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東谷暁による「事件」に対する解釈論

中国の台湾侵攻はすでに始まっている?;ペロシ訪台を口実に準備が急速に進行中

アメリカの下院議長ペロシが台湾訪問を断行したことで、中国は台湾侵攻の「口実」を得たという説が注目されている。実は、中国はすでに台湾侵攻を決めているのだが、そのチャンスがつかめない。実際に侵攻するには何度か実際と同じレベルの訓練をしておかねばならないが、その口実すらもなかなかなかったというのである。

 

この説を述べたのはオリアナ・S・マストロで、スタンフォード大学フリーマン・スポグリ研究所の主任フェロー。すでに中国による台湾侵攻問題についての中心的な論者として知られている。その彼女が英経済誌ジ・エコノミスト8月10日号に「中国の巨大な軍事演習はリーハーサルであって兆候ではない」を寄稿し、今回のペロシ訪台はまさに、中国が待っていた侵攻の準備に名目を与える事件だったと指摘した。マストロは今回の軍事演習が、これまでの演習に比べて、きわめて大規模で具体的なものだったことを指摘した上で、次のように述べている。


「これを機に中国は、台湾をめぐる大規模な軍事行動を常態化していくだろう。それは開戦の危険性を高めるものだ。人民解放軍の軍事演習を続け、中国共産党の指導を徹底することを通じて、中国軍が台湾を手に入れる準備が、思ったよりも早く出来ていることを、共通の認識としていくことになるのである」

ペロシの行動に対しては、軽挙と批判する論者もいるが、台湾の蔡英文総統が感謝の念を示したことをもって、中国を牽制する英断だったと論じる人も多い。では、なぜマストロは「口実にされてしまった」というのか。それはいうまでもなくマストロが、中国が台湾侵攻を成功させることは可能であると指摘し、しかも、中国がウクライナ戦争と台湾侵攻とを切り離して考えていると観察してきたことの論理的な帰結でもある。

マストロが台湾侵攻問題で注目されたのは、外交誌フォーリン・アフェアーズ2021年7/8月号に寄稿した「台湾の誘惑:なぜ北京政府は武力に訴えるか」で、中国は台湾侵攻を成功させるだろうと論じたときだった。それまでも国防総省ランド研究所のシミュレーションが「中国はアメリカを撃退して台湾侵攻を成功させる」との結論を出していた。しかし、マストロが衝撃を与えたのは、たとえ中国が総合的軍事力において劣っていても、台湾周辺での駆け引きならば、中国が勝利する可能性が高いことを強調したからだった。


その後、2022年2月にロシアがウクライナに侵攻したことで、ウクライナ戦争の台湾侵攻への影響が論じられるようになるが、このテーマにおいてもマストロは、同じくフォーリン・アフェアーズ誌2022年5月号に「侵攻とは融合ではない:ロシアのウクライナでの戦争は中国の台湾侵攻の前兆ではない」を寄稿して、2つの戦争を安易に連続性のあるものとして捉えることに疑問を呈した。

「たしかにロシアのウクライナ侵攻は、国際秩序の見方を変えたかもしれない。ヨーロッパではロシアへの反発が強くなり、ドイツは防衛予算を増額した。また、フィンランドスウェーデン、スイスはロシアへのスタンスを対抗的なものに変更した。しかし、中国のパースペクティブからすれば(あくまで中国のパースペクティブからすれば)、台湾についての計算において、ロシアやその敵国が何か意味のある変更を行ったとは思っていない」


しかし、今度のペロシの訪台はこうした計算において、中国にとっては変更があったと見たとマストロはいう。それは何とも中国中心主義というか、中華思想というか、結局、自国がどう判断するかの基準に、大きな影響があったということなのだ。前出の「台湾の誘惑」のなかでの一節なのだが、彼女は次のように述べていた。「台湾侵攻を決断するかどうかは、結局のところ、中国のリーダーが抱いている勝利のチャンスの受け止め方であって、勝利のチャンスそのものではない」。

つまり、習近平が台湾統一をどのくらい価値のある目標と考えているかであって、客観的な計算のための基準ではないのだ。今回の論文に戻ろう。「中国軍が、軍の展開、封鎖、攻撃、水陸両用艇での上陸などをシミュレーションするとしても、それがいつ本当に実質的な行動に出るのか、解読するのは難しい話になる。しかし、ペロシ米下院議長の訪台は、北京政府が国内において何の反対もなく、新しい軍事行動に移行できる口実を与えてくれたわけである。そしてそれは、アメリカが台湾を防衛することをより困難にするだろう」。

いうまでもなく、多くの国内問題を抱えるいまの習近平にとって、台湾侵攻の成功はまちがいなく価値の高いものになっている。しかも、そのための軍事行動のレベルアップが、アメリカ政府の行動のお陰で、国内の抵抗のないものに変わった。それがそのまま、マストロがいうように台湾侵攻にまでつながっていくのかは判断が難しいが、ひとつの有力な仮説として耳を傾けるべきだろう。