いわゆる先進諸国では、まず、英国がコロナワクチンの接種を開始し、その次にアメリカがかなりの規模で始めようとしている。もちろん、すべてがうまくいくという保証はなく、ワクチンの本当の効果や安全性があきらかになるのはこれからだ。また、どれほどの供給が可能になるのか、そして、経済の回復にどこまで貢献するのかも議論の余地がある。
来週(7日以降)にワクチン接種のトップを切る英国のジャーナリズムは、どちらかといえば楽観的にファイザー=ビオンテックのワクチンの安全性と効果について語っている。たとえば、英経済誌のジ・エコノミスト11月5日号(発売は3日)は、このワクチンがこれまでいくつもの試験を切り抜けてきたことや、また、同ワクチンがメッセンジャーRNA型であることをあげて、これは癌治療でもそれなりの技術的背景があることを述べている。
ただ、問題は国民の多くが、安心して接種を受けられるかで、そのための十分な情報が国民に与えられたのかは疑問であることにも触れている。すでにワクチン接種をすると、身体に送りこまれたRNAがDNAでできている遺伝子を変えてしまうという風説が流されているという。そうしたレベルの流言蜚語というのは、ちょっと考えてみれば奇妙なのだが、なかなか浸透力があってやっかいなことになる。
ザ・タイムズ11月3日付は、英国がEU諸国を出し抜いてファイザー=ビオテックのワクチンの接種を認可したことから生まれた摩擦について「急速なワクチンのブレークスルーはEU離脱のお陰だと、閣僚たちはいっている」という記事を掲載して、その経緯を追跡している。
ことの発端は、マット・ハンコック保健相などブレグジット派の閣僚たちが、「認可はEU離脱によってもたらされた先行的成果だ」と発言したことだった、ジョンソン首相は、記者会見で「これはグローバルな努力によってもたらされた」と、いちおう修正しようとしたが、いったんついた火は広がるばかりだった。
英国の医薬品・医療製品規制庁のジューン・レインは、こうした主張にたいして、「EUの法律のもとでも、緊急事態ならワクチン接種の方針を決めることができる」と反論。EU離脱は関係ないというわけである。ところが、欧州医薬品庁は「それは違う」と批判。「大量接種が大事」なのであり、「市民への高いレベルの防御を保証することが不可欠」と主張した。つまり、いっしょにやってこそ効果があるというわけだ。
ザ・タイムズ紙は、さらにヨーロッパ諸国からの批判を紹介しているが、ジョンソン政権の抜け駆けについては非難めいたことは述べずに、「どこが初めに接種したかが問題なのではなく、わたしたちが知りたいのは、安心して自分の家族を訪問できるようにするには、いったいどれくらいの人たちが接種すればいいのかということだ」と述べている。たしかにそうかも知れないが、今回のファイザー社のワクチンを開発した、ビオンテック社を擁するドイツ高官は、不満やるかたない様子であるという。
面白いのは、ザ・テレグラフ紙11月2日付にベテランの名物記者アンブローズ・エバンス=プリチャードが「ヨーロッパ大陸諸国はワクチン官僚主義に高い費用をかけるが、そのいっぽうで英国は素早く始められた」という、あっさりと露骨に英国の方針に肯定的な記事を寄稿していることだ。
名前で気がついた人がいるかもしれないが、この記者は社会人類学の泰斗といわれたエドワード・エバンス=プリチャードのご子息であるらしい。どうでもいいことだが、エバンス=プリチャードという苗字は、父親の社会人類学者が母の苗字と父の苗字をくっつけて、新たに作った苗字だったから、かなり珍しいので目立つわけである。
さて、この記事はかなりレトリックをつかった文章で書かれているが、その経済的な視点からする主旨は、英国はヨーロッパからの離脱を前提としていることで、EUの官僚主義にわずらわされずに、ワクチン接種に踏み出せるわけであり、これからの経済回復にも歓迎できることだということにつきるといってよい。その先行の期間は数週間からひと月程度だが、それがいまの状況のなかでは大きいというわけだ。
息子のエバンス=プリチャードによれば、このワクチン接種は来週の月曜日にも始まり、超低温が要求されるファイザー=ビオンテックのワクチンの困難な輸送を引き受けるのは、誰あろう、ワクチン輸送に慣れた英国の兵站部隊だという。「彼らは接種のための中継地を設置し、フォークランド戦争以来の作戦によって、超低温輸送のシステムををつくりあげる」のだそうである。もちろん、英国が誇るアストラゼネカ=オックスフォードのワクチンも、第3番手になってしまったとはいえ、超低廉で扱いやすいので、ファイザーやモデルナのワクチンなどより、ずっと人類に貢献するだろうと付け加えることも忘れない。
さらにエバンス=プリチャードは「英国国民は、自分たちがこの疫病蔓延のさなかに、人間性を発揮する役割を担うことを、誇ることができるだろう。そして、天はわれわれの国民投票による離脱決定以来、投げつけられてきた罵りの後に、われわれが精神を高揚させる必要があることをご存知である」などと妙に格調高く締めくくっている。
ちなみに、ヨーロッパ諸国とくにフランスでは反ワクチン運動による摩擦が予測されているが、英国の場合は比較的そうした動きはおさえられているようだ。エバンス=プリチャードが掲げている公的機関の調査によれば、コロナワクチン接種を受け入れないと答えた割合は、スペインが36%、イタリアが35%、ドイツが30%に比べて、英国は21%である。これは客観的なデータと信じてよいだろう。
こうしたワクチンへの警戒や反対への動向は、これから日本においても、かなり問題になっていくと思われる。すでに「コモドンの空飛ぶ書斎」の「新型コロナの第2波に備える(5)コロナワクチン陰謀説を検証する」で取り上げたが、日本はワクチンへの安全性への許容度が世界でも極めて低いというデータもある(許容する人は3割くらいしかない:上の図を参照)。
もちろん、新しいワクチンに慎重になるのは当然だが、これも効用を副作用との比較考量が妥当なかたちで行われることが重要になる。最近の調査では、日本人はコロナワクチンを受けてもよいという人が69%程度(下図を参照)で、これは新興国のような8割とか9割ではないが、ドイツの69%と同じで、アメリカの64%より高い割合だった。反ワクチン感覚はそれほど強くないとも思ったが、実際に始まってみないと、まだ分からない。
読売新聞より
こうした状況のなかで、ワクチンについて菅首相からのメッセージがないのがどうも気になる。めちゃくちゃ評判がわるくなった英国のジョンソン首相ですら、ちゃんと国民に向かってワクチンについての自分の見解を述べている。前出のエバンス=プリチャード記者は、「第1波のときのジョンソン氏はいただけなかったが、いまはあまりにも批判されすぎで、それは病的といってよい」と弁護しているのも興味ぶかい。本当はこのことが書きたかったのかもしれない。
ちなみに、父親のエバンス=プリチャードの社会人類学者としての業績は、アフリカのアザンデ族とヌアー族との比較をとおして、それぞれの社会的特質と宗教的背景との関係を論じたことだった。エバンス=プリチャードがフィールドワークで彼らの集落を訪れると「ヌアーは受け入れてくれ、アザンデは拒絶しようとした」。前者はおおらかで開放的な宗教観念をもっているが、アザンデは呪術を含む防衛的な宗教観念をもっていることが違いなのだ、ということが示唆されているわけである。
昔読んだ本のことを思い出したので、ちょっとだけ触れたくなった。ただ、新しいものを受け入れるか受け入れないかは、社会構造や文化観念、そこから生まれる世界観や信頼感がかかわっていることは確かで、日本もワクチンの技術レベルや世論の安定性の考慮だけでなく、しっかりと国民のワクチンに対する意識を把握し、これからの道筋を描くことが必要だ。そして、何よりも政治的リーダーが自分の考えを表明すべきである。