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東谷暁による「事件」に対する解釈論

英国で「マスクは役に立たない」裁判が始まる;公的機関の医師の私見は表現の自由なのか

新型コロナウイルスについて「表現の自由」を根拠にし、医師の資格をもっていて公的医療にたずさわる人物が、政府のコロナ対策に真っ向から反対する自説をソーシャルメディアで発表してよいのか。英国ではある医師が医療監察委員会(GMC)にソーシャルメディアへの登場を停止されたが、それを不服として高等法院で争うことになった。

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「マスクは役に立たない騒動」と呼ばれているこの事件は、英国ハンプシャー州で公的医療センターに属しながら「家庭医療専門医」(いわゆるホームドクター)を続けてきたサムエル・ホワイト医師が、ソーシャルメディアで公的医療機関は「嘘をついている」と述べ、「ワクチンは危険だ」「マスクなんか役に立たない」と論じたことから始まった。

そんな主張をする医師は、日本でもネット上のサイトや新書などで、いくらでもお目にかかるではないかという人もいるだろう。しかし、英国の場合、ホームドクターを含めて医療は政府の医療機関NHS(国営医療サービス)が推進している。ホワイト医師もフリーの開業医というわけではなく、日本でいえば国立医療機関の医師のようなものだ。そうした医師が、政府のコロナ政策は危ないと主張し、それは「表現の自由」だといっているわけである。

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The Telegraphより:ホワイト医師


英紙ザ・テレグラフ11月4日付の「『マスクは役に立たない騒動』でソーシャルメディアから締め出された医師が、こんどは高等法院で争うことに」によれば、医療監察委員会は医療関係者の措置を決定する「暫定法廷(IOT)」を設置し、同法廷は8月にホワイト医師にソーシャルメディアに登場することを、事実上、しばらく(最長18カ月)禁止するとの判断を示した。

日本の医療制度は公的医療機関と民間医療機関の混合制度だが、英国の場合は公的なものに統合され前出のNHSが運営している。医療行為は公的費用だが医薬品は有料だとか、細かいことはここでは措くが、こうした公的サービスで働く医師や看護人などを監視する組織が前出のGMC。そして、こうした医療制度内部で「暫定判決」を受けたホワイト医師は、医療の問題というよりは「表現の自由」の問題だとして民事裁判に訴えたわけである。

まず、IOTにおける判決。ホワイト医師の意見の公表の仕方は「感染者の安全にとって実際のインパクトを与えたと思われ」、また同医師は「十分でバランスの取れたコロナについての情報を提供する義務があった。そうしたバランスの取れた情報が、潜在的感染者および公民の多くが、潜在的な危険に気づくことを可能にするからだ」。

しかし、ホワイト医師は「広範囲に情報を得ていない視聴者に自分の情報を拡散させ」、そして「ひとびとに、コロナについての全体的な考慮や、そこに含まれている意味と可能な対応策への機会を与えなかったと思われる」。したがって、ホワイト医師は「コロナについての今の投稿を削除すべきだ」というわけである。

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こうした判決に対し、ホワイト医師の法廷弁護士フランシス・ホアーが裁判所の聴取のさいに述べた見解。「これはホワイト医師の『表現の自由』の申し立てであり、具体的には医療行為への参加の自由、科学および政治についての論争と議論への自由の問題です」。IOTの暫定判決は「彼がもっと一般的な医学以外の話題についての発言を制限し、一般市民が参加できるはずの自由で民主主義的な対話すらできなくしてしまう」。つまり暫定判決は、「欠陥がある決定であり、間違っている」というわけだ。

この弁護士に対して、GMCのアレクシス・ハーンデンは、次のように反論している。「ホワイト医師がネット上で発表したビデオには、多くの苦情が寄せられている。そのなかには『医療専門家に属している人たち』からのものを含んでいる」。「ホワイト医師の見解は、ワクチン接種を推進しマスク着用を推奨する政府の公的健康プログラムに、まったく反するものである」。

しかも、暫定判決は、ホワイト医師の発言そのものが「間違っている」と指摘しているわけではない。この判決は、いま実施されている公的アドバイスに、違反する行為をけしかけるホワイト医師の発言によって、公民が「リスク」に晒されることを確認したということである、とハーンデンはいう。

さらに(とハーンデンは続ける)、ホワイト医師は「パンデミックについての陰謀説」でしばしば語られる複数の用語を使っていることは、深刻な懸念をせざるをえない。したがって、暫定判決による措置は、ホワイト医師の医療行為や、彼の個人的な見解の表明を阻止するものではなく、「公衆の安全を追求し健康を守る」という公的医療制度の目的によって「正当化」されるものである。

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日本においても、たとえば、ワクチン接種が医療従事者に義務とされるのは「正当化」されるのかという問題があった。これは特定の目的をもった任務に従事する人は、従事するさいにすでに条件として提示され、それを受け入れているのであれば、ほぼ問題なく正当化されるというのが多くの法律家たちの見解である。

また、これも日本のケースだが、裁判官を務める人間が、個人的な生活や法判断以外の見識を超えて、法律的な自分の意見をインターネット上で表明するのは許されるのかという問題が、提起されたことがあった。このケースにおいても、周知のように、裁判所がこの判事に警告したうえで、改めなかったので処分するに至っている。

日本の場合、ここで考えてみてもよいのは、たとえば、いわゆる国立大学で一定の地位を得ている影響ある人間が、厳密な意味で「専門」でないことについて、標準的な見解や政府が実施している政策について、真っ向から異なる見解を表明してもよいか、という問題である。こうしたことは、いまや日常的に何の制限もなく行われている。

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あるいは、医師とか大学教授とかの肩書を持つ人間が、明らかにいまや古くなった知識を振り回し、自分の利益のために「危険」で「リスク」のある見解を拡散している場合はどうだろうか。公的機関が何らかの形で、そうした発言を停止させるべきではないのだろうかと考える人もいるだろう。

これまでは「言論の自由」と「学問の自由」によって、そうした発言は公的地位に影響を与えないとされてきた。それはそれで正しい姿勢だったといえるだろう。しかし、今回のコロナ禍は、こうした根本的な部分であえて衝突を回避してきたことを明らかにした。たとえば、緊急事態宣言では不可能にしても、将来的に制度化される可能性のある非常事態宣言において「表現の自由」はどうなるのだろうか。

膨大な部数が刊行される新書や、もっと膨大な頻度で行われるインターネット上での意見の表明が、国民の健康への「リスク」を生み出し、社会秩序の動揺をきたす「危険」がある場合に、それでも「表現の自由」は無制限なのかということだ。これは安易な議論を許さないテーマといえるだろう。

英国の場合、このホワイト医師のケースでは、医療制度内での「暫定判決」によって、「表現の自由」というカードを切らせないで済ませようとしたのだろう。しかし、いまやホワイト医師の「マスクは役に立たない」という主張(そして、その根拠には陰謀説が含まれている可能性すらある)は、その内容の正否というよりは、人権問題として法廷で議論されようとしている。これは決して地球の裏側の事件ではない。