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東谷暁による「事件」に対する解釈論

どこまで安くなるYENと日本の値段;円を買い支えても意味がないのか?

5月2日の朝のニュースでは円安が一時的に逆転して対ドルで153円台まで上昇したことが注目された。もちろん、「繰り返し」の日本政府による介入があったからだが、すぐに下がり始めて155円台まで下がった。おそらく、ふたたび下がっていく可能性は高い。政府による介入をめぐっては評価が分かれているが、では、どのようなメカニズムが働いているのか。プロにとっては自明かもしれないが、一般の人向けの説明が意外に少ない。少しばかり説明して、それから日本の運命を考えよう。


すでに政府の介入は繰り返されていたので、たとえば、英経済誌ジ・エコノミスト4月30日号は「円の(無理な)押し上げは日本政府が間違っている」とのタイトルで、そのものずばりの批判記事を載せていた。一言でいえば「通貨の買い支えは高くつくし実効性がない」との見解である。通貨為替相場について簡単な説明から始めて、この記事がどの程度正しいのか考えたい。

まず、これまで議論されてきた一般的な説をいくつか紹介しておく。市場が決めるなどというが、では、その市場を動かす決定的な要素あるいは基準は何かということだ。いまから30年くらい前に教科書に載っていたのは「購買力平価説」だった。「為替レートは長期的には異なる通貨の購買力が等しくなるように決まる」というものである(この購買力とレートの決まり方については文末の註1をご覧ください)。たとえこのレートから乖離しても、長期的には回帰するとされた。この説の延長線上にあるのが、それぞれの「インフレ率説」が為替レートを決めるとの説で、インフレ率が高ければその国の通貨は国際的に安くなり、低ければ高くなるとの説明は分かりやすいだろう。

日本経済新聞より


しかし、これらの説は通貨が大量に発行される時代になってからは成立しにくくなったとして、有力になったのが「金利差説」である。アメリカの金利が高く、日本の金利が低ければ、ドルを持っていたほうが有利だから、為替レートはドル高円安に振れると考える。この場合、単純に金利が為替レートに反映すると言えないこともないが、それでは現実に合わないとして、絶対的な比較ではなく、一定の期間の金利の変化率が反映するとする説に支持が多くなった。

ただし、その場合でも一定の時間が必要とされるので、金利の変化率が為替レートに反映するのは、長期とはいわないが中期の場合の最大のファクターだと考えるようになっている。ここでいう長期、中期、そして短期はどれくらいの期間かも問題になるが、短期が数週間から数か月とすれば長期は1年という経済学教科書の目安があることはある。しかし、長期を「市場が安定する時間」とするアカデミックな(悠長な)定義もあって、ニュースなどでは厳密な使い方はされていない。ということは、中期も長期と短期の間というくらいの意味と受け止めておくしかないということになる。

REUTERSより:このレートの動きを説明するものは何か


もちろん、短期的にはさまざまな「ショック」と呼んだほうがよいファクターがいくつかある。たとえば、「政治的な事件」であって、戦争の勃発などは典型的だが、政府や中央銀行が何らかの意図で、それぞれの政策ツールを用いて「介入」するのも短期的なファクターである。介入するさいには、当然、勝算がある場合だろうと思いたいところだが、必ずしもそうではない。日本の場合、単独の介入では限界があるので、アメリカと示し合わせて行うことが、おそらく最も大きな成功の要素といえるだろう。

さて、為替レートについての所説をもっと紹介したいが、それだけでひとつのジャンルとなっているほどで、細かい話は諦めてジ・エコノミストの議論に移ろう。同誌は「日本が介入しているのは間違っている」と主張して、さまざまな根拠を並べている。まず、金利差説からの批判である。「円が下落しているのは単純な経済の論理によっている。日本とアメリカの金利ギャップは呆れるほど大きいのだ」というわけで、金利差説で論じて、これほど差があれば当然だろうという。

久しぶりに財務省の財務官が注目された


「投資者たちは時間経過のなかの金利差から、それほど大きくないにしても、ある程度の圧力を予想している。その結果として、それぞれの国債の10年物の利回りが、日本の場合にはたったの0.9%であるのに対して、アメリカの場合には同じ10年物の利回りが、なんと4.6%にも達している」

次にジ・エコノミストが取り上げるのが「インフレ率説」である。日本は1990年のバブル崩壊以降、インフレどころかデフレ経済を続けてきた。この数年の世界的なインフレ傾向の影響のお陰で日本はようやく、目標としてきた2%以上のインフレを示すようになってきている。ところが、こんどはそれがオーバーシュートする心配すらするようになっているという。つまり、日本のインフレの上昇率が、アメリカのそれよりも大きくなることも考えられる。事実、そうなった局面も短期的にはあった。こうなると、日本の円は対ドルで安くなると予想されるわけで、これもまた今の円安を呼び込んでいるというわけである。

もう一つ知っておかなければならないことがある。これまでも、世界の投資家たちは、円が安く金利が低いことを利用して「キャリートレード」を行ってきた。金利が低く安い円を借り出しドルに変換して高い金利で運用すれば、きわめて旨い利ザヤを稼ぐことができる。このキャリートレードによって、円はますます安くなり、ドルはますます高くなっていた。しかし、これは理論的には永遠に続けられるものではない。そこでその転換点を日本政府は探っていると思われるのだが、その転換点は何時かというのが不明なために、しばしば、逆に円安を招くことになる。

 

NIKKEI Asiaより:することがなくなって万歳をしているわけではない


2022年に日本は介入を行って円をやや押し上げたが、この円高傾向は継続するというその肝心な点が、やはり曖昧なのだから保証は何もなかった。それどころか、事実、かえって投資家たちにスキを見せてしまい、彼らが漁夫の利を得る結果を招いてしまった。つまり、ジ・エコノミストにいわせれば、こういった下手な介入は日本がもっている外貨準備を無駄にするだけでなく、かえって状況を悪くしてきたというわけである(REUTERSのグラフを参照のこと)。

 

朝日新聞より:この図の上部に本来は政治的圧力があるわけである


しかも、日本政府が金融市場に介入するときというのが、たいがいは「政治的な計算」や「国家のプライド」といったものと、抱き合わせで判断されていると同誌は指摘する。「弱い円は輸入を不利にする。ことにエネルギー分野ではそれが顕著であり、この種の介入というのが有権者を意識してのものなのだ。しかも、日本の介入が政治家たちの都合に沿ったもので、理論的に正しいやりかた(つまり、アメリカのFRBに従うやり方ではない介入)でないため、単に前出のキャリートレードをやっているトレーダーたちに甘い汁を吸わるだけで、日本は外貨準備の無駄遣いをしているだけなのである」。

無駄遣いかどうかについては、今回の日本政府の介入で、日本はすごく儲けたとの説もある。つまり、安い円を売ってそれが高くなったのだから、その差額は儲けだというわけである。しかし、この高くなった円が再び以前より安くなったら損したことになるだろう。そもそも、こうした浅薄な評価の仕方というのは昔からあったが、外貨準備はあくまで手段なのだから、長期的に有効だった否かで後に評価されるべきで、直後に「儲かったか損したか」ではないのである。

政治家たちが選挙民の歓心を買うために、成功しない介入をやらせているという話はどうだろうか。まあ、ここらへんはかなり正しいのではないかと思うが、まったく見え見えの歓心目当てだけの介入も困難だろう。しかし、それでは日本はどうすべきなのか。ジ・エコノミストは有効な介入の方法を教えてくれるわけでもなく、日本の弱みに付け込んでいる悪辣なトレーダーを、一網打尽にして罰しろと主張するわけでもない。結局、日本は損するから止めておけと言っているに過ぎないのである。

桜なんかで浮かれている場合ではなかったのだ


少し日本の財務省と日銀を弁護すれば、5月2日の介入はアメリFRBのパウエル議長による同月1日の発言「金利は当面据え置き」を受けたもので、それなら少しは効果があるかもしれないというものだったと思われる。その意味では、まったく政治家の都合だけというわけではないし、追い詰められてでたらめをやったというわけでもない。また、賃上げとインフレの好循環を生み出すための中期的措置としては、まったく無駄ではないかもしれない。ただし、こうした短期の介入を行うのが効果的になるのは、長期的なトレンドが円安からの脱却に向かっているときでなければならない。その意味でいえば、いまの日本の経済を見る限り、残念ながら長期的に成り立っとは思えない。

10年にわたるアベノミクスは、インフレターゲット理論の飼育場となり、また、マイナス金利の実験場となり、そして、政府のお金はいくらでも使えるという宗教的感情の祈禱場になってきた。これらはすべて「短期的せいぜい中期的なものである政策を長期でむきになって実施した」としか言いようがない。そのことで潜在的にはすでに円安が当然という状況にあったわけである。それでいまになって「普通の国の金融政策をやります」と言っているのだから、すぐにうまくいかないのは当然である。

5月2日における経済ニュースのなかで、少しでも希望が持てるのは、賃上げの傾向が中小企業にも少しだけ見られるようになってきたことだろう。しかし、さらに急激に円安になれば、それも相殺されてしまうかもしれない。

註1)たとえば、通貨Aと通貨Bがあり、同じリンゴの値段が通貨Aでは1Aで、通貨Bでは2Bの価値があるとすると、1A=2Bであり、レートはA=2Bとなる。リンゴ1個が円では300円で、ドルでは2ドルなら、1ドル=150円というレートになる。リンゴだけでなく同じような生活を成り立たせるモノとサービスの全部で比べる場合には、「平価」と呼ばれる計算テクニックを使って計算すれば、同じようにレートが決まるとされる。