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東谷暁による「事件」に対する解釈論

日本と韓国における少子高齢化の共通性と相違性;比較から克服のヒントをさがしてみよう

韓国の出生率が急激に落ち込んで、経済発展に支障が生まれるという話はずいぶん前からあった。それを聞いた日本人の中には韓国経済恐れるに足りずと思った人もいた。日本の出生率もかなり低くなっていたのだから、本来、喜べるような話ではなかったのだ。しかし、最近の韓国の人口動態はあまりにも急速で、経済発展の可能性を奪っているように見える。その傾向を逆転する方法はあるのか。それは日本にとっても重要なはずである。


経済誌ジ・エコノミスト5月2日号は「日本と韓国が高齢化による貧困と戦っている」との記事を掲載した。全体の構成としては日韓の少子高齢化から生まれている労働力の減少について比較するものとなっているが、ざっと読んだ限りでは現象において両国はきわめて似ているので、この問題は両国にとって克服不可能なのではないかと思わせてしまう。

いきなり核心に迫ってしまえば、西欧諸国のように少子高齢化の兆しが見えたときに、移民によって労働力を補っていくというのが、歴史的にはもっとも安易な方法だった。しかし、同誌によれば「それは両国ともタブーになっている」ので、採用できないと示唆されている。しかし、この点、日本はすでに「裏口からの移民政策」といわれながらも、いま外国籍の滞在者は300万人に達しつつあり、この10年間の「移民」は急速に伸びているのである。それが効果的なのかどうか、また、こうした移民政策に問題はないのかはあとで述べよう。


ここで同誌に従って問題の所在をもういちど確かめてみよう。まず、韓国はOECD諸国のなかで2番目に「高齢者の収入貧困率」が高い国だという事実である。同国は65歳以上の国民の40%近くが貧困層に属しているというのだ。日本の場合は20%程度なので、日本よりはるかに高齢者の貧困層が多い国だということになるが、OECDの平均が14%なのだから、日本も十分に「高齢者の収入貧困国」といってよいだろう。

同誌が次に目を向けるのが収入と年金システムで、この点でも韓国は日本と同様に問題を抱えており、その解決もまたかなり困難であるように思われる。OECD基準で貧困層とされる韓国人の収入は約22,000ドルである。これは不動産などの資産を考慮していないが、メキシコの平均収入よりも高い。しかし、韓国の高齢収入貧困層は不動産のような資産をもっていることは稀である。

より問題なのは年金制度のほうで、韓国は日本の制度をかなり参考にして類似のシスレムを作り上げたと同誌は見ているようだ。日本は1961年には全国民をカバーする公的年金制度を開始した。いっぽう、韓国は1988年に国民の一部に適用する年金システムを導入し、1999年にはほぼ全国民を対象とする制度を確立している。

日本の公的年金制度は2つの部分からなっており、ひとつが国民すべてに適用される基礎年金部分で、もうひとつが民間企業の正社員に適用される厚生年金で、掛け金は個人と会社が折半することになっている。企業によってはさらに企業年金をもっているところもある。いっぽう、韓国の制度もかなり似たものだが、基礎年金は収入の上位30%の人には適用されない点が異なっている(つまり、下位の70%の人に適用される)。収入が高い人には、企業年金や個人による年金が利用できるのは日本と同様である。


しかし、高齢者にとっては両国とも大きな問題が2つある。ひとつは、基礎年金だけではとても生活を維持できないことだ。日本の場合、モデルケースでみて、1カ月で65,000円(約410ドル)の支給であり、フリーの人にはこれだけしかなく、「しみったれた」制度というしかないと同誌は述べている。いっぽう、韓国の場合、ある試算によれば、1970年生まれの収入が上から10%の人は、保険の掛け金の34年分が支給されることになるが、下から10%の人は約19年分の支給にすぎないという。

高齢者にとっての2つめの問題は、両国とも男女差がかなりあることだ。「おそろしいほどの」と同誌は形容している。男女差がおおきいと「離婚はきわめて(女性にとって)打撃となる」。女性のほうが、給料が安くて雇用が不安定であると、高齢の女性は貧しくなる傾向が大きくなる。日本の年金は伝統的家族観によってできているので、男性は働き女性は専業主婦になるということが前提となっている。そのため「扶養家族」の概念が存在していて、妻が一定額より稼がなければ、保険の掛け金も払わないですむようになっていると同誌は説明している。

若い労働力が不足するため、両国とも高齢に達してからも働く人が多い。韓国の65歳から69歳までの約49%がなおも働いている。日本の同データは50%で、OECD内では1位となっている。高齢者に対する労働環境は、日本の場合かならずしもよくないが、多くの人が働きたいと思っており、また、40%の企業が70歳以上の人を雇用している。(これを日本人の勤労精神で説明する人がいるが、ちょっと我田引水、あるいはご都合主義のにおいがする)。


では、これから年齢構成はどのようになっていくのだろうか。日本はいま世界で最高の高齢社会であり、65歳以上の人が人口の30%を占めている。これに比べれば韓国の比率がいまは15%程度で、日本ほどの危機感はないかもしれない。しかし、いまの日本の出生率は1.3%で十分に低いわけだが、韓国はなんと0.78%で、急激に人口が減少し、さらに高齢化が進むことが高い確率で予想される。ただし、日本にとっての救いは、日本の高齢者人口比率は2050年ころから横ばいに向かっていくことだ。それに対して韓国は2070年ころまでは上昇を続ける。これはかなりの社会・経済的な打撃になっていくだろう。

ここからはジ・エコノミストからは離れるが、出生率向上のための政策がうまく行っていたことになっていたフランスが、2023年に前年より0.11%下落して世界的な話題となった。前年が1.79だったものが1.68に下落したのでかなりショックを受けたフランス人もいたようだ。日本の新聞のなかには「産まない選択」が尊重されているからだと述べているものもあるが、「産める環境」のほうの議論も必要だろう。

19世紀英国のマルサスが『人口論』のなかですでに、都市部で「産まない選択」をしている若い夫婦について書いている。彼らは子供を育てることで生じる生活水準の低下よりは子供を持たないことを選んだのだとマルサスは分析していた。しかし、以降の人口論の多くはむしろ生活水準が低い場合に、出生率が上昇する現象も観察してきた。産まないのは文化的な選択で、産むのは生物的な反応なのかどうか、わたしには分からないが、どの程度の生活なら産む選択をしやすいのか、あるいは何か別の要素があるのか、もうすこし冷静な分析が欲しいところである。


最後に述べておくと、最近は移民を受け入れるのが道徳的に正しい行為であるかのように論じられているが、それは難民として訪れた人を受け入れた場合にかぎられるだろう。移民受け入れ政策は、西ヨーロッパ諸国に見られるように、数十年後には社会にとって新しい負担となってしまう政策である。なぜなら、二世代、三世代は永住権を獲得するので、その分の社会福祉費が上昇するからだ。そして残念なことに、その上昇分は労働生産性の上昇分をうわまっているだろう。

細かいことは省くが、これまでのところ移民を受け入れた国の生産性を高めるのは第一世代までで、以降はうまくいって他の国民と同等の生産性向上力をもつにいたる。なぜなら、移民政策は人工的に格差社会をつくって、安い労働力を利用するという側面が強いからだ。あくまで移民の労働力に依存するのは部分的な分野に限定して、来てくれた移民に対しては可能な限り厚遇し、その人たちが帰国できない政治的難民でないかぎり、最後は帰国してもらうという方針を貫いたほうが、お互いによいと思われる。