HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

デフレだから自殺増、インフレなら大丈夫?;それはまったく間違っています

失業率と自殺数との間には強い相関関係がある。つまり、失業が多くなると自殺する人が増えるのである。この相関関係については各分野からの多くの研究があって、ほとんど疑いのない事実と考えてよさそうである。

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 この相関関係をさらに拡大解釈して、失業率とインフレ率との間にも相関関係があり、しかも、デフレのときには自殺者が多くなり、インフレのときには自殺者が減少すると論じる人もいる。たしかに、1998年以降について見れば、この関係は疑うことはできないように見える。では、デフレを避けてインフレにすれば自殺が減るのだろうか。

 実は、この「デフレ自殺増加でインフレ自殺減少」という関係を、ひとつのテーゼまで高めてしまうのはきわめて危険だといわざるとえない。さらには、デフレから脱却すればインフレが40%くらいになる政策を採用しても、人びとは幸福になれると主張するとしたら、それはほとんどペテンというべきものになる。

 最初に言ってしまえば、インフレが急速に高まっていけば、やはり失業率が高くなり、そして自殺数も増えてしまう。ということは、必ずしもデフレがすべての悪の根源で、インフレはともかく繁栄の同伴者なのだということはできないということである。

 こんなことは、インフレの時期に生きた経験があれば当然のことであって、論じるに値しないことかもしれない。しかし、すでにインフレの経験をした人間が経済政策を論じることは少なくなり、そのいっぽうでインフレに極めて寛容な経済理論を崇拝する論者たちが活躍するようになれば、過去の歴史を無視して論じても通用する危険が生まれる。

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 まず、簡単に失業率と景気との関係をざっと見ておこう。失業率(太線)が急進したのは、もちろん1998年のアジア危機以降だが、このとき日本国内では橋本改革が進められ、さらに2000年代になると小泉改革が始まっている。2000年にはアメリカを中心に始まったITバブルが崩壊して、世界的に景気後退が見られた。この景気後退から立ち直ったあたりで2008年のリーマンショックが起こり、日本国内でも再び失業率は急伸するのである。

 こうした、比較的近年の出来事からデフレは失業を生み出しインフレは雇用を増やすと結論づけてしまう気持ちは分からないでもない。しかし、注目しておいてよいのは、たとえば1970年代前半においても失業率は急伸し、また、1980年代にも同様であり、さらには1990年代前半にも失業は増えているということである。

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oneinvest.jpより

では、こうした時期での失業率の急伸はデフレによって起こったのだろうか。必ずしもそうではないのだ。70年代前半は激しいインフレに見舞われた結果であり、80年代前半はアメリカの不況、同後半はプラザ合意による円高が失業率の原因だが、この間、デフレに陥っていたわけではない。90年代ですら前半はデフレではなかったのである。

 では、どのように考えればいいのか。それは実は単純な話で、企業が経営に失敗するような変動の激しい時期には失業率が高まるというだけのことである。そして、失業率が高まればその相関関係にある自殺数は増えてしまう。

 ここからは少し推測を加えるが、このときミクロ的な現象としては何が起こっているかといえば、50歳代から60歳代の自殺が急進する。この現象は経営者ことに中小零細企業の経営者の自殺ではないかと仮定すれば分かりやすい。それが顕著なのは80年代前半と1998年から2000年代にかけてだが、50歳代だけをみれば1970年代にも緩慢だが確実に増加している。

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 ここでインフレ率も振り返っておけば、70年代、80年代前半の経営者の自殺はデフレではなくインフレの時期に起こっているわけで、1998年以降だけがデフレ基調のなかでの経営者の自殺の増加が見られたと推測できることである。

 ここで経営者という仮定が正しいかどうかを、次のグラフで見てみると、この仮定がけっして見当違いではないことが分かる。1980年代前半、1998年、いずれの場合でも「自営業」の自殺は急伸している。もちろん、「被雇用者」「無職」もそれ以上に急伸するのだが、自営業あるいは中小零細企業の経営者の自殺によって、被雇用者や失業者の自殺が加速されるという因果関係を想定するのは(逆ではなくて)、それほど不自然ではないだろう。

 

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 ここで興味深いのは、1990年代には98年になるまで自殺者が急増しなかったことである。あれほどのバブル崩壊によって大打撃を受けた時代の人たちが、自殺に傾斜するのは98年になってからである。自分が育てた会社が「もうだめだ」という絶望にとらわれるまで、まだ間があったということなのだろうか。

 以上、どうでもよいような「デフレで自殺、インフレで自殺阻止」という話がいかに根拠のないものであるかを述べてみた。もちろん、こうした怪しげなテーゼを振り回す人間は、1970年代と1980年代のインフレは「デマンド・プル」ではなく「コスト・プッシュ」だったと言うかもしれない。しかし、いずれにおいても中小零細企業の経営に激しいショックを与えることは自明のことである。

 ながながと書いたが、この投稿の意義はデーターから経済政策にまで話をもってくるさいにはマクロ的な視点だけでは危険であること、ましてやドマクロ理論を振り回すのはおろかであることを示唆していることだ。さらに付け加えれば、もちろん政府の賢明な部分は(いまの政権にそういう部分があるとしてだが)、中小零細企業の資金ショート阻止や倒産回避のための様々な措置をとっているわけだが、日本の自殺数上昇を低減するためにも、中小零細企業のサポートをさらに強化するべきだということになる。