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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ネタニヤフは「すでに終わっている」;本格的な地上戦を前に支持率が激減する理由

イスラエル軍ガザ地区の包囲を完了し、本格的な地上戦に入ろうとしている。準備は整った。ところが、指揮をとるネタニヤフ首相への支持が下落して1桁というデータもある。国民の間からは「もう辞めたほうがいい」との声もあがるが、ふつうは支持率が急騰する戦時リーダーとしては信じられない現象である。いったい何が起こっているのか。そこにはイスラエルハマス戦争の本質に迫るファクターがあるはずである。


英経済紙フィナンシャルタイムズ11月3日付は「『ビビはすでに終わった』:ネタニヤフはハマス急襲以降、支持者の中心を失った」との記事が掲載された。「ビビ」とはネタニヤフの愛称で、これまでビビと呼んで熱烈に支持してきた層が離れてしまったというのだ。「ネタニヤフは防衛の充実を売り物にしてきた。ハマス急襲を許した時点で、彼は辞めるべきなんだ」と、それまで長年リクードを支持してきたテルアビブ繁華街のワイン商人が語ったという。

このレポートはこうしたネタニヤフの支持層に密着して、多くの証言を紹介しているが、残念ながらひとつひとつを紹介する余裕はない。ここでは10月7日にハマスの急襲があり、その後の混乱のなかでネタニヤフが直面した支持者の激減を示すデータを見ながら、意外な現実に迫っていきたいと思う。まずここに掲げたのは同紙が掲載した「イスラエルユダヤ人には、軍隊のトップがナタニヤフよりずっと支持されている」と題されたグラフである。

フィナンシャル紙より


左派からは軍のトップは80%の支持を得ているのに、ネタニヤフはわずか4%。中道では軍トップが74%でネタニヤフは3%。ネタニヤフに近い右派でも軍が41%でネタニヤフは10%に過ぎない。両者を同じ程度に支持するという人が、それぞれ3%、7%、29%いるが、それを加えてもネタニヤフは戦時のトップとしては恐るべき低支持率である。

この現象が生じたのは、10月28日に記者会見でハマス急襲を阻止できなかった責任について問われて曖昧に応えていたのに、その夜に「私にはハマスが攻撃するという情報が報告されていなかった」とXに投稿したことが、批判を受ける原因になったからだといわれる。その投稿を、ネタニヤフ戦時内閣メンバーで有力政治家のベニー・ガンツに「戦時には首相が責任を引き受けるべきだ」とXで批判され、ネタニヤフは慌てて最初の投稿を削除し「私が間違っていた」とのメッセージを投稿した。


その後も国内有力紙のマーリブが10月14日付で「もし今選挙が行われたら野党連合が圧倒的な支持を受ける」との予測を示し、さらに10月末の世論調査でも、80%のイスラエル国民が「ネタニヤフ首相が責任を取ることを求める」と意志表示していると報じた。この時点で、ナタニヤフを支持したのは29%にすぎず、ライバルとして注目されるガンツが48%の支持を獲得して世界に衝撃を与えた。

他にも世論調査が次々に行われ、ネタニヤフ首相の危機的状況があぶりだされた。ネタニヤフがXの投稿を削除して数日後、こんどはイスラエル民主主義研究所(IDI)が世論調査の結果を発表したが、これによるとネタニヤフに信頼を置いているイスラエル国民はわずか7%に過ぎず、74%がイスラエル軍トップに信頼を置いていることが分かったという。このIDIの調査のうち、イスラエル国民の中のユダヤ人だけのデータが先ほど見ていただいたグラフである。

IDIのタマル・ハーマンは「こんな低いポイントは、これまでナタニヤフにはありえなかったことですね」と述べている。また、かつてナタニヤフのアドバイザーを務め、いまは政治評論家に転じたアヴィヴ・ブシンスキーが、ハマス急襲の責任を認めようとしなかった理由を次のように分析している。「彼は批判者の好餌になることを恐れたのだと思います。そうなればしつっこく批判されて、権力の座にとどまるのが難しくなると思ったのでしょう」。

日本経済新聞より


他の報道機関が発表したデータも追加しておこう。10月27日に前出マーリブ紙が発表した世論調査によれば、イスラエル軍が大規模な地上作戦に乗り出すべきだと答えた人は29%、待った方がよいと答えた者が49%だった。同月19日の調査では大規模地上戦を支持していたのが65%あったのに急変している(日本経済新聞11月2日付)。日経はこれは人質救出についての考慮の結果だと示唆しているが、もちろん、その後の空爆が生み出した、ガザ地区での死者数も影響しているだろう。


とはいえ、ネタニヤフはバイデン大統領に事実上の支持を受けているので(訪イスラエル後、急激に増えた犠牲者について、バイデンは空虚な理想を語る曖昧な言い方で自分の責任を回避している)、ブリンケン国務長官が世界のマスコミ向けに一時停戦を求めても、そう簡単には停戦に乗り出さないだろう。それこそ政治家としてのサバイバルのために、売り物の「防衛に強いビビ」のイメージを復活させなくてはならないのだ。ネタニヤフは何度も失脚したが、そのたびに復活して「マジシャン」と呼ばれた。それは彼の強かさに対する称賛でもあったが、今回はその魔術師ぶりに疑いが生まれている。

そもそも、戦時リーダーが途中で辞めることはほとんどない。第二次世界大戦では東条英機が途中で辞任したが、欧米の戦史家たちには彼を日本の「ウォーロード」とは考えていない者もいるので、途中辞任の候補になるかもあやうい。戦争が継続中に辞任すれば、敵に弱みを見せることになるから、ちょっとくらいの欠点は目をつぶるほうがいいと判断して、周囲が辞めさせないのである。


しかし、戦争が一段落した後、勝利していたはずなのに選挙で負けるなどして地位を追われた指導者は少なくない。フィナンシャル紙が挙げているのは英国のチャーチル首相だが、かれは戦後に選挙で保守党が敗北して、首相の座を失った。もう少し新しい例で探せばアメリカのブッシュ大統領(父)が、湾岸戦争で勝利して支持率も急騰したが、選挙では(経済の低迷もあって)クリントンに敗れて一期で終わっている。これが息子を好戦的にしたという説もある。

ネタニヤフ擁護の意見もないことはない。フィナンシャル紙から拾うと「ハマス急襲を阻止できなかったのはシステム全体の欠陥で彼個人の問題ではない」「戦争が終わってから調査をすると意外な事実が出てくるかもしれないので、いまの段階で判断するのは時期尚早」などなど。いずれにせよ、バイデン大統領がイスラエルへの支援をやめるといわない限り(それはありえない)、ネタニヤフは地上戦へと突入するだろうが、ネタニヤフがハマスを掃討して勝利を得たとしても、栄光は束の間のものとなるだろう。