アメリカの財務省長官ジャネット・イエレンが、少し前のインフレを懸念するコメントを修正したというので話題になっている。バイデン政権の巨額の追加支出については、元財務長官のラリー・サマーズのようにインフレ懸念を表明する者もいる。ジャネットの以前の発言はそうした説に同意するものと思われていたが、今回の発言は政府内の見解不一致を回避することにはなりそうだ。
米経済紙ウォールストリート・ジャーナル4月4日付は「イエレンはより高い金利を予測しないといっている」という記事を掲載した。惹句(リード)が「財務長官は金利が上がるかもしれないという以前のコメントを後退させた」というもので、ほとんどこの惹句につきているようなものだが、その裏側を推測してみる価値はありそうだ。
米セントルイス連銀のCPI(消費者物価指数):この5年の動向
まず、それ以前のコメントというのは、アトランティック誌主催の「未来経済サミット」での収録インタビュー発言で、次のとおり。「たとえ追加支出が経済規模に比べて小さなものだとしても、アメリカ経済が過熱しないように政策金利を若干上げることになるかもしれない」。まあ、それはそうだろうという感じの発言だが、前提としてFRB議長ジェローム・パウエルが「2023年まで金利は上げない」と断言しているだけでなく、イエレンは財務長官という政権内の人間であることから、かなりの重さをもって受け止められた。
そして、今回の発言というのは、4月4日のウォールストリート紙の「CEOカウンシルサミット」でのものだった。「わたしはいまインフレの問題が進んでいるとは思わない。たとえあったとしても、FRBは頼りになる」。つまり、いまはインフレが起こっているとは思わないし、起こっても(そのやり方は言わないが)FRBがちゃんと対応してくれるだろう、という言い方に変わったわけである。
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わたしは、最初のイエレン発言というのは、政権内の人間としてはちょっと軽率だったと思っていた。たとえそう思っても、(そしてその可能性は否定できないものの)、バイデン政権の「売物」を「危ない代物」と貶めるようなコメントで、おそらく大統領およびその周辺は呆れたと思う。これではまるでイエレンが、現役のFRB議長みたいなもので(彼女はオバマ政権時のFRB議長だった)、政府内の財務長官の発言ではないわけである。
ウォールストリート紙は次のように解説している。「そもそもイエレンの発言は、ホワイトハウスの高官が進行中の政策にコメントはしないという慣例からして異常だった。それはクリントン政権から続いてきた規範であって、トランプ大統領がFRBの言動に圧力をかけて、パウエル長官にパンデミック以前に金利引き下げを要求するときまで継続していた」。
もうひとつの問題は、FRB議長が「金利はあげない」と言っているのに対して、ここまで直截に財務長官が否定していいものかということである。先に述べたように、いくら昔自分がFRB議長で、その時代にパウエルは「部下」だったとしても、自分が議長に成り代わってしまっている。パウエルにしてみれば、たまたま今のさまざまな状況のなかで「金利は上げない」と言っているだけのことで、彼の考える許容以上のインフレが生じても、絶対に上げないと言っているわけではないかもしれない。
しかも、ここにはもうひとつ、それ以前の問題もある。FRB議長が「金利をあげない」といったら、FRB議長はそれを永遠に守らなくてはならないかということである。これは結論からいうと、まったく守らなくてよい。ある意味で、こうした発言についての「ウソ」は、FRB議長は口にしてもも罪が問われないことになっている。なぜなら、経済の状況しだいで、金融政策というのは頻繁に変えなくてはならないからだ。イエレンとしては、そんなことは知り尽くしているから、「まあ、金利引き上げもあるかもね」と軽く言ってしまったのかもしれない。
事実、ウォールストリート紙には、今度のイエレンの発言の「訂正」を、それほど大きなものとは考えないエコノミストの発言も紹介している。「イエレンのメッセージは、もし経済が過熱したら、ちょっとばかり金利を上げる必要があるかもしれないというもので、今回の発言もそれほど大きな変化だとは思わないですね」。まあ、これが経済政策的には普通の受け止め方といえるかもしれない(日本版は全体を短くしていて、ここらへんを省略している)。
とはいえ、今回の騒動でも肝心のことが無視されてしまっている。つまり、「過熱している」というのは、何をもってそう呼ぶのかということである。あるいは、インフレが何%くらいになったら、これは加熱かもしれないと思うのかという点である。それは、各種の「異端の経済学」が流行るたびに議論になってきたが、いまだにインフレといえば「ハイパーインフレ」だけを論じる悪習から抜け出せていないのだ。
このグラフは4月時点でのCPIと個人消費(The Economistより)
インフレ許容派は「ハイパーインフレなんて、ワイマールとジンバブエだけで、例外中の例外です」と言っていればよく、また、インフレ懸念派は「そんなことをすれば、ハイパーインフレを引き起こしてしまう。ああ、恐ろしい」と叫んでいれば、なんとなく格好がついた。わたしに言わせれば、両方とも不誠実かオコなのであり、この空しい対立構図はいまも持続中である。
少しでも議論を有効にするには、インフレが国民生活に決定的にマイナスの影響を与えるのは何%かを提示しなければならない。もちろん、ある種の異端経済学者のように「資本主義はインフレが30%とか40%になってももつ」というのは、無意味だから願い下げである。たしかに、アルゼンチンやブラジルのように資本主義の体裁は保てても、それはまったく悪しき資本主義経済である。そういう人はいっそのこと、最近流行りの「エコ・マルクス主義」にでも転向したほうがいい(もう、そうした人も多いのじゃなかろうか)。
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わたしはこれまでの歴史的事実からして、10%台になればそれまでの「主流」経済学はお払い箱になり、20%台に至ったら政権はかなりの確率で交代すると考えている。いまのところ、バイデン政権で生じてしまうインフレは5%くらいなものだろう。これは1970年代のひどくならない場合の数値だったが、これに弾みがついて10%台になるとカーター政権は事実上崩壊し、主流経済学もケインズ経済学からマネタリズムに移行し、さらに80年代になるとFRBはボルカー議長のもとで「インフレ退治」に乗り出さざるを得なくなった。
日本においては、1973年のオイルショックのときにインフレが20%を超えて、その衝撃で「今太閤」と誉めそやされた田中角栄首相が「悪の権化」とされて辞任に追い込まれた。若い人たちと話していると、田中角栄はロッキード事件で失脚したと信じているので驚くことがある。そうではない、それ以前に10~20%のインフレの衝撃があって、地元での土地転がしなどが俄然注目され、政権を追われたのである。
今回のアメリカでのインフレ騒動も、いずれ日本におよぶことがあるかもしれない。いまのところ、デフレなのだから無関係だと信じないほうがいい。来るべきガチンコのインフレ論争を有効にするためにも、かつてのインフレの歴史をここで振り返っておく必要があると思われる。