い戦略」で臨む、あるいは極端に走らない対処が最もリスクが低いことになるだろう。戦略を絞り込むのは、情報が増えてからにすべきなのである。

 

(註;後記)この記述は、いまとなっては誤りというべきだろう。新型コロナの影響が数か月、たとえばSARSのように、1月から始まって5月ころには終息するような事態ならば、経済バブル崩壊の「きっかけ」となっても、1年を超える不況の原因そのものではないと考えてもよかった。しかし、現実には1年あるいは2年もの長期で経済に影響を与えることが予想されている。もはや、このパンデミックはきっかけにとどまらず、不況の原因そのものといってよい。したがって、地震のアナロジーで比較するのは不適切だったと言わざるをえない。シラーの場合も、2020年2月28日付の独経済紙『ハンデスルブラット』電子版で語ったさいには、新型コロナはショックではあっても、一過性のものと論じていたが、複合エピデミックと指摘する時点では「新しい事態」とのべ、その後は新型コロナの影響そのものの影響をもっと強調するようになっている(2020年4月26日)。

バブル崩壊感染症流行の関係については次のサイトを

komodon-z.net