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東谷暁による「事件」に対する解釈論

中国のデフレと日本のインフレから考える;政策も経済学もそのときの課題に依存する

植田日銀総裁国債金利上昇を是認したというので、いよいよ日本もインフレに突入するという報道が見られるようになった。例によって単純なインフレ対デフレの構図だが、これまでの黒田時代とは異なる金融政策に、おずおずと進みつつあることは間違いない。そのいっぽうで、デフレにずるずると落ち込んでいる中国経済も見逃せなくなっている。対照的な日中比較から、いまの世界経済と経済政策を概観する。


英経済紙フィナンシャルタイムズ8月13日付は「中国と日本はインフレの階段を通過中」を掲載している。この記事を書いたライターはふだんから、さかんに日本社会と経済との齟齬を指摘する記事を寄稿しているが、今回はデフレに向かう中国とインフレに向かう日本との対比から、2つの東アジアの国の経済政策への姿勢の違いを、浮き上がらせようとしているらしい。

冒頭から白けてしまうのは、日本の書店のぎっしり本の詰まった書棚が並ぶ光景を、モーゼの「海割り」に見立てていることで、東アジアの2つの経済大国の経済現象の違いを、分かれゆく大海原になぞらえているのだろう。しかも、ここで取り上げている日本の本が、いずれもインフレに関するものだが、残念ながらそれほど売れていないインフレ対応ノウハウ本で、せめてベストセラー級のものをもってこないとイントロとしては弱いだろう。


まあ、そんなのはよいことにして、日本がインフレに向かうことの意味と、中国がすでにデフレに落ち込みつつあることの意味を、比較してみることは大いに有意義であることは間違いない。しばらくこの記事にお付き合いいただきたい。まず、日本についてみれば、「もし、本当に日本のデフレが終わったのだとすれば、これからインフレに取り組むことが次の仕事になるわけで、日本の経済システムがよく機能するようにするには、うんざりするような作業が山のようにあるだろう」。

この記者は日ごろから経済が円滑に進むことが至上の価値であり、それができない日本の社会システムが常におかしいと思っている傾向があるので、恐れ多いことに、それが分からない日本人の行く末を案じてくださっているわけである。では、中国のデフレのほうはどうだろうか。「驚くほど高い若い労働者の失業率、低迷する不動産価格、重い負債を抱え込んだ産業部門などすべてが需要を下落させている。そして、こうした事態を生み出した背景が、7月の消費者物価をマイルドだが否定できないマイナス値にしてしまった」。


さてそこで、1990年からの株価暴落や不動産価格下落で終わった、1980年代の日本のバブルとその崩壊が取り上げられる。「いまの北京の経済的試練と1990年代初頭の日本政府の試練を比較すれば、(格付け会社ムーディズのステファン・アングリックがいうように)この2つは『不気味なほど似ている』ということになる」。ということは、中国経済も日本の「失われた20年」になるのかというと、インフレ警告本を読んだこの記者の判断はかなり違うようだ。

「インフレは日本のさまざまな問題にとってよい条件になるかもしれないのに、デフレのときよりもずっと悪い影響を与える可能性がある。いや、そうなるに違いない」。なんでそうなるのか?「北京政府は消費者物価に関するきわめて長い論争に、比較的ゆったりと構えるだろう。日本の場合には30年もの間、デフレは危機とされて国民を右往左往させた。こんどのインフレもあっという間にトラブルの炸裂へと発展する可能性がある」。

ジ・エコノミストより:ついに中国はデフレに入った


もうすこし、真剣に中国経済について憂慮している報道もある。英経済誌ジ・エコノミスト8月9日付は、「中国はデフレから逃げられるか」を掲載している。副題は「3つの間違ったドグマが政治的権威の対応を邪魔している」というのだから、奇妙な偏見なしに「世界のなかでの例外」である中国経済のデフレに、真摯に取り組んでいることが推測される。

手っ取り早く、同誌が指摘する中国政府の3つのドグマを見てみよう。「いくつかの救いのない信念が、中央政府を拘束している。第一に、経済政策による刺激が無駄だという見方がそれである」。第二が、「中国の官僚のかなりの部分が、小さな穴である金融をとおして経済を拡大するという政策は間違っていた」と思い込んでいる。第三が「中国の政府は経済的な刺激政策と、時間のかかる経済改革とは折り合わないと信じている」ことだという。

 

この3つについては、日本においてもみられる傾向であり、また、さらには欧米でもけっして無縁ではない問題だろう。たとえば、住宅の税金をなくし低所得者への優遇などをしても、経済への信頼を失った国民は動かなくなる。また、住宅ローンの金利を下げ税金を撤廃しても、負債を抱え込んでしまった民間企業や家計はそうした政策では刺激できなくなる。さらに、ある分野での融資や援助を打ち出すことと、その分野での汚職をなくすることが、つねに結びついて経済によい結果をもたらすとは限らない。

中国経済が不動産バブルの崩壊とコロナ政策の失敗で、巨大な不良債権や民間の負債を抱えているという状況が、かつての日本の不動産バブル崩壊後の状況と似ていることは確かだろう。日本のバブル崩壊を研究したアメリFRBにおいてすら、迅速な金融政策によってバブル後の立ち直りは容易だと、バーナンキは信じていたし、人気経済学者クルーグマンも支持していた。しかし、いったんバブルが崩壊すると、不良債権FRBが買い取り、財政出動を実行することでしか、有効な政策にならない。そのことに気がついたのは、ある程度の時間がたってからだった。

しかも、日本の場合のように、不良債権の買い取り策が提案されても、激しい「金融業優遇策」との批判のなかで実行できないでしまい、さらに不良債権を増殖させてしまえば、それこそ「失われた20年」の中国版が現出するだけだろう。余裕をもって対応するのがいいなどと言っているのは、ただの傍観者か無知蒙昧のたわごとである。バブルが崩壊するのは仕方ないとしても、その崩壊後の対応策は歴史が示しているように一刻を争うのだ。

経済政策について何か言うには、その社会の考察が必要だ

 

それが日本はできなかったのであり、アメリカではFRBが日本を他山の石とすることで、議会にさんざん批判されながら実行した。それが根本的な違いだった。いまの中国はどうかといえば、不動産バブル崩壊後の対応は規模が小さすぎ、また、コロナ禍対策の失敗については何の反省もない(ように見せている)。それでは、ますます不良債権と負債が増殖していくだけだろう。

日本のインフレについても、フィナンシャル紙の記者がいうほど国民は右往左往しているわけではないが、これからインフレが定着していくなかで、どのような政策が必要かは、もっとまじめに議論しておく必要がある。インフレは確かに賃金上昇があれば影響は緩和できる。しかし、それは高齢者にとってはあまり意味がない。いまの日本は高齢少子化の社会である。現実に対応する政策がなければ政権は崩壊し、社会は混乱の度を深めるだろう。