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東谷暁による「事件」に対する解釈論

崩壊しつつある世界では偽情報が武器になる;ポスト・トゥルース時代の非倫理的現実

前回の大統領選挙にトランプが出馬したころから、さかんに「ポスト・トゥルース」という言葉が使われるようになった。直訳すれば「後・真実」となるが、いまや真実が見分けにくい時代になったということである。たとえディスインフォーメイション(偽情報)であっても、繰り返し大量に流されると正しいのではないかと思えてくる。それどころか、これまでの真実と称するものは、特定の人々が意図的に我々を騙していたのだと思うようになる。


経済誌ジ・エコノミスト2024年5月2日号の特集は「真実かウソなのか?」で、いまや不安定な世界情勢のなかで偽情報が蔓延し、これから世界中で始まる大きな選挙にも深刻な影響を与えようとしているというわけである。この特集に向けた同誌の社説「いかにして偽情報は機能するか、そしていかに偽情報と戦うか」は、「より連携を強めて、さらにデータへのアクセスを容易にすべきだ」と論じている。

同社説が「偽情報」の代表例としてあげているのは次のような情報である。まず、ハワイを襲った大山火事はかなりの住宅地を焼いたが、これは実はアメリカ軍が試験した秘密の「気象兵器」が暴走したものであるという情報である。また、アメリカのNGOはアフリカにデング熱を意図的に流行させているといわれる話。さらに、ウクライナのゼレンスキー大統領の妻がニューヨークの五番街で11億ドル分の贅沢品を買いまくったらしいとの噂もある。あるいは、インドのモディ首相の支配は、実は2008年に亡くなった同国の歌手マヘンドラ・クーパーの歌によって予告されていたという説が流れているという話である。


もちろん、同誌が取り上げるのはこうした、受け取り方によっては笑い話になりそうな都市伝説的なものだけではなく、中国が台湾の選挙に対してどれほどの影響力のある情報介入を行っているかという情報もある。もちろん、この延長線上にはロシアによるアメリカの選挙への干渉も意識されているわけで、同誌は「これから世界の半分で(アメリカの大統領選挙に見られるような)大きな選挙が続くが、偽情報が蔓延し続ければ危険だ」と指摘している。

しかも、ソーシャル・ネットワークの急速な普及に加えて、生成AIの発達は状況をさらに悪化させている。嘘だと見破りにくい偽情報をいくらでも作り出せるようになり、それらをきわめて容易に世界中に拡散できるわけだから、いかに現在が偽情報にとって繁茂するのに好条件かについて強調している。ある人が主張したことだが、人々の生活を向上させるとされるイノベーションが進めば、同時に人々の生活を損なわせる犯罪のイノベーションも進化するのである。


ところが、同誌はいまの状況が深刻だと指摘していながら、そのいっぽうで、それを克服するのもコミュニケーション技術や人工知能であり、また、それで足りない分は世界的な協調体制によって補うべきだなどと、まるで小学生の優等生作文のようなことを書いている。肝心なことを忘れていないだろうか。こうした偽情報はまさに政治や軍事においてこそ、最も効果を発揮するということを。そもそも、偽情報によって自分たちに富が流れ込む仕組みを作ったのは、誰あろう同誌の国元である大英帝国であり、そしてその派生的発展を遂げた大米帝国ではないのだろうか。

まあ、そこまで遡って分析はできないとしても、もう少し過去の諜報戦略と植民地支配との関係についても思い出してほしいものだが、ここでは措くことにしよう。それでも気になるのは、同誌の社説にある現実についての真摯な追跡の欠落と、その解決法についての思索の浅さであることだけは指摘しておきたい。


ここでぜひとも述べておきたいことは2つある。ひとつは挙げている偽情報の例が中国などの選挙介入などを別とすれば、小話向けの落とし噺ばかりであることだ。こんな自明な例よりも、問題なのはもっとボーダーライン上の偽情報ではないのか。たとえばウクライナに関して取り上げるなら、大統領の妻の奢侈よりもその夫の密かな蓄財ではないのだろうか。特別な秘密情報でなくても、ゼレンスキーがこの戦争のさなかでも蓄財に余念がないという説があり、それはウィキに削除されることなく載っていたが、なぜここで問題にされないのだろうか。

また、コロナ・パンデミックのさい、スウェーデンは自国のコロナ対策にかなりの失敗をして国王すら「失敗した」と慨嘆したにもかかわらず、それがなかなか正確に報道されなかったのはなぜなのだろうか。世界中の媒体にスウェーデンのコロナ禍はたいしたことがないと印象付けるような、人口比を無視した死者数比較をしている記事が掲載され、しかも、他でもないジ・エコノミストも目立たないように掲載していたのはなぜなのか。分かりやすい都市伝説より、境界上の微妙な事例こそが本質を炙りだすのだ。


そしていま、イスラエルの過剰すぎる報復に対する批判への反論として、あいかわらずハマスによる昨年10月7日の残虐性を繰り返すだけの情報が、オンラインでも印刷物でも粘り強くばらまかれているのはなぜなのだろうか。そこでは意図的なカウンター・インフォメーション戦略が行われていると推察せざるをえず、また、それに協力的なメディアや論者が存在するため、ほとんど「偽情報」の領域まで達している。こうしたプロパガンダの状況は、実は、いま世界は本格的な「戦時」なのだという認識を新たにさせてくれるものなのである。

もうひとつ述べたいのは、この問題と関係しているが、前述のようにジ・エコノミストの提示する偽情報に対する解決策が、「技術の発達を逆手にとって技術的に偽情報を阻止しましょう」、「それで足りない分は世界的な協力によって補いましょう」という、まったく楽観的な考察に転げ落ちているのは、単に同誌の認識が甘いからではない。実は、世界が秩序を失いつつあるという状況を真剣に考えたときには、何か言おうとすれば口先のおためごかしの美辞麗句しかなくなるからである。


1990年、冷戦が終わりかけていたとき、アメリカの政治学ジョセフ・ナイが、いよいよ冷戦は勝利によって終わるが、アメリカが手こずったのはソ連プロパガンダが効果的だったからだと指摘した。そして、これからアメリカは「ソフト・パワー」で世界を指導すべきだと論じた。ソフト・パワーなどと言っているが、それは敵のプロパガンダへの反プロパガンダ、あるいは先行するプロパガンダであって(ナイは「小学生を善導するための情報のようなもの」などと述べている)、新しい「トゥルース」を打ち立てた国が世界をリードするのだと宣言したわけである。

ジ・エコノミスト誌は、アメリカが分裂し二極化した社会構造を指摘して、偽情報が蔓延する原因だと示唆している。つまり、トランプが登場してきて「ポスト・トゥルース」を加速してしまったからだというわけだ。しかし、事態はもっと深刻であり、長年、自らのトゥルースを主張してきたアメリカ自身が、実は国内でトゥルースを喪失し、世界においては圧倒的な極になれないところまで後退しているのではないのか。

もし、そうだとするなら、新しいトゥルースつまり倫理秩序が形成されるまでは、世界における真実は「闘争」だけであり、イスラエルがいくら過剰報復によって殺戮を繰り返してもストップできず、トランプが再選すれば「ディール」による偽秩序(ウィン・ウィンのビジネスではなく、実はパワーによる押し付け)が正当化されることになる。