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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナ戦争は回避できた?;コスティグリオラの『ケナン伝』から考える

ロシアがウクライナに侵攻してから1年になろうとしている。振り返るべきはウクライナ戦争の泥沼化が、以前より予言されていたことである。ソ連の「封じ込め」を提唱したジョージ・ケナンは、冷戦以後、アメリカがウクライナを支援しようとすれば、それは戦争へと発展すると警告していた。「プーチンの野望」だけが指摘されるが、それ以前の「アメリカの野望」も見直す必要がある。


アメリカの外交誌フォーリンアフェアーズ電子版1月27日号は、歴史家フランク・コスティグリオラの「ケナンのウクライナについての警告」を掲載した。コスティグリオラはジョージ・ケナンの伝記『ケナン:世界の中の人生』を上梓して間もない。改めていうまでもなく、この1年弱のあいだ、ウクライナ戦争についていま流布している解釈に疑問を抱く論者は、必ずケナンの警告にまでさかのぼって論じようとしてきた。

「モスクワとキーウとの解決困難な紛争について、ワシントンはウクライナをロシアと戦うように仕向けるべきではないと、ケナンは詳細に論じていた。いまケナンの警告は現実のものとなった。ケナンは1990年代にNATOの東への拡大はロシアの民主主義を損なわせ、さらに新たな冷戦を生みだすと注意をうながしていたのだ」


2014年にロシアがウクライナ東部とクリミア半島を占領したとき、シカゴ大学教授ミアシャイマーがフォーリンアフェアーズに「ウクライナ侵攻は西側に責任がある」を寄稿した。この中でミアシャイマーは、アメリカを中心とする西側諸国は、NATOを東方に拡大してロシアを刺激してきたのであり、それはケナンが警告していた最もやってはいけないことだったのだと論じた。

そこらへんの喧嘩と同列に考える人たちは、先に手を出したロシアが悪いなどとネットに書き込んでいた。しかし、ソ連が崩壊して疲弊したロシアに、すぐに金融機関を送り込み、新興のオリガルヒと結んでロシアの資源の収奪をはかり、東欧にNATOを拡大したのが「手を出す」ことと言えるならば、「先に手を出した」のはアメリカだった。そうした一連のアメリカによる冷戦後の対応とその結果を、まるで前もって知っていたかのように、ケナンは予測しつつ警告していた。


ケナンは幼少より語学に優れ、自伝によれば高校生のころにはドイツ語やフランス語もマスターしていたという。関心事はそうした異国語で書かれた文学を読むことだったが、自分の才能が外交で役立つことを知って、アメリ国務省に入った。彼が優秀であることはすぐに知られるようになり、米政府は戦時中にソ連に送り込むが、ケナンはロシア語を母語とする人たちと、同等以上に話せるようになっただけでなく、文学や芸術に親しみ、ロシア語の映画や演劇にも通じていた。

1946年、冷戦がはじまるとすぐに、ケナンはワシントンに長文電報を送って、ソ連の内情をするどく分析し、翌年にはフォーリンアフェアーズに「X」の名で、ソ連を軍事的に打ち負かそうとするのは上策ではなく、「封じ込め」を推進すればソ連にも外国との対話の姿勢が生まれてくると論じて、アメリカのその後のソ連政策を方向づけたとされる。しかし、ここには様々な誤解があった。アメリカはソ連に対して核兵器の攻撃力で凌駕し続け、代理戦争は行ったが直接の戦いは避けたことが「封じ込め」と解されたが、ケナンが構想したものとはかなり違っていた。


ケナンは国務省を退職して大学で国際政治学と歴史を講じるようになったが、国際紛争が起こるたびにワシントンは彼の考えを聞くことが多かった。そのなかでも、NATOウクライナについてのコメントは、ワシントンを批判するものが多かった。今回の論文でコスティグリオラは次のように述べている。「ケナンのウクライナ独立についての懐疑論と、ウクライナが独立したときのロシアの攻撃に対してワシントンはどうすべきかについてのコメントは、いまこそ振り返ってみるべきだ」。

1948年、ソ連ウクライナに侵攻したさいにケナンが提出した論文「ロシアへのリスペクトのあるアメリカの異議申し立て」において、「ソ連の占領にたいしてはウクライナ人は憤慨するだろう。したがって、ウクライナは独立すべきだとの結論に、すぐに飛びつくかもしれない。しかしながら、アメリカはウクライナソ連からの分離独立を支援すべきではないのである」。


いまウクライナ人の国土防衛に感動している人からすれば、ケナンという人間は何という冷酷な奴だと思うかもしれない。しかし、コスティグリオラによればケナンは2つの根拠をもっていたという。ひとつが、ロシア人とウクライナ人は民族性という観点からすれば、安易に区別することはできないということ。ふたつ目は、ロシアとウクライナの経済関係は非常に密接なので、ウクライナが完全に独立してしまうと、(アメリカにおいてコーン・ベルトを分離させてしまうようなもので)かなり破壊的なことになってしまうというものだった。

冷戦が終わったとされた1991年にも、同様の分離が唱えられるようになった。このときもケナンは、もしウクライナがロシアと分離してしまえば、ロシア側からみてきわめて大きな障害が生まれてしまうだけでなく、(ウクライナとロシアとの関係においても)予期できないほどの混乱が生じるだろうと予測している。したがって、アメリカは2国が分離したとしても、連邦関係を維持させるべきだとアドバイスしている。実際、ウクライナは政治的に独立したが、同国東部の工業地帯はロシア経済と密接な関係を維持せざるをえなかった。それはいまの東部が戦場となったことと無縁ではない。


さらに、1997年にアメリカの後押しでNATOを急速に拡大し、チェコハンガリーポーランドを参加させ、ウクライナとの陸軍および海軍がNATOと連携することになったことに対して警鐘を鳴らした。ことに、ウクライナを加えた黒海での軍事演習にロシアを誘ったときには、ケナンはかなり強くワシントンを批判している。ロシアに演習に参加しろというのは、それまでこの海を自国の領海としてきた国に、無神経にも、おまえも加わってもいいぞと言っているに等しいというわけである。

「冷戦が終わって以降、アメリカは軍事的前線をはるか東方にまで進めてしまった。ロシアがウクライナで野蛮な戦争を行なっていることは確かだが、アメリカもまたロシアの玄関で軍事的存在感を無遠慮に示し続けているのだ。もしケナンがいま生きていたなら、ロシア人を彼らがキレてしまうまで追い詰めることの危険さについて、警告したことだろう」

 

「ケナンが過小評価していたものがあるとすれば、それはウクライナに生まれたナショナリズムの強さだった。しかし、1948年の時点でウクライナについてのロシアの強いこだわりと、1990年代におけるアメリカの鈍感さと野心についての指摘は、いままさに正しかったことが明らかになった」


前述したフランク・コスティグリオラの『ケナン:世界のはざまで生きる』は600ページを超える大著で、今年すでに刊行されている。フォーリンアフェアーズ誌2023年1-2月号は、フレデリック・ロジヴァルの長い書評「ケナンの残影 冷戦の開始からの教訓」を掲載している。今回紹介した論文もこの伝記に基づいているので、ほんの一部だけだが紹介しておこう。

「彼はソビエト連邦の崩壊が地政学的条件を不安定化し、核兵器の管理を危機に陥らせることを恐れた。また、ウクライナをロシアから切り離すことは賢明でないと思っていた。……ケナンはアメリカ合衆国が、グローバルな非公式の帝国を運営しようとすることから距離をおくことを望んでいたのであり、そうした帝国化への努力は結局失敗するだけでなく、アメリカ国内の差し迫った国内の諸問題から、関心と資源をそらすことになってしまうと考えていた」(コスティグリオラ『ケナン』)

これまで高い評価をうけてきた冷戦研究者ジョン・ギャディスの『ケナン あるアメリカ人の生涯』が、冷戦の解釈をめぐってケナンとは対立していて、ケナンもこの伝記に対しては「不適切なペン」と評していた。その点、コスティグリオラの作品は異なっているようだが、ものごとに厳密でシニックだったケナンは、もし「いま生きていれば」、この伝記について何というだろうか。