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東谷暁による「事件」に対する解釈論

バイデン大統領がイスラエル訪問を発表した;その背後で画策される「最悪の事態」の回避

バイデン米大統領が10月18日にイスラエルを訪れることが発表された。ブリンケン国務長官イスラエルに入っており、CBSの同月15日に放送されたインタビューで、バイデンのハマスイスラエルについての考えを、すでに米国民に語っている。周到な準備のうえでのイスラエル訪問といえるかもしれない。狙いはイスラエル支持を表明すると同時に、ガザ地区での戦時国際法の順守と、人道的支援への同意、そして長期占領への牽制だろう。


英経済紙フィナンシャル・タイムズ10月16日付に同紙の国際問題コラムニストのギデオン・ラックマンが「イスラエル支持とパレスチナ人保護は矛盾した政策ではない」を寄稿している。このコラムはバイデンの訪イスラエル発表の前に書かれたものだが、バイデン政権の今回の意図を、ひとまず好意的に理解するにはちょうどよい分析となっている。

あなたはイスラエルを支持するのか、それとも、ガザ地区パレスチナ人に共感するのか、といった1か0かの2進法をとるかぎり、この問題には何の進展も得られないし、理解することも不可能になるというのが、ラックマンのスタンスといってよい。したがって、バイデン政権がこれまでひたすらイスラエル支持を表明し、またEUのフォン・デア・ライエン委員長がイスラエルによりそって批判されたのも、単なる第1ステップだととらえるべきだとラックマンはいうのである。


ラックマンは正直に述べているが、事件の構造から考えてアメリカやEUがひたすらイスラエル支持を声高に唱えているのには、さすがにショックを受けたという。しかし、考えなおす気になったひとつのきっかけは、アメリカの高官が「これは、しっかり抱きしめ戦略(ハグ・ゼム・クローズ)なんだ」と語ったことからだった。この高官は「イスラエルはいま傷口が深く興奮している。だから、我々はいま一緒に事態に向き合っている。これから一緒に取り組んでいくんだ」ということを彼らに示す必要があったのだという。

いかにも世界外交を仕切っているアメリカの外交官らしい言い草だが、しかし、そうしなければイスラエルは孤立感を高めてしまい、ハマス攻撃を超えてガザ地区への度を過ぎた攻撃に走る危険がある。したがって、アメリカ政府はまずイスラエルをしっかり抱きしめ、それからおずおずと、過剰なハマス掃討に走らないような抑制をしていかなければならない。

ホワイトハウスが考えたのは、バイデン大統領がこの問題について語るさいには、まずイスラエルが何を求めているのかをよく聞く姿勢をみせて、そのうえで戦時国際法の順守を期待し、そして一般市民の生活の保護に言及するようにさせることだった。そうしておいてその裏で、政治家たちはガザ地区での電力の回復や水の供給といった、もっとも緊急と思われる人道的な措置をイスラエルに要求したわけである」


ラックマンの見るところ(おそらく取材による根拠もあるだろうが)、ヨーロッパの高官たちも、こうしたアメリカのアプローチに従った。そのひとりは、イスラエルのネタニヤフ首相の動揺ぶりはこれまでにないほどだったと述べつつ(彼の政治生命がかかっていることもあると思われるが)、いまですらイスラエル政府が、いかに臨戦態勢に傾斜してしまっているかを語っている。

「西側諸国の多くの人たちにとっては、ガザ地区の死者数や町の破壊具合を考えれば、こうした(アメリカ政府やヨーロッパ連合の)対応は。怒りを誘うほどイスラエルに対して生やさしい対応だと思うだろう。しかし、そのいっぽうで、イスラエルに対して激しい非難を表明しながらも、被害を受けたパレスチナ人にたいして何かをしてやることに無関心な西側諸国の人も多いのである」

このハマスイスラエル戦争の行方はどうなるか。ギデオンは短期と長期に分けて予想している。短期的には、イスラエルはすぐれた軍備を備えた国であり、やすやすと生き残りの戦いを進める。ヨーロッパ諸国の議会や国連総会での決議によって、そうした戦いが終止させられることはないだろう。いっぽう、長期的には、西側諸国においてイスラエルに対する姿勢に、かなりの分裂が生まれるだろうとラックマンは見ている。


たとえば、イスラエルが遂行する戦時国際法を外れた武力の行使に対して、イスラエルに対する「ボイコット、投資引揚、制裁」を主張するBDS運動が、いま以上に広がりを見せることになるだろう。そのいっぽうで、今回のハマスの行った行為を根拠としてイスラエルの軍事力への信頼を寄せるグループが拡大することになるというのだ。いずれにせよ、イスラエルを孤立させれば問題が解決するという考えは現実的ではない。

とはいえ、自分たちの姿勢をどのように形成すべきかという点においては、今回の事件からもあきらかではないかとラックマンは指摘している。「いずれの側においても被害者となった一般市民がいる。強い共感をもって彼らの身になるということは、かならずしも道徳的な姿勢に終わるわけではない。それはこれから将来に向かっての実践的な道でもありうる」。


もちろん、そんな共感とか同情とか道徳が、国際政治の熾烈な世界では意味がないという人がいるだろう。さすがにラックマンもそうした共感が平和な世界を形成するなどとは言っていない。しかし、たとえ国際政治においては構造的な要素が優先しており、個人的な感情などは二の次になるとしても、より安定した国際関係に向かうひとつの前提にはなるということだろう。それは人類史において、また人類の思想史においてもけっして珍しいことではない。

バイデン大統領がイスラエルで口にするのは、すでにCBSテレビでさんざん練習済みのセリフだが、その効果や反応が期待通りのものになるとは何の保証もない。何事も練習通りにいかないのは、この世の常である。ネタニヤフとの共同記者会見を目撃したのち、この問題はもういちどじっくり考えてみたい。