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東谷暁による「事件」に対する解釈論

スウェーデンは経済も悲惨らしい;この国の政策を根拠にするコロナ論は破綻した

新型コロナウイルス対策の「スウェーデン方式」が、経済活動の維持においてもほとんど効果がないことが明らかになった。これでスウェーデン方式を大きな根拠としてきた生活と経済を優先するコロナ対策論も、その支えをほぼ失ったといってよい。もっとも、それで日本は安泰とはいかないわけで、かえって第2波は厳しいことになるかもしれない。

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 ここでは、その第2波のさいに、ひょっとしたら大問題になるかもしれない「トリアージ」について述べるつもりだったが、その前にこの「スウェーデン方式」とは何だったのか、そして(これが肝心だが)なぜそれがうまく機能しなかったかを考えておきたい。トリアージについては、それからの議論としたほうがよいだろう。

 まず、繰り返しになるが、新型コロナに対応する政策として登場したスウェーデン方式とは、簡単にいってしまえば、生活や経済に規制を加えず、国民はそれまでとほぼ同じ生活を続けて、ウイルスに感染するのを放置する。そうすれば、当面は感染率や致死率は他国より高い数値を示すかもしれないが、生活や経済を維持することができる。しかも、感染した人たちの集団免疫が「壁」のように機能して、最終的には感染率や致死率もそれほどの違いはないだろうというものである。

 そうしたスウェーデン方式に近いものとしては、英国のジョンソン首相が最初採用した方法や、アメリカのトランプ大統領が行った出鱈目の対応(とても、方法とか政策とはいえない)が挙げられるが、いずれも途中から路線変更を余儀なくされた。この段階でも、日本国内では、ジョンソンやトランプのようにマッチョに振舞いたいのか、「スウェーデンがあるじゃないか」と主張していた人たちが存在していたのである。

 スウェーデン方式は最初から批判者がいたが、それは「助けられるならば助けるのは当然ではないか」というものが多かった。しかし、スウェーデン方式を支持する人は「最初は厳しい数字が上がっても、結果的に同じような範囲に落ち着けば、生活と経済が維持できる分、はるかにプラスではないか」と反論していた。

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日本のスウェーデン方式を支持する人たちのなかには、戦後日本の生命至上主義を批判している者もいた。不思議だったのはその人たちが、「生活を制限するなんてとんでもない、それは生活というものがいかに人間にとって大切なのか分からないからだ」とか、「経済を低迷させてしまえば取り返しのつかないことになる。失業が増えるから自殺者も数十万出るはずだ」と、声高に論じていたことである。

 しかし、私の記憶の限りでは、戦後の生命至上主義批判には、当面の生活だけを重視するがゆえに日常を超える事態を考えられなくなったり、経済発展にこだわって伝統的価値を顧みない姿勢を強く懐疑する、という志向性があったはずである。たしかに、生活と経済は重要だが、拘泥することによって非常事態があることを忘却したり、経済優先に流されて文化や歴史を軽視することがあってはならないというのが、生命至上主義への批判の核心なのである。逆に、他のことが考えられなくなるのであれば、それはまさに生命至上主義とよばれて仕方のないものになりはてる。

まあ、それは措くとして、生活や経済を重視するとなれば、一時的な生活・経済の規制が生み出すプラスと、規制しない場合の感染・死亡によるマイナスを比較考量することが必要だが、どういうわけか、この生命至上主義批判派は、荒っぽい単純な見積もりだけで押し切ってしまう。たとえば、第2波が来たときの「壁」の効果も、加味して考えるということもありえるが、ちゃんとした「壁」の効果シミュレーションを提示することもなく、奇妙なことに見当違いの精神主義に傾斜するのである。

 さて、いずれにせよ現実の根拠として残っていたのはスウェーデンだけだった。こうした論者たちにとって不幸だったのは、最終的な根拠にするのが神とか仏ならば裏切りに直面しなくてもよいのだが、スウェーデンというのは現実の国家だということである。5月下旬には、コロナによる死者が4000人を超え、人口比で見た場合、文化的に近い北欧諸国の4倍~10倍に達した。しかも、これが最も大きな衝撃だったが、このころになっても集団免疫の壁は7.3%に過ぎず、壁として機能する60%には遠く及ばなかったのである。6月17日現在、死者は5000人に達しようとしている。日本に置き換えれば6万人をゆうに超えるだろう。

もう、この時点でスウェーデン方式を指導してきた疫学専門家は「うまくいっていない」ことを認めざるをえなかったわけだが、さらに、6月に入ると経済面からの悲惨な声が聞こえるようになってきた。たとえば、同国の大手銀行ストラテジストは「世界の多くの国と同じく、今年のスウェーデン経済の第2四半期は記録的な減少となるだろう」と語った(AFP通信)。

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また、同ストラテジストは「経済が元の状態に戻るまでには、長い時間がかかるとわれわれは予測している」と述べ、そして呆れたことに、スウェーデンのアンデション財務相などは「われわれが新型ウイルス対策の方針を決めた時、経済対策については考慮しなかった」と記者団に語ったのである。しかし、これはあまりにおかしい話で、経済活動を続けられることが、スウェーデン方式の大きな利点だったはずなのだから、もはや、なにをかを言わんである。

 「欧州委員会の予測では、スウェーデン経済は前年比6.1%減(ドイツは6.5%減、ユーロ圏は7.7%減)となっているが、スウェーデン中央銀行は最大10%減との見通しを示している。また、失業率は2019年の6.8%に対し、2020年と2021年は9%の見通しだ」(同通信)

捨てたものは大きかったが、得たものは何もない。なんでここまで悲惨なことになったのか。もちろん、スウェーデン政府の方針が間違っていた、あるいは、リードした疫学者テグネルの読みがあまりに甘かったということは簡単だ。しかし、もう少し推理を含めて考えてみよう。まず、今回の新型コロナウイルスは感染するとすぐに集団感染の壁をつくるようなウイルスなのか否かが、まだ本当に分かっていなかったことである。

 また、スウェーデンの人口密度はかなり低いから、集団免疫が形成されるのに長い時間がかかるので、5月ころには壁ができるという見通しもあまりに甘かった。なんせ「大都市」のストックホルムですら、4月の末になっても抗体保有者は全体の7.3%に過ぎなかったのである。

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さらに、スウェーデン国民がテグネルたちが考えたよりもずっと慎重だったということも考えることができる。スウェーデン方式の報道といえば、街のカフェでマスクもしないでくつろぐ市民の姿であり、「私たちはこれまでの生活を続けるのよ」とかいうインタビューアーに答える明るい女性の表情である。しかし、それが国民全体の反応だったわけではなく、自粛する人たちは多かったのではないのか。そうすれば、予想されたような感染者の接触は行われず、抗体保有者もそれほど増えないわけである。

 そして、経済について考えれば、輸出の割合がきわめて高い経済であるということが、世界的パンデミックのなかで予想以上にマイナスのインパクトを与えたものと思われる。前出のAFP通信によれば、輸出がGDPの50%を占めるという高い貿易依存度をもつ経済であり、スウェーデン政府は「我が国の輸出製品の7割は欧州連合向けであるため、パンデミックによってドイツや英国の封鎖措置が、決定的に影響を及ぼした」と述べている。

 「3月には、自動車大手ボルボやトラック大手スカニアなのスウェーデンの大企業の一部が国内での生産を停止。これは封鎖措置によるものではなく、欧州を含む世界全体のサプライチェーンに問題が生じたためだった」(同通信)

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 コペンハーゲン大学の経済学者たちの調査によれば、スウェーデンの消費は3月11日から4月5日までに24.8%減少したという。この経済学者グループのひとりニールス・ヨハネッセンによれば、「スウェーデンは新型コロナのパンデミックで、他の国と同じ代償を払った。急速に危機が進行していくなかにあっては、レストランが開いているか否かにかかわらず、消費者は急ブレーキをかけるということなのだ」という。

 考えてみると、きわめて当然の結果ということになるものの、「スウェーデン」と聞くといまだに何か特別なことがあるのではないかと思ってしまう、戦後日本人の習性も思い出される。しかも、今回は奇妙なことに、スウェーデンのような社会経済体制とは本来は無縁と思われていた人々が、妙に期待の目を向けたのは単に興味深いといってすまされるものではない気がする。

 結局のところ、まず自分たちが思い描いた専門家会議とは異なる、空想的な新型コロナ対策理論から、まったく逆算して自分たちに都合のいい事例を集めようとしたため、多くの矛盾と奇妙なねじれが生まれてしまったのではないだろうか。

もちろん、先ほども述べたように、スウェーデン方式の挫折が日本の新型コロナ対策の勝利を意味するわけではない。日本には日本の重い課題が生まれようとしている。それは、必ず来るといわれる第2波への対策であり、試練はこれからだといっても過言ではない。果たして第2波はどのように来襲するのか、そのさい医療崩壊は起こらないのか、そして起こってしまった場合に否応なく突きつけられる「トリアージ」の問題があるが、これらは稿を改めて考えていきたい。

 

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