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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ミャンマー・クーデターの本当の意味;今後ますます中国が関与していくだろう

ミャンマーのクーデターについては、さまざまに論じられているが、そのほとんどが「民主主義への攻撃」という観点であるのは、やはりバランスを欠いているのではないかと思う。もちろん、ミンアウンフライン総司令官は、軍事的にアウンサンスーチーの民主主義を掲げる政府に取って代わったのだが、その動機や状況についてはよく分からないのである。

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普遍的な価値である民主主義への攻撃として論じる人たちは、もちろん民主主義が絶対的な価値だとしているのだろう。では、ざっとミャンマーの周辺を見てみれば、タイ、バングラディシュ、ラオスといった国々はどうだろう。民政と軍政を行き来しているか一党独裁政権であり、この東南アジアという地域が、欧米的な民主主義を達成するのに、容易な地域とはとても思われないのである。

 いっぽう、今回の軍政復帰を肯定はしないが、けっして突発的なものではないと論じる人たちは、アウンサンスーチー国家顧問の「かたくなさ」や、ミンアウンフライン総司令官の「野望」「欲望」といった個人の性格を強調している。それらが正しいとしても(かなり正しいと思うが)、ミャンマーが置かれている、社会、経済、文化の条件をあまりにも考慮していない印象を与えるものが少なくない。

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経済誌ジ・エコノミスト2月3日号に掲載された「ミャンマー・クーデターの意味」は、スーチーによる民主化を評価しつつ、その背景にあった軍政の果たしてきた役割についても触れており、それなりのバランスをもっている。しかし、その結論であるクーデターの「意味」が、次のようなものだというのは、やはり欧米の民主主義が到達点であると疑っていないと言わざるをえない。

 「露骨な鎮圧をする『嫌われ者』であることを回避しようとしてきた軍部は、自分たちが(特権をもてるようにした)憲法をでっち上げたのだが、その憲法をすら彼らは踏みにじってしまった。その意味で、今回のクーデターはミャンマーの民主勢力を制圧したものの、実は、自分たちをも叩き潰してしまったのである」

 歴史を無視すれば、こうしたレトリックが成立するのかもしれない。しかし、欧州の近代ですら、軍事的独裁が何度も繰り返されたことを忘れるわけにはいかない。民主制度というシステムが絶対的でなく、その国の当面の課題を解決するために有効でないとすれば、これからも同種の事件は生起すると考えたほうがいいだろう。

 さて、このブログでは「ミャンマーのクーデターを決断させた一言とは」でも書いたように、スーチーの性格やフラインの恐怖があったとしても、クーデター後の勝算がなければ踏み切らなかっただろうと述べてきた。つまり、今回のクーデターは、昨年から今年1月にかけて習近平主席や王毅外相が、スーチーおよびフラインと行った会談が無関係ではないと思う。これは日本の新聞は書かないが、欧米でもアジアでも当然のことと受け止められている説である。

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だからこそ、英国が議長を務める国連安保理ミャンマー軍政やフライン将軍への制裁を決議しようと試み、そして中国(とロシア)の反対にあって挫折した(フラインの口座は米国により凍結されているようだ)。アジアにおいては、この当然の説が流通しているので、中国としても間接的に反論する必要に迫られている。たとえば、サイト「東アジアフォーラム」に投稿された「中国はミャンマーのクーデターを歓迎していない」などはその代表的な例で、一貫して中国の求めるのはミャンマー国内の安定であって、中国が何らかのかかわりがあったなどという説は誤りだと声高に論じている。

アジアの外交誌ザ・デプロマット電子版は、さすがに客観的なデータや研究者の証言を載せているが、ここでも「今回のクーデターを歓迎していない」という論調であるのは変わりない。しかし、投稿されたシャノン・ティーツィの「ミャンマーのクーデターは中国にとって何を意味するか」は、ワシントンDCにあるスティムソン・センターのユン・スンにインタビューしていて、それなりのロジックを提示している。

 「このクーデターはけっして北京政府にとって利益になりません。北京はスーチーの政党NLDと良好にやってきたことを思い出すべきです。もし北京が選択することができたなら、彼らは軍部よりもNLDを選んだと私は思う。しかし、北京には選択の余地がなかった。だから彼らは起こった事態に対処するしかなかったのです」

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中国・ミャンマー経済回廊:The Economistより


ユン・スンが根拠として挙げているのは、たとえば、ミャンマーと中国の経済をむすぶ「経済回廊」は、軍政時代ではなくスーチーの時代になってから開通したことである。この回廊とは、雲南省昆明からベンガル湾をつなぐ通商ルートであり、中国とミャンマーとの関係の深さを論じるさいに必ず言及されるものであり、また、中国の「一帯一路」構想には不可欠のものとされる。

また、軍政時代に世界の「嫌われ者」として孤立していたミャンマーを支持していたのは中国だけといってよかったが、ミャンマーの軍部というのは必ずしも中国に信頼感をもっていたわけではなかったという。たとえば中国が国境地帯の共産ゲリラや少数民族を支援していたので、ミャンマー軍部には常に中国への疑心暗鬼があった。

ユン・スンはこうした例を挙げながら、今回のクーデターが中国が望んだものでないことを強調し、最後に次のように述べている。「政治的な反発が大きくなればそれだけ、中国がミャンマー軍部への関与が大きくなります。中国はその義務を果たすでしょう。……しかし、中国がそうするのはハッピーでもないし積極的でもないのです」。ハッピーでなくとも、これから中国の関与はますます深くなるということだ。

 もうひとつ、ミャンマー・クーデターについて報じたアジアのメディアから取り上げておきたい。それは英文紙ニッケイ・アジア2月9日付に載った「ミャンマーは中国の影響から脱するためロシア製の武器を受け入れている」という興味深い記事である。念のために日本経済新聞を見直してみたが、この記事にあるような内容は日本文では報じていなかった。

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同記事によれば、2月1日にミャンマー軍部が大都市の大通りに展開した軍用車のなかには、最新式のものがあって、それはロシアから購入したものであると、軍事専門家が指摘している。しかも、その意図というのが、ミャンマー軍部が中国の圧倒的な影響力を嫌って、ロシアに多少とも軸を移そうとしているというのである。

これもまた、ミャンマー軍部と中国との関係が必ずしも密接ではないというイメージを醸し出しているが、では、ロシア製は武器の輸入全体において何%なのだろうか。これはちゃんと報じていて、17%にまで上っているという。そして、中国は何%か? これも正直に記してあって50%であるという。ということは、中国から逃れるというより、ロシアとも付き合っておこう、というレベルのものではないのだろうか。

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ミャンマーの貿易:データはWikipedia(作成・東谷)


ちなみに、ミャンマーの貿易について見ておけば(上図)、やはりまだ中国との関係が圧倒的であって、輸出先として42.1%、輸入先としても33.4%と圧倒的に中国依存が続いているといってよい。これに軍備の輸入50%を加えて考えれば、ミャンマーは中国の経済と軍事に圧倒的な依存をしていることが分かる。そして、いまミャンマーの軍政を激しく批判しているアメリカと英国の影は、経済や軍事の風景のなかにはほとんどないといってよい。

いまアジアと世界に流れている「中国はミャンマーの安定を望んでいるだけであって、軍部との関係は必ずしも強くない」というメッセージは、そこに一片の真実があるとしても、簡単に信じるわけにはいかない。生まれつつあるミャンマー軍部と中国との「新しい」関係は経済回廊を通じてミャンマー経済を支え、そして、これから中国はロシアと共にミャンマーの軍事を大きく支えることは否定できないのである。

 

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