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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ゼレンスキーの「正体」(6)ウクライナ軍事組織への急接近と葛藤

ゼレンスキーが大統領選挙に勝利したと報告を受けたとき、もちろんプーチンはゼレンスキーが、以前にテレビドラマでウクライナ大統領を演じたことを知っていた。「そのうち我々は会うことになるだろう」といったあとで、「ほんとうのところ、何かを演じるということと、何かであるということとは、まったく別のことだがね」と続けたという。

「演じる」と「である」ことの違いはどこにあるのか


このエピソードは、最近刊行されたスティーブン・デリックスとマリナ・シェルクノワの『ゼレンスキー:現実の伝記』に出てくる話だ。いまの時点でこのエピソードを読めば、プーチンはゼレンスキーをただの喜劇役者と侮っていたということになるかもしれない。しかし、ゼレンスキーの言動をさらに多く目の当たりにすれば、プーチンはその血塗られた長い政治家としての体験から、もう少し別のことを言っていたと思うかもしれない。今回は少しこれまでの連載を振り返り、ゼレンスキーと軍事組織との関係を見てみよう。

ゼレンスキーが2019年4月にウクライナ大統領となってから、彼の言動はとてもではないが優れた政治家のものとはいえなかった。ゼレンスキーはテレビドラマ『国民の僕』で、平凡な高校教師が大統領となる荒唐無稽な物語の主人公を演じ、爆発的な人気を獲得した。その余勢をかって現実の大統領選に出馬し、決選投票では前大統領ポロシェンコに対し73%以上の票を獲得するという、圧倒的勝利で大統領に当選する。

ゼレンスキー政権が成立して数カ月で贈収賄問題で紛糾


彼の選挙公約は何人もの専門的アドバイザーがいたにもかかわらず、多くの国民が望んでいることをおくめんもなく取り上げるようなものだった。2014年以降激しくなっているドンバス地方での戦争をやめさせて平和をもたらす。これまでのウクライナ・オリガルヒ(新興財閥)の支配を終わらせる。政府のなかで横行してきた身内のコネによる人事はやめるといった、俺がやればすべて良くなるといった類の、現実性がほとんどないのにもっともらしい、口からでまかせといってよいものだった。

したがって、こうした公約は次々と裏切られていった。まず、政府の人事においては身内の者がぞろりと揃うことになった。とくにゼレンスキーが活躍してきたテレビや演劇の関係者が、ほとんど何の専門的知識がないのに抜擢された。また、オリガルヒの支配も、たとえば、ゼレンスキーのパトロンで政治における後見人であるコロモイスキ―は、詐欺の疑惑ゆえに国外に逃亡していたというのに、大統領選挙の結果を聞いて帰国していた。さらに、最も難しいドンバス地方の戦争解決も、フランス、ドイツの首脳が同席した会議でプーチンと対話はしたものの、解決の糸口すらつかめなかった。

4国首脳会議にゼレンスキーは期待していたが


すでにこれらについては、このシリーズでざっと見てきたので、概要はつかんでいただいていると思う。しかし、それはゼレンスキーの政治家としての失態のほんの一部にすぎない。2019年に大統領となったが2020年には経済的にさらに低迷して、一時は80%もあった支持が40%程度に下落した。つまりは、国内の改革をやり遂げれば自動的によくなるはずだった経済は、コロナ禍もあって逆に落ち込んでいった。

2021年にアメリカではバイデン大統領が就任すると、バイデンの次男のウクライナを巡る汚職疑惑を覆い隠すかのように、急激にウクライナに関与してくる。このころから、ゼレンスキーも国内の改革に見切りをつけたのか、アメリカを後ろ盾としてEUおよびNATOへの加盟に積極的になっていく。この大きな転換こそが、それまでのドンバスでの紛争を加速し、甚だしくロシアを刺激することになるわけである。

ここまでは、ほぼ、これまでの繰り返しだが、今回は、ゼレンスキーにおいてもウクライナという国にとっても大きな問題、つまり、この国の軍事組織と政治との関係について、付け加えることにしたい。まず、ウクライナという国が「軍事大国」だといえば、そんなバカなと思う人がいるかもしれない。それならなぜロシアに侵攻されて苦しんでいるのだという人もいるだろう。

ゼレンスキーの支持層が多い東部と南部が紛争地

 

しかし、人口が5200万人であるのに対して、19万人以上の軍隊を持っているというのは、まぎれもない事実である。そして、この圧倒的な人口を吸収している軍隊とその周囲組織こそが、ウクライナがオリガルヒの支配する国であると同時に、軍事組織が支配する国にしているのである。1991年に独立したとき、旧ソ連の防衛産業の3割、旧ソ連軍兵士の約4割(約70万人)を継承した。核兵器も継承したが、アメリカが介入して、ロシアに移管することで話がついたものの、もし、そのまま推移していたら、ここに核武装した巨大な軍事大国が出現していたことだろう。

こうした経緯はすでに多くの人の記憶から消えていたが、最近、ウクライナ西部出身の社会人類学者タラス・フェディルコがウォールストリート紙2022年5月26日付に「現代ウクライナの軍事的ルーツ」を寄稿して少なからぬ人に衝撃を与えた。そもそもウクライナと呼ばれる地域は古代より支配者が頻繁に変わる紛争地だったが、ときとして巨大な勢力に成長して周囲の脅威になるという歴史も持っている。ロシアがあれこれ理由をつけて介入し、あるいは侵攻して軍事力や経済力を低下させ、支配下に置こうとするのは、それがひとつの大きな理由でもある。

さて、現代に戻ると、前出のフェディルコが指摘しているのが、旧ソ連から継承したものが大きかったのに比べて、経済力が極端に衰微していたことである。IMFによればウクライナは独立から21世紀になるまで、ほとんど成長しなかった。「歴代大統領は軍事費を減らし、軍事資産は廃棄したり途上国に売却することで縮小させていったので、2014年にロシアとの(ドンバスを巡る)戦争に突入したときには、ウクライナの軍事力は微々たるものになっていた」。そのため、ロシアがクリミア併合やドンバス侵入を行なっても、対抗できなかったのだという。

親欧米派を鮮明にするに従い軍事組織とも連携を深めた


では、2014年の時点でウクライナ側において、果敢に戦っていたのは誰なのだろうか。それはいわゆる民兵組織であって、報道によっては「ネオナチ」などと記されていたが、地方政治家や地方財界人などによりさまざまな形で支援を受けた、右派のウクライナナショナリストたちからなっている。彼らの目からすれば、隣国の代理でしかないのに独立とか権利とかいっている連中(親ロシア独立派)が気にくわないので、この連中と戦って叩き出したいというのが最大のモティーフなのだ。

ゼレンスキーがあまり出てこなかったが、これで彼が活動しているセアター(劇場=戦場)の素描がほぼできた。以下、ゼレンスキーの演技について述べることにする。彼が大統領になったとき、巨大な勢力である軍事組織とどう付き合っていくか、考えていただろうか。どうやら、ほとんど念頭になかったようだ。それは何回かこのシリーズで引用したルーデンコが『ゼレンスキー:ある伝記』のなかで、「副大統領」とまでいわれたアドバイザー、アンドリィ・ボーダンが「最高司令部と民兵組織」についてゼレンスキーは分かっていないと嘆いていたことからも推測できる。

しかし、ゼレンスキーは露仏独ウの首脳会議ノルマンディ・フォーでプーチンに会ったものの、まったく取り付く島もなかったことで、自分の母語ロシア語で交渉すれば進展するいう目論見が、まったく現実的でないことを知った。とはいえ、前大統領ポロシェンコの外交敗北である停戦合意「ミンスク2」を認めてしまったのでは、国民に対しての公約違反になってしまう。ゼレンスキーはドンバスで戦う元民兵組織を訪れている。彼らは2014年に正規軍に繰り入れられウクライナ兵士ということになっていた。

ゼレンスキーが兜をかぶるのはロシア侵攻以前からだ


ところが、ここでもまったくゼレンスキー流は、通用しないことを思い知らされる。彼は立派な装飾のついたヘルメットをかぶって、親しげに威厳をもって兵士たちに話しかけたのだが、元右派ナショナリストたちは大統領を演じていた元コメディアンをバカにして、少しも敬意を示さなかった。ついにゼレンスキーは切れて、どなりまくる。「俺はウクライナの大統領なんだ。お前たちに(ミンスク2で約束されていた)武器の撤去をやるよう言い渡しに来たんだ。俺のいうことをはぐらかすのはやめてくれ」。

その日の夜にはネット上のサイトに次のような投稿がなされた。「彼らはあんたをぶっ飛ばすつもりよ。もう間違いない。もう三度くらいやって来たらいいわ。あんたを出迎えた軍人たちは、『あなた』とか敬語を使ってたけど。あんたはきっとトイレで片付けられるわね」。女性兵士の投稿だったが、これが威嚇なのか嫌がらせなのかははっきりしない。当局は取り調べの後、彼女に電子ブレスレットを装着させたが、3カ月でこの措置は終わったという。

圧倒的な支持を得て大統領となった


ウクライナ憲法では大統領は自動的にウクライナ国家安全保障・国防委員会の委員長になる。報道では何ら問題なく務めていることになっているが、軍事についてほとんど何も知らなかったゼレンスキーが、何か素晴らしい戦略を展開したとは考えられない。それどころか、話し合われている軍事問題の細部について、ちゃんと理解していたかすらもわからない。世界に向けての発言も武器の供与の追加依頼が多く、しばしば、出し渋りする国に対する恫喝的な要求となる。

ゼレンスキーが国家安全保障・国防委員会の委員長になったころには、ウクライナ軍はすでに親欧米派によって支配されていた。ロシアがウクライナを再び支配すれば、ウクライナ軍は縮小されることになるから当然だろう。独立後のウクライナは2つの勢力が混在する国家となった。つまり、親欧米派と親ロシア派だが、これは地域によって分けることができる。前出のフェディルコによれば「ウクライナ西部と都市部の中間層から支持を受ける、ナショナリスティックだが新自由主義的な親欧米派と、ソ連時代に産業の中心であった東部と南部が、かなりの親ロシア派である」ということになる。

緑の濃い地方がゼレンスキー支持者が多かった

 

しかも、2014年からのクリミア併合およびドンバス独立が進行するなかで、10分の1弱(450万人以上)の親ロシア派人口の帰属が曖昧になり、ウクライナの政治と軍事の中心はさらに西部に移動していた。したがって、ゼレンスキーの大統領選挙のさいには、母語のロシア語で演説して「平和へのプラットフォーム」を唱え、東部と南部で圧倒的な支持を得たゼレンスキー大統領は、親ロシア派と見られても仕方なかったし、そうした曖昧な立場をつかってプーチンを説得できると思ったのである。

しかし、ドンバス問題をまるで解決できなかったゼレンスキーにとって、選択肢は親欧米派と強力に繋がっていくことだけが残っていた。結局、彼はEUとNATOへの加盟を主張するようになり、自分の支持基盤だった地域とはかなり異なる西部の親欧米派と急速に繋がっていく。これは政治家としては自殺行為のように見えるが、大統領は5年1期だけと憲法で決められ、任期中は起訴されることはない。たとえ東部と南部に見捨てられても、革命でも起こらなければ大統領の任期だけはまっとうできる。こうした点も急速に政治姿勢を転換できた理由のひとつだろう。

右が親露派のオリガルヒであるメドヴェドチュク

 

この転換の象徴的事件が、2021年5月の親露派オリガルヒであるヴィクトル・メドヴェドチュク逮捕だった。彼はかつてクチマ第2代大統領の主席補佐官を務めた親ロシア派の大物だが、この事態を報じたフィナンシャルタイムズ紙は、次のように述べている。「ゼレンスキーは、米国バイデン政権による圧力の下、親露派のオリガルヒ叩きと腐敗に対する闘争を、加速することになったのである」(同紙2021年5月16日付)。この親ロシア派でプーチンが娘の名付け親でもあるメドヴェドチュクは、一度逃亡したが、反逆罪で今年4月に再び逮捕され今も監獄のなかである。

SNS上でのウクライナ問題への関心もしだいに低下している


この年はバイデン政権が黒海で友好国32カ国を集め、大軍事演習を展開してロシアを激しく牽制している。ゼレンスキーはおそらく、アメリカを初めとする欧米諸国はウクライナのEUおよびNATOへの加盟を支持し認めてくれるものと信じただろう。しかし、ここまでやってロシアが侵攻してから、「ゼレンスキーには国境にロシア軍が終結していると知らせたが、彼は聞く耳をもっていなかった」などとと平然と言うバイデンとは不思議な世界指導者である。

たしかに、ゼレンスキーはいまや自由と民主主義の象徴であるかのようにふるまい、そして象徴になりきっている。ただ、冷静に観察すれば、彼が行っていることは、ある意味でかつてスタジオや舞台で行った、何かを「演じる」ことと同じで、しかも自分の創意による演技ではなく、ある勢力の合意に基づいた路線のシンボル発信にとどまっている。そもそも、ウクライナの歴史において自由と民主主義が真に花開いた時期などあったのだろうか。このままロシアとの戦争が長引けば、任期が終わるまで「演じる」ことはできるが、終わったときにゼレンスキーは歴史的な英雄「である」のだろうか。(つづく)