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東谷暁による「事件」に対する解釈論

東南アジアは中国のものになるのか;米中衝突時代における戦略のヒント

ミャンマーのクーデターは大きな問題だ。そんなことは当然ではないかと言う人は多いかもしれないが、それはスーチー政府が軍政によって取って代わられたにとどまらず、これからの東南アジア、ひいては世界政治の趨勢を決していくという意味でも、きわめて大きな問題になるということである。 

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経済誌ジ・エコノミスト2月27日号は「中国の裏庭のための戦い」を特集している。この「裏庭」という言葉が貶めの言葉だというのなら、中国の「要衝」と言ってもいいかもしれない。つまり、中国にとって「戦略的地域」であり、また、アメリカとの「戦場」となるのも東南アジアだというわけである。

 同誌は社説「米中の衝突は東南アジアで展開する」を、アメリカとソ連との冷戦から始めている。45年間にも及んだ米ソ対立はヨーロッパを中心にして繰り広げられ、それはきわめて軍事力の要素が多かった。現在の新冷戦ともいわれる米中の対立は、台湾や北朝鮮といった、武力が大きなファクターとなっている地域もあるが、すべてがそうではない。

 「この2大勢力が角を突き合わせる地域は東南アジアであり、この地域には不明瞭な軍事的前線も存在するが、それは単に2国の戦いをさらに複雑にしている要素でしかない」

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ミャンマーの貿易構成:中国の圧倒的な存在感


東南アジアの人びとはアメリカと中国を2つの極とみなしており、それらは自国をまったく逆の方向にすら引っ張って行きかねない存在なのだと同誌はいう。「たとえば、最近のミャンマーの軍事クーデターに対する抗議デモのプラカードは、中国が軍部を支持していると批判し、そのいっぽうでアメリカに介入することを求めているのである」。

 中国にとって東南アジアが「裏庭」となる理由は2つあるという。ひとつは、いうまでもなく軍事的にも経済的にも戦略的意味がきわめて大きいからである。もうひとつは、いまや東南アジアが世界的視野でみて、それ自身がより重要な地域となっているからだ。ひとつめは、これまで指摘されてきたことで、ミャンマーのクーデターを思い出せば分かりやすい。では、ふたつめ、それ自身が重要だというのは何だろうか。

同誌が注意を喚起しているのは、この地域がすでに経済的にみて、中国、アメリカ、インドなどと比肩すべき経済規模を持つようになりつつあることだ。人口が7億人で、これはEU、ラテンアメリカ、中東などよりずっと多い。インドネシアやマレーシアはこの10年間、5%から6%の経済成長を遂げてきた。また、フィリピンやベトナムは6%から7%である。さらに、ミャンマーカンボジアのような貧しい国でも成長率は高まっている。

 ここでジ・エコノミストが特に言いたいのが、こうした東南アジアに対しては、すでに中国が強い影響力を確立してしまっていると思うのは間違いだということである。「少なくともカンボジアという国だけは事実上すでに中国の保護国となってしまっている。しかし、超大国の摩擦があるなかで、公的にアメリカとの関係を廃棄して、中国に追随しようとする国は存在しない」。

 というのも、中国との関係を深めるにつれて、多くの問題が生まれるからである。中国の投資はたしかに巨大だが、そのかわり見返りも高くつく。中国系の企業しばしば腐敗がひどく(おそらく、私的な報酬を求めることではないかと思われる)、環境破壊も激しい。「しかも、気に食わないと貿易や投資を抑制して、懲罰的な行為にでるという悪い癖がある」。

 さらに、中国は軍事力を突然行使して近隣国を驚かせることがあるし、また、(ミャンマーで典型的なように)辺境の反政府派軍事組織やゲリラとの関係を維持している場合があって、これが中国に対する不信を掻き立ててきた。

 こうした様々な要素を考えていくと、地理的な近接性もあり、中国は東南アジアに対して支配力をすでに確立しているかに見えるが、ひとつひとつの国を詳しく見ていくと、かならずしも中国との関係を手放しで喜んでいない場合が多いのだという(それはミャンマーの軍部についても言われることがある)。

 たとえば、最近、中国はRCEPを立ち上げてアジアの国々をまとめ上げようとしているが、それは必ずしも強固な経済関係を結んだことを意味しない。「東南アジアの内部での貿易額は、東南アジア諸国と中国の貿易額より多いことを忘れるべきではない」。さらに、日本や韓国との関係を含めて「アメリカはどちらに付くかをはっきりしろと要求するような、強制の罠に落ちるべきでない。それはかえって東南アジア諸国から反発されるだけのことだ」。

ジ・エコノミストは政治や文化についての記事がきわめて多いとはいえ、いちおう経済誌である。経済を中心に論じるために、どうしても現実より可能性に目が向きがちになるのは否定できない。しかし、いずれにせよ東南アジアという地域が、はたしてどのような地域か理解せずに「これこそ戦略的思考」と思い込むことほど危険なことはない。

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ここにある東南アジアに対する視点は、むしろ、日本にとっておおくのヒントを与えてくれる。この点についても詳細に述べたいところだが、簡単にいえば、自称保守派のような「日本は民主主義勢力に参加すべきだ」というような単純な発想では、東南アジアとも中国とも、またアメリカとすら良好な付き合いができなくなるということである。

 

【追加】冷戦で思い出したのは、その「主戦場」となったヨーロッパにおいて、ソ連がさらに勢力を拡大する機会はあったということである。冷戦研究で知られるジョン・ギャディスが指摘していることだが(『冷戦』)、1949年から翌年にかけて西側の対応しだいによっては、ソ連軍は地上戦をしかけて、一気に機動部隊が西側になだれ込むといった事態が生じたかもしれないという。

それが生じなかったのは、アメリカが行った経済援助であるマーシャル・プランの実施であり、また、1949年に達成されたソ連核武装だった。ソ連はヨーロッパの権益を東欧に限る気はなかった。しかし、アメリカがマーシャル・プランを実施するのを見て、ソ連は東欧諸国に同プランの受け入れを拒否するように強要することによって、ヨーロッパの東西分裂を固定化してしまった。そしてまた、ソ連が核保有を実現したことで、戦略の構造そのものが変化してしまったわけである。

もうひとつ、ソ連を封じ込めるという戦略はジョージ・ケナンによって計画されたことになっている。ケナンは封じ込めることによってソ連の内部が変化して、アメリカとの対話が可能になるのを待つべきだと主張したことは知られている。1990年、ベルリンの壁が崩壊したとき、彼はアメリカ議会に招かれて議員たちのスタンディング・オベーションを受けている(この部分は拙著『戦略的思考の虚妄』第7章を参照のこと)。

しかし、実はケナンが「封じ込め」で考えていたのは、実際に行われたような核兵器の均衡によって対立を凍結することではなく、もっと柔軟で非軍事的なものを考えていたことは、彼の自伝を読めば分かる。したがって、アメリカ政府がMAD(相互確証破壊)に向かって行ったとき、国務省を辞しているのである(ケナン『回顧録』)。

いま考えるべきは、果たして封じ込めが中国という存在に有効であるかだろう。ソ連市場経済を導入することになったが、中国のように資本主義を事実上認めて経済成長を加速しようという発想は根本的になかった。また、実際にはソ連が国内の態勢を変えて対話の姿勢を生み出したわけではなく、もっとも大きな要素はソ連体制の自壊だった。

中国を封じ込めよという論者はまだいるが、この国はすでに経済的には世界に大きく開いてしまっており、封じ込めることなど不可能である。内部の成熟を促したところで、かつてアメリカが(関与政策で)期待していたような民主主義への移行は、そもそも民主主義的伝統がないのだから起こらないとみるべきだろう。

当面は局地的な勢力均衡を形成することによって、粘り強い牽制を継続し、周辺諸国への勢力拡大を阻止していくしかないと思われる。つまり、東南アジアが中国のものになることを阻止するということである。問題はその営みに日本がどこまで主体的にかかわれるかである。