HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウォール街と実体経済の乖離がひどい;これは米経済の復活を遅らせるだろう

ウォール街の楽観的ムードが、あまりに実体経済と離れていることが、注目されるようになってきた。連日、ニューヨーク株式取引所の株価は上がっているのに、ロックダウンが解除されても、消費や製造の立ち上がる速度が遅いからである。

 

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この問題を早くから指摘していたのは、このブログでも紹介したように英経済誌『ジ・エコノミスト』5月9日号であり、「危険なギャップ」という特集を組んでいた。ウォール・ストリート(金融経済)とメイン・ストリート(実体経済)の間には、危険なギャップがあって、それがアメリカ経済の復活に支障をきたすというものだった。

 それはいくつかのグラフを見れば明らかになるが、株価のほうはいちおうV字を描いているのに、消費やトランスポーテーションはせいぜいⅬ字型でしかないのである。それは実は日本でも同じで、アメリカほどではないが、株価だけが復活の狼煙をあげているのに、実体経済はリバウンドの兆しすらないのである。

 

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The Economistより


もちろん、この傾向はアメリカのほうが甚だしく、ウォール・ストリート紙などには「米経済に『薄日』、コロナ不況に底入れの兆し」という記事が掲載されたので、読んでみると、それこそ「兆し」でしかないということが分かる。あれこれ、各分野の「兆し」を書いたあと、次のように述べている。

 「とはいえ、経済見通しは依然、極めて不透明だ。ここにきて復調の兆しが出ている背景には、緊急経済政策による支出急増や1日当たりの新規感染者の減少に加え、複数の州で経済活動が再開されたことがあるが、これらはいずれ長続きしないかもしれない。

 失業給付増額などの政府支援は、今後数カ月に縮小に向かう可能性があるほか、米連邦準備制度理事会FRB)当局者は、経済再開に伴い、感染の第2波が訪れれば、状況は再び悪化する恐れがあると警鐘を鳴らしている」 (日本語版より)

 

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The Ecinomistより

 

あれ、あれ、アメリカでは85%もの労働者がテレワークできるから、大丈夫なはずでなかったのか? と思った人はこのブログの「ポスト・コロナ社会はどうなる(2)」をご覧いただきたい。アメリカの労働者の多くは接触を必要とする仕事についており、食肉業の工場などで働いていた人たちは「3密」そのものの職場だったのだ。

 そして、ようやく日本経済新聞も5月28日の夕刊で、1面に「米経済『急激に悪化』」という記事を掲載し、5面の「ウォール街ラウンドアップ」でも「楽観論、実体経済とズレも」との記事を載せた。この「も」は不要で、まったくいまのアメリカの経済は、このズレを抱え込んでしまったのである。

 日本はなんとか、中小企業とくに流通や飲食店などの営業を継続する政策を次々に行って、資金ショートを可能なかぎり阻止し、そしてその結果として失業率がジャンプするのを抑制していくしかない。アメリカが20%の失業を視野に入れているのに対して、日本は5%くらいを考えているらしいが、これも短期間にとどめたいものだ

ところで、同紙の1面には「米死者、10万人超す」との記事も見える。アメリカの医療制度や所得格差を考えると無理ないと思われるが、トランプ大統領の最初の対応もひどすぎた。最初のころの発言を読み返せば、こんなものは大したことがないという態度がみえみえで、医療制度問題や所得格差があっても、ここまでひどくなることはなかっただろう。 

 

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こうしたトランプの失態や英国のジョンソン首相のマッチョな対応を見て感動したのか、日本でも緊急事態宣言による経済活動制限はいらないと言い出した論者が何人かいたが、奇妙なことにそのほとんどが経済を重視するという議論だった。どう考えても短期のロックダウンのほうが、その後の経済的打撃は少なく済ませられるのに、マッチョな振る舞いをすることが、「保守」だったり「思想」だったりすると信じ込んでいるようだった。

 なかには一定の年齢によって感染者はもう治療をあきらめるという「トリアージ」を最初から前提として論じている者もいて呆れてしまった。しかも、治療をほぼ完全に放棄して死なせることを意味する最悪のものである。本来、トリアージは選択肢を3つくらい考えておいて段階的に対応していくので、最後にこの種のトリアージも採用するというのなら分からないでもない。そうでなくて、何の条件もなく危機がきたら75歳以上は死んでもらいますというのは、政策でも戦略でもありはしない。

 スウェーデンの例がよくあげられるが、この国は日本の人口密度と比べれば13倍くらいの過疎国家である。つまり、単純計算なら接触率は100分の1以下なのだ(もちろん、住んでいるのは都市とか町だろうから、もうすこし上がるが)。しかも、きわめて個人主義的な傾向と国家主導的な傾向が強いといわれるお国柄である。そういうところで採用しているトリアージを含んだコロナ対応策が、はたして日本で可能なのかどうか。それは物理的に最初から無理だったろう。

アメリカに戻るが、私は先ほどの「10万人」という数字に戦慄する。これはベトナム戦争朝鮮戦争の戦死者よりもはるかに多い。人口比で日本に当てはめれば5万人の死者ということである。目の前で5万人がなすすべもなくつぎつぎに亡くなれば、経済的打撃だけでなく、精神的打撃もきわめて大きくなるだろう。

それはまさに何の意義もない敗北戦によって、つぎつぎと殺されるようなものだ。おそらくアメリカ人にしても、こうした事態に直面すれば、経済にとどまらずモラルとモラールはさらに荒廃するのではないだろうか。