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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ハマスはなぜイスラエルを急襲したのか;スティーブン・ウォルトのアメリカ中東外交批判

先進国のほとんどがハマスを激しく非難して、イスラエルを支持すると表明している。たしかにハマスは市民を殺害し混乱をもたらしているが、では、彼らに何の理由もないのだろうか。これまでのハマスイスラエルの抗争を、おさらいしてくれるメディアもあるが、注意深くエクスキューズをいれながらで、どうも輪郭がはっきりしない。


ハーバード大学教授で国際関係論が専門のスティーブン・ウォルトが、外交誌『フォーリン・ポリシー』電子版に「イスラエルはガザをめぐる戦闘に勝利しても戦争には勝てない」を寄稿していて、政治的リアリスト(勢力均衡による抑止を論じる理論家のことであり、弱肉強食を肯定する人たちではない)の立場から、ハマスイスラエルの抗争について、きわめて冷徹な考察を述べている。

「このショッキングな事件を私たちはどのように考えるべきなのだろうか。私はいま行われている戦いが、ある論者のように、世界の安全保障秩序をさらに悪化させる前兆だとは思わない。どうしてそう考えないのか。この戦いは、必ずしもイスラエルハマスの間に勃発した、最初の大きな規模の暴力沙汰というわけではないからだ」


ウォルトがいうには、2008年、2014年、そして規模は小さかったが2021年にも紛争が起こり、数千人の犠牲者(その4分の1は子供だった)が生じた。そして、その時はガザ地区が世界のメディアで注目されるのだが、こうした紛争は持続する解決をもたらさなかった。「それは、あるイスラエル人が言ったように、一種の『芝生刈り』にとどまった」

たしかに、ハマスの攻撃はイスラエルにとって大きな出来事であり、攻撃を防御あるいは予防できなかったイスラエル政府の責任が問われることになるだろう。ひょっとするとネタニヤフ首相は地位を失うかもしれない。「しかし、ハマスは依然イスラエルに比べてはるかに弱小であり、勢力のバランスをくつがえすようなことはできない。イスラエルは熾烈な報復を行って、ガザ地区の関係ない人たちも犠牲になり、ハマスは高い代償を払うだろう」。

では、世界秩序において何の影響も生み出さないのだろうか。そうではないとウォルトはいう。「まず、この悲劇はアメリカの長期的なイスラエルパレスチナ政策の破綻を確実なものにする」。アメリカの中東政策はこれまでも矛盾に満ちたものだったが、今回のバイデン政権の政策も失敗することになる。そもそもリチャード・ニクソンからオバマまで、解決のチャンスはあったのに、アメリカの中東政策は失敗してきた。なぜなのだろうか。


「公平な仲介者となり大きな梃となって対立を調整するのではなくて、民主党政権共和党政権もワシントンにおけるイスラエル・ロビーの強い圧力に押され、『イスラエルの弁護士』となってしまう。彼らはイスラエルには無限の支援を与えるいっぽう、パレスチナには面倒くさい手続きを押し付け、イスラエルの何世代にもわたるパレスチナの領土の併合に目をつぶってしまうのである」

それはいまも続いているとウォルトはいう。イスラエルに対しては「湯水のごとく」大量の資金援助をして、国際社会でも他国から守るいっぽうで、イスラエルと将来的にはパレスチナ国家を認める「2国家解決案」を(バイデン大統領のように)支持しているのである。「解決へのゴールと称して最初から実現する気のない案を支持しているのを見れば、アメリカの立場とやらををまじめに受け止める者などいるのだろうか」。

ここで少し補足しておくが、イスラエルガザ地区に対して、分離壁をはりめぐらし、検問所をもうけ、監視所をいくつも設置して封鎖状態を続けてきた。ガザ地区では狭い土地のなかで人口が急増し、食料や生活必需品の入手が難しいため、住民の生活はきわめて厳しく「天井のない牢獄」と呼ばれることもある。ウォルトはイスラエルがこうした封鎖を続けていることが、果たしてハマスに対して「挑発的」でなかったといえるのかという。

イスラエルガザ地区を直接攻撃しなかったのは、狭い法律的意味からいえば『非挑発的』だったといえるかもしれない。ガザを攻撃すればそれこそハマスイスラエルを攻撃する口実を与えることになるだろう。しかし、ガザ地区パレスチナ人が暮らす環境に(食料や生活必需品が運び込めないようにするなどの)暴力的な対応をしてきたことは、言葉の普通の意味において十分に『挑発的』だったといえるのではないか」


ウォルトはこのコラムの最後でややシニックに、「もし、アメリカの民主党および共和党の政治家がもうすこし臆病でなかったなら、ハマスの行動を正しく批判すると同時に、イスラエルパレスチナの住民たちに行ってきた残酷で非合法的な行為を非難したことだろう」と述べている。「なぜこれまでアメリカが中東を平和にするのに失敗してきたか、そして、なぜ世界の多くの人たちがアメリカをもはや道徳的模範としなくなったかを不思議に思うなら、ここにその答えの一部があるのだ」。


【蛇足】最後に少しだけ付け加えておくと、ウォルトの「イスラエル・ロビー」の研究は、2006年のミアシャイマーとの論文にまでさかのぼる。このA判80ページほどの論文で、イスラエル・ロビーがどれほどアメリカ政治を動かしているかを、論拠をしっかりと提示して書いた。ユダヤ陰謀説だとの批判もあったが、否定できない事実の列挙に支持する専門家も多かった。しかし、現実の政治は彼らの指摘を無視し続けた。いわゆる「ユダヤもの」とは一線を画する、良い意味でアカデミックなものだった。ここで論文の紹介をしたいところだが、簡単に述べると、アメリカのユダヤ系社会といっても決して一枚岩ではなく、ユダヤ系がみなイスラエルを支持しているわけではないし、アラブ系勢力を攻撃する戦争を一致して肯定しているわけではない。こうした事実を積み重ねていくことで「イスラエル・ロビー」の影響力の強大さと、歪みを押し付けられるアメリカにとっての弊害を説いたわけである。今回のウォルトのコラムもその延長線上にある。(なお、蛇足の蛇足だが、このブログでスティーヴン・ワルトと表記したこともあるが、もちろんスティーブン・ウォルトと同一人物である)