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東谷暁による「事件」に対する解釈論

イスラエルはこのまま破滅の道をすすむのか;ハラリが提示する悪循環から脱出する方法

ユヴァル・ノア・ハラリが、イスラエルのハアレツ紙に投稿した論文は、世界中で強い反響を呼んでいる。ハラリとはいうまでもなく『サピエンス全史』の筆者で、ヘブライ大学の歴史学教授でもある。すでに彼は昨年の10月7日以降、苦渋に満ちた考察と提言を繰り返してきた。この論文もその延長線上にあり、分量からいえば中間的結論といってもよいものだ。


先回りして、結論部分から紹介してしまおう。すでにネタニヤフ政権はイスラエルを滅亡の淵に追いやっている。それはまさに旧約聖書に登場する英雄サムソンのようなもので、復讐すること以外は考えられなくなり、かえって自らの滅亡を招き寄せている。かつて日本が1945年に滅亡の危機に瀕しながらも、「玉音放送」によって回避したように、イスラエルにも国民を救う「声」と「行動」が必要なのである。これがハラリの中間的結論といえる。

この論文「ガザからイランへ、ネタニヤフ政権はイスラエルを生存の危機に陥れている」は、イスラエルのクオリティ・ペーパー「ハアレツ」4月18日付に掲載され、雑誌『クーリエ』にも転載された。ハアレツ紙はしばしば同国の代表紙のように紹介されるが、実際にはリベラル派の少数者が読んでいる、かなり限定された知的エリート向けの新聞である。昨年10月7日にハマスの急襲があってからは、ハマスの行為は許しがたいとしながらも、イスラエル軍によるガザ地区での殺戮を批判してきた。


このハアレツの編集長アラフ・ベンが米外交誌フォーリンアフェアーズに投稿した「イスラエルの自滅」が注目されたが、ベンもまたハマスへの激しい憎悪と同時に、パレスチナ人との間にシンパシーを生み出す道を模索することを主張していた。そのハアレツがハラリの長い論文を掲載するのは当然だといってもよい。ここには同国の進歩派知的イスラエル人にとって、共通した深い悩みが見て取れるからである。

さて、前置きが長くなったが、ハラリの論文の前半は、これまで何度か繰り返してきたこととほぼ同じで、ハマスを強く非難しながらも、そのことでイスラエルが国際社会で孤立していくことは避けねばならないとの強い憂慮である。今回の論文ではその議論を繰り返しつつも、2つの比喩あるいは譬え話が加わっていて、その2つをここでは紹介しておこう。

ひとつ目は冒頭で述べたように、いまのイスラエルはまさに旧約聖書に登場する、復讐に狂ったサムソンと化しているという警告である。ご存じの方も多いと思われるが、このサムソンという英雄は怪力で知られた。ペリシテ人の女性を妻に望んだところ、その父親がサムソンを嫌って他の男に娘を与えたので、サムソンのペリシテ人への復讐が始まる。復讐に対しては復讐が繰り返されるが、サムソンは愛するようになったやはりペリシテ人の娘の策略にかかって、捉えられ目をくりぬかれる。最後はペリシテ人の建物の柱を倒して自らも滅ぶという物語である。


ハラリは「10月7日以降、イスラエル人はなぜサムソンを思い出さなくなったのだろうか」と問い、それは「イスラエル人たちが、すでにサムソンと化してしまっているからだ」と指摘する。いったん、復讐の連鎖のなかで生きる人間は、その悪循環から逃れることができなくなる。人びとが集まって自分たちの悪循環からの脱却を語り合っても、それは「こだまの小部屋(エコー・チェンバー)」になってしまい、同じことを皆が唱和するようになってしまう。それがネタニヤフ政権のイスラエルなのだというわけである。

では、人間はこの悪循環のチェンバーから逃れられないのだろうか。歴史を振り返れば、脱出した例があるとして取り上げるのが、意外にも1945年の昭和天皇による「玉音放送」だというわけである。これが二つ目の譬え話である。もちろん、そこには多くの違いがあることは彼にも分かっている。「しかし、ひとつの点では共通している。当時の日本と同じように、多くのイスラエル人はエコー・チェンバーにとらわれてしまって、そこから脱出できなくなっているという点である」。


こうした比喩に対して、「それは昭和天皇が偉かったからだ」とか「イスラエル人にはまねできない」とか、あるいは「昭和天皇は現人神であり、ネタニヤフは二流政治家だ」とかいっても意味がないだろう。そうした類の反論があることは承知の上で、悪循環から抜け出すための試みが必要だとハラリは強調したいのであり、事実、ネタニヤフ首相を退任に追い込むことを主張している。

日本の評論家でも昭和天皇の「聖断」を、旧約聖書に出てくる、自分以上に大切な息子をヤハエに差し出したアブラハムに譬えた人もいるが、これには私も違和感を覚えたものだった。ハラリの比喩も、日本人にとっては「お門違い」に感じられるだけでなく、世界の人々にとっても「ヒロヒト」を英雄にする議論ではないかと思う人もいるかもしれない。しかし、それにもかかわらず、エコー・チェンバー=右派が仕切っている政権を引きずり降ろしてしまわなければ、イスラエルは世界の中で孤立してしまうとの強い危機感を、ハラリは表明しているといえよう。

 

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