HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

ニューヨークはSPACの花盛り;いよいよバブルも末期に来たか

アメリカの株式市場では、いまや明らかなバブルだというのに、SPAC(特別目的買収会社)が隆盛を極めようとしている。このSPACとは、ひとことで言えば未上場会社を上場させるためのペーパーカンパニーで、20年くらいまえからアメリカでは許可されていたが、いまのブームは去年に始まり、手っ取り早く上場させられるので、だぶついた資金の受け皿として注目されているわけである。

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普通の新規上場(IPO)というのは、上場したい未上場会社が証券会社に依頼して、さまざまな法制的ハードルをクリアする準備を積み重ね、他の証券会社や投資家を巻き込んで、株式の上場価格を決めたうえで上場となる。上場を狙う企業はひとつの「試練」を経て、めでたく上場を達成するのが普通である。

 ところが、このSPACを介在させれば、そんな試練はなしに、しかも急速に上場にまでもっていける。そのやり方を簡単に説明しておくと、SPACを設立してこのペーパーカンパニーに出資を募り、十分な資金の裏付けができたところで、買収すべき企業を見つけて買収を仕掛ける。買収が成立したのちには合併して被買収会社のほうを存続会社にし、さらに株式を発行して投資を募るということになる。

 英経済誌ジ・エコノミスト2月20日号は、「ウォール街はスパキュタクラーのブーム」(スぺキュタクラーとスパックの合成語らしい)という社説と「なぜSPACがウォール街で熱狂を生み出しているか」を掲載して、このブームというよりはマニア(熱狂)というべきSPACブームを特集している。同誌の概説はその通りだと思うが、このバブルのなかでの判断としてはいささかおかしい。

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まず、社説のほうだが、一通りの説明をしてから、上場が素早くて多くの投資家を募ることができるとメリットを述べたあと、2つのデメリットをあげている。ひとつが、「SPACのブームはバブルになる」ということだという。すでに十分にバブルなのに何をいってるんだと思うが、ともかくゲームストップの空しいバブルやビットコインの馬鹿げた急騰にも明らかなように、金融市場はだぶついた資金の行き先を求めているだけなのである。

 デメリットのふたつめは、「効果的な運用をはかろうとしてペテン的な要素が入り込んでくるという、仕組み上の問題が横たわっている」。根拠のない風説によって貧乏な人間たちから、なけなしのお金を強奪することになるというのは、別にSPACに限ったことではないが、そもそもSPACを設立するさいに、かなりの煽りが必要であることは想像がつく。

 この2番目のデメリットは、すでにニューヨーク証券市場は経験済みである。グリーンエネルギーのトラックを製造すると、派手に宣伝してきたニコラが、SPACの手法で上場したのちに、風説もどきの情報を流していたのではないかとの疑惑が生まれ、経営者が辞任。GMがニコラとの提携を縮小したのは、まだ昨年12月のことである。

 ここまで分かっているのに、ジ・エコノミストの社説の締めくくりが「たとえSPACがクラッシュや過熱を生み出すとしても、背後にあるアイディアは買いだ」というのである。これはかなりおかしな話である。ここ一番、経済誌の老舗として社説で警鐘を鳴らすべきではないのか。とはいえ「おや、おや、またか」と私は思った。

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かつてエンロンが惨めな崩壊を遂げてITバブルが崩壊したさいにも同誌は「エンロンのビジネスモデルは評価されるべきだ」と述べていた。2008年の金融恐慌の元となった金融工学についても、その理論は支持していた。そもそも今度の号でのリポートの方の締めくくりは「見えているのは、SPACをめぐる熱狂は単純にいって広範な過多の現れにすぎないということだ」というものなのだから、社説子のほうがおかしい。あるいは、書き分けたのか。

 このSPACの熱狂については、もう少し追いかけてみたいと思う。「コモドンの空飛ぶ書斎」でも計画している。そのなかで、事例やデータについても紹介していきたい。