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東谷暁による「事件」に対する解釈論

バイデンの構想はすでに破綻した;病院爆破の悲劇とネタニヤフの不人気

バイデン大統領がイスラエルに出発する、まさにその直前にガザ地区の病院に起こった爆発で数百人が殺害された。失われたのは彼らの命だけでなく、バイデンが描いていたハマスイスラエル紛争の鎮静化の絵図だった。そしてまた、彼が「大いなるチャンス」と呼んだ、ウクライナと中東に一気に平和をもたらす外交政策が、決定的に破壊されたといってよい。


誰がガザ地域北部の中心に建つアフリアラブ病院を爆破したのか。ガザ地区の保健省は「空爆されて500人以上が死亡した」と発表し、イスラエル軍を激しく非難した。これに対してイスラエル軍の報道官は、インテリジェンスの報告によれば、ハマスとは異なる武装組織イスラム聖戦が発射したロケット弾が誤射だったためだと反論した。

他にもさまざまな説が飛び交った。英経済紙フィナンシャルタイムズ10月18日付によれば、通信社ロイターはイスラム聖戦は病院における爆発にはかかわっていないと発表したと報じているという。また、ある報道機関によれば、何人かの専門家は、ハマスが発射したロケット弾が、イスラエル軍の防御システムに撃退され、それが病院に墜落して多くの犠牲者を出したと指摘している。


この説は、イスラエル軍の仕業ではないと述べているようだが、たまたま病院の上を通過しているロケット弾が、たまたま防御システムで病院の真上で撃墜されたということになる。これは確率的にきわめて低く、イスラエル軍がわざと病院の上空に来るのをまって撃墜したことになってしまうだろう。これなど情報戦における攪乱のためのフェイク情報である可能性が高い。

バイデン大統領は飛行機に搭乗する寸前、ともかく情報を収集して何が起こったのか調査するように関係部署に命じたというが、おそらく時間がかかったことになり、一般に公表されるのはずっと後になるだろう。あるいは、いまのバイデンにとって使いやすい形に加工されて、交渉のなかで使われることになる。(追記:報じられた映像を見ると、メモを見ながら発言しており、このとおりになったと思う)

いずれにせよ、バイデン政権が描いた、まずイスラエルを支持することを現地で再び強調して語り、そのいっぽうで人道的措置に対するイスラエルの制限を可能な限り緩和させ、エジプトに検問所を難民に対しても開けることを認めさせるという、全体の構想は達成できなくなったといってよい。いまの状況のなかで可能なのは、エジプトの検問所の開放を、条件付きで認めさせるくらいではないのか(それでも、何もないよりはずっとよいけれど)。


今回のイスラエルとの交渉において困難が多いのは、アメリカ国内の「イスラエル・ロビー」の強い圧力だけでなく、ほかでもないネタニヤフ首相、きわめて国内で人気のないリーダーだという要素も大きい。彼がアメリカの言うことを受け入れるといっても、それがイスラエル国民にすんなりと受け入れられるとは限らない。また、ネタニヤフは自分の人気を少しでも上昇させようとするため、自分が妥協したと見られるのは避けようとするからである。

ネタニヤフがいかに評判が悪いかについて、英経済誌ジ・エコノミスト10月16日号が「戦時のリーダーは支持率が上がるものだが、この国では違うのでは」との記事を掲載している。たとえば、アメリカの場合、ブッシュ(息子)大統領がイラク戦争を開始したとき、支持率は51%から90%に跳ね上がった。ところが、ハマスの急襲後に行われた世論調査では、いま誰が首相になればよいかとの質問に対して、ベニー・ガンツが48%だったのに対し、ネタニヤフは28%にとどまったというのである。


同誌はさまざまな数字を挙げて分析を進めているが、戦時リーダーへの支持率はジャンプするのが世界的に普通で、このような例は政治制度を考慮してもかなり珍しい。こうした統計の話と個別的な話をつなぐのは、やや不適切かもしれないが、たとえば「ホモサピエンス全史」で知られるヘブライ大学教授のユヴァル・ノア・ハラリなどは、ハマスの完全武装解除を主張しながら、その一方で「ネタニヤフはPRの天才だが、首相としては無能だ。自分の個人的利益を国益に優先し、国民の内紛を誘うことで自分の地位を築いた」(東洋経済新報電子版10月14日付)とまで言っている。

ハラリのようなイスラエル知識人がすべてネタニヤフ嫌いではないと思うが、彼の指摘するとおり(かなりその蓋然性は高いと思う)、国益より個人的利益を優先する傾向が強いと、いまの状況でバイデンが期待するような妥協をするかどうか分からない。もちろんブリンケン国務相がすでに実質的に交渉を終えていると思うが、「状況の変更」を理由にブリンケンとの交渉を反故にする危険もあるのではないだろうか。

 

【追伸:10月18日午後6時45分】バイデンがイスラエルに到着して、ネタニヤフと共にテルアビブで記者団の前に現れて述べたのは、病院を爆破したのはイスラエル軍ではなくパレスチナ人の「他のチーム」だということだった。「私が知っていることからすると、それ(病院への攻撃)はあなた方(イスラエル軍)ではなく、他のチームたっだようだ。しかし、ここにいる人間以外に、そのことが分からない人は多くいる。われわれは多くのことを克服しなくてはならない」。

どの程度の情報が、バイデンおよび周囲の高官に集まっているのかは分からない。しかし、ネタニヤフとの会談にかたちをつけるには、イスラエル軍が発表した「イスラム聖戦(イスラミック・ジハード)の(誤射である)可能性があるという説を、会談の前提にしておいたほうがよかったということだろう。バイデンは「わたしは悲しみ憤っている」と言っているが、その目的語は「病院が攻撃されたこと」で、わたしたちが蓋然性の高い認識を持つにはもうすこし情報が多方面から滲み出てくるのを待つ必要がある。