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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ロシアは通貨ルーブルが下落しても平気な理由;この軍事大国にとってウクライナ戦争は総力戦ではない

ロシアの通貨ルーブルが下落して、いよいよ戦争継続は困難かと思わせたが、他の指標がそれほど悪くならない。戦時ロシア経済の粘り強さは、何から生まれるのか。データを見ながら根本からしっかり考え直してみよう。そこには、この軍事大国の戦争の驚くべき現実が浮かびあがってくる。

 

欧米の経済メディアは8月14日、一斉にロシアの通貨ルーブルの下落を伝えた。グラフを見ていただければ歴然としているように、このところ下がり具合だったルーブルが、一気に大きく暴落して、ついにドル換算で101ドルにまで下がった。こうなれば、さすがのプーチンも音をあげるのではないか、との観測が飛び交って当然かもしれない。しかし、他の経済指標をみると、西側にとってそれほど喜べるような状態ではない。


たとえば、通貨価値が下落すれば、当然、輸入品が高くなるから、ロシアのインフレはさぞ急上昇しているかと思いきや、これまでの急速な物価低下は反転したものの、5%にもまだ達していない状態で、これは8%の英国や5%をまだ超えているヨーロッパ諸国より低い数値なのである。ウクライナへの全面的侵攻を始めたころは、18%に達していたのに、その後、急激に低下して金融政策をつかさどるロシア中央銀行が「称賛」されたりしたものだが、いまも何とかヨーロッパ以下のインフレ率を維持している。


また、ロシアの石油や天然ガスの価格は、ウクライナ侵攻を開始した当時は急騰したものの、経済制裁によってロシア産の買い手がいなくなり、急激にエネルギー価格は下落した。ところが、中国やインドが安くなったロシア産のエネルギーを大量に買ってくれるようになり、昨年の第4四半期にはエネルギー価格自体も上昇。その後、再び下落したので西側では楽観的な観測も生まれたのだが、ルーブルが下落するなかで、いまは上昇の傾向を見せている。


先ほども述べたように、こうしたルーブルの不安定とエネルギー価格の上下をうまく調整してきたのがロシア中央銀行総裁のエルヴィラ・ナビウリナだとされている。ウクライナ侵攻が始まった直後にルーブルが下落したが、それに対してロシア中銀は金利を20%に引き上げてルーブルの下落を食い止め、さらには侵攻前のレベル以上にまで高くなると、今度はずるずると金利を下げていった。その結果としてのルーブル=101ドルである。

もちろん、これにはロシア国内の批判もある。英経済紙フィナンシャルタイムズ8月14日付の「ルーブルが16カ月ぶりの下落、軍事支出が増え、輸出が減っている」によれば、海外から多くの物資を買わなくてはならないこの時期に、ルーブルの価値を下げるのは「あまりにリベラルすぎる」というわけである。


最大のロシア中銀批判者のマキシム・オレキシンプーチンの軍事顧問を務めているが、「ロシアは強いルーブルが必要だ」と主張して注目された。「ロシア中銀は近未来においてすべてを常態化するために、すべての手段を使っている。資金の貸出を維持可能なレベルにするために、ルーブルの価値を下げているのだ」というのが、タス通信に載ったオレキシンの中銀批判の概要である。戦争遂行のためには輸入品が多く必要だということだろう。

ここには確かにロシアを悩ませているジレンマがある。金利を上げていけばルーブルは高くなって輸入するには有利になり、武器やその他の物品を買いやすくなるかもしれないが、あまりに高くなれば輸出が不利になって、エネルギーなどからの収益が伸びなくなる。ほどほどのレベルに保つのが、いまロシア中銀に課せられている大きな仕事なのである。

「モスクワにとっての明るい希望もある。ロシアからの石油が天然ガスなどの輸出品は2022年からの経済封鎖やG7による価格制限のために、最初の7カ月だけで40%も収入が下落した。しかし、この7月にはリバウンドが起こって、その効果が出始めてから最初のころだけで8000億ルーブルの収入があった」

ロシア経済の制裁に加わっている英国としては敵に塩を送るつもりなのか、英経済誌ジ・エコノミスト8月14日号に掲載された「ロシアは下落するルーブルと格闘している」は、「別の選択肢」をロシアに提案している。「ロシアは外貨準備を5870億ドルも持っているので、これを使ってルーブルの価値を上げることもできる」というわけだ。「ただし、この外貨準備のうち3000億ドル分が西側によって凍結されているのがネックだろう」。

こうした金融システムで繰り返されているロシアと西側の戦いは、ともすれば牧歌的に聞こえることもあるが、戦争自体は多くの若い兵士たちを戦死させ、そしてウクライナライフラインを破壊し続けている。にもかかわらず、戦争は3年目を迎えることが確実であるように思える。それはなぜなのだろうか。


その答えのひとつに、ロシアにとってウクライナ戦争というのは、必ずしも「全体戦争」「総力戦」ではないという事実がある。ウクライナにとってはまちがいなく、この戦争は全体戦争になっているが、ロシアにとっては総力戦ではないという非対称性が厳然としてあるのだ。最後にジ・エコノミスト5月30日に掲載されて注目されたグラフを紹介しておこう。

これは、これまでの戦争において、ロシアとアメリカがGDPのどれだけを消耗したかを比較したグラフだが、ロシアがウクライナ戦争にこれまでつぎ込んだ費用はGDPの約3%だということなのだ。もちろん、平和時の3%を支出するといえば、巨大なプロジェクトといえるだろう。しかし、かつてソ連第二次世界大戦のさいに支出した費用はGDPの61%に達していた。アメリカにおいても53%を消耗し、この超大国たちは勝利を手にした。

もちろん、戦争の意味を費用だけに還元すべきではないことは当然のことだ。しかし、いまのロシアにとってウクライナ戦争というプロジェクトは3%なのだということを忘れないほうがいい。ルーブルの上下は、もちろんロシアにとって巨大な影響をもたらすが、そのことだけでウクライナでの戦争が終結に向かうわけではない。また、そのことがすぐにプーチンの暗殺や失脚につながるわけでもないのである。

 

【追記 8月15日18:50】ロシア中銀は臨時金融政策決定会合を開いて、政策金利を3.5%引き上げ、年12.0%とした。もちろん、ルーブル防衛だが、これでロシア経済がガタガタになるというわけではない。前出の「高いルーブル」に少し近づけ、大幅な下落を阻止する意図だと思われる。

「西側の制裁、ロシア産石油の価格制限、そして輸入品の価格上昇がその理由とされている。ロシア中銀は価格安定のための措置だと語っている」(ジ・エコノミスト8月15日付速報」