HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

連れてきて、こんどはタダで追い返すのか;「失業の時代」の外国人労働者

まちがいなく、これからやってくるのは「失業の時代」である。これまでも、「就職氷河期」に就職できなかった世代の問題が論じられ、「ロスジェネ」が日本の労働問題の巨大な問題として語られてきた。しかし、これからくる「失業の時代」は、生活のみならず生命を維持できないほどの「失業」が問題になるかもしれない。

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 いうまでもなく、新型コロナウイルスの世界的蔓延は、雇用を破壊して急速に失業者の数を増やしつつある。アメリカでは2週間で失業者が1000万人となり、失業率は0.9ポイント上昇して4.4%に達した。FRBの高官は「これから2、3か月で10%を超える」と述べている。

 新型コロナの影響が大きかったイタリアなどでは、数字上では失業率は9.8%だったが、大卒の10人に4人は就職先がない状態だった。新型コロナの蔓延は予想されていたものの、経済活動をさらに縮小させることができず、いまのような惨憺たる蔓延を招いてしまった。その結果、これから失業率は50%にまで行くのではないかとすらいわれる。

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 新型コロナ・ショックの震源地である中国では、政治的に「コロナ封じ込め成功」を宣言しているが、全土にわたって経済への影響は大きく、失業率は25%に上るのではないかとの説がある。これは1929年大恐慌アメリカ並みの数字ということになる。しかも、封じ込め成功を宣言したのが裏目にでて人民が再び「3密」を拡大しているらしく、第2波、第3波のパニックも憂慮されている。

 こうした世界的状況のなかで、日本だけが雇用を維持できるわけがない。いくら安倍政権が「緊急経済政策」によって雇用維持を強調しようと、それはじわりとやってくる。3月31日に発表された日本の完全失業率は2.4%で、それ以前の2.2%から0.2%も上昇したと報道されているが、3月の数値がその倍になっても不思議ではない。

 わざわざ「失業の時代」などと名づけているのは、大げさだと思う人がいるかもしれない。しかし、快適な生活ができないとか、自分の望む仕事がないという「雇用問題」は、かなり恵まれた話だったと思い知るのが、これからの雇用急減時代なのである。歴史を振り返れば、深刻な失業が世界に蔓延したのは1930年代だが、生活だけでなく思考法じたいに大きな変化がみられた。

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 たとえば、世界的に好景気といわれた1920年代には、豊かな国ではレジャーや観光が普及して、アメリカのように中間層が豊かになって家をもち、家電をそろえるのが普通に思われるような状況が見られた。繁栄は永遠のものと称えられた。ところが、失業の時代だった1930年代になると、雇用をめぐって国家は争うようになり、社会主義共産主義の運動が盛り上がり、ついには雇用を確保する経済の摩擦が原因となって戦争へと発展していく。

 経済学などもテーマが「雇用」になって、かつての雇用量を回復することが喫緊の課題とされる。マルクス経済学を聖典とあがめる社会主義共産主義が支持されたのも、すべての人が仕事を与えられることが、最大の魅力だった。資本主義陣営においても、有名なジョン・M・ケインズの『一般理論』の正式タイトルは『雇用、利子および貨幣の一般理論』であって、読んだ方は知っておられるように、雇用の単位を分析の中心に据えているのだ。

 もちろん、今回の新型コロナウイルスの衝撃は景気後退をもたらすことは確実でも、1930年代のような長期不況となるかはまだ不確定である。しかし、実は、この10年ほどの世界経済は、アメリカを中心としたバブルの時代だったことを思い起こせば、その反動も加わって、いま生まれつつあるコロナ不況が長期化するおそれは十分にある。

 これからは日本の政策も国民の失業を克服して雇用を維持することが、何よりも重要なテーマとなっていくに違いない。これまでだって雇用は政策のテーマだったという人がいるかもしれないが、すでに述べてきたように「失業の時代」においては、他のテーマがかすんでしまうだけでなく、なによりも「自国民」の雇用だけがクローズアップされることになるのだ。

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日本経済新聞より


 そこでいま考えておかなくてはならないのが、これまでのバブル経済によって生まれた雇用拡大を支えた「外国人労働者」に対する処遇をどうするのかという問題である。4月7日に発表された安倍政権の「緊急経済対策」にも雇用の維持についての言及は多いが、すでに166万人を大きく超えている外国人労働者について触れた部分はなかった。そんなこと当然じゃないかという人がいるかもしれないが、この「対策」で述べられている「非正規雇用」には、外国人労働者が含まれているのだろうか。

 私は外国人労働者についての議論について、まったく日本国民と同じように処遇すべきだという、どちらかというとリベラル派の人権主義による議論にも、また、いっさい外国人労働者を入れるべきでない断じる、とちらかというと保守派のようにみえる国民主義の議論にも違和感をもってきた。

 もうすでに、100万人を超える外国人労働者を便宜的な分類を行って安い労働力として重宝してきて、さて、これからは国民並みにしましょうというのは、あまりに理想主義的であり、また、これからは日本国民以外は国外に出てもらおうというのも、あまりに自国中心主義がすぎると思えたのである。

 私はどちらかというと後者の論者たちとの付き合いが深かったので、不思議な顔をされたこともあるが、この後者の人たちには現実にどこまで日本の産業が、すでに外国人労働者を受け入れてしまい、しかも、過酷な労働をさせて、自分たちも恩恵を受けてきたという自覚がないように思えた。しかも、その根拠というのが、イギリスあたりのネオ・コンが書いたヘイト本を褒めたたえることだったので、その品位のなさには辟易したものである。

 たしか、この本を称賛していた論者は、TPPに反対するときにはアメリカあたりのリベラル左翼の本を取り上げて称賛していた気がするが、こういうご都合主義が品位を失わさせるのである。自分が正しいと思ったことを主張するさいに、使えるものは何でも使うというというのなら、ただの煽り屋といってよい。

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「緊急経済対策」より


 では、どうすべきだったのかといえば、外国人労働者には残念だが国民と同じ権利を与えるのは諦めねばならない。そのかわり、自国に持ち帰れる賃金は高めに設定するべきだ。また、まったく労働鎖国にしないけれども、かなりの条件をつけてきてもらうという姿勢で対応すべきだったろう。その条件には、日本の経済が不況におちいって労働力を削減せざるをえなくなったときには、帰国してもらうというのがある。そのかわり、帰国通告は3か月以上前であり、帰国費用と解雇手当は日本側もちにすべきだろう。

 おそらく、そんな条件をあれこれつけたら、来てくれる外国人労働者はいなくなるか、来てもかなり少なくなるだろう。しかし、もともと外国人労働者を常時の労働力として考えることが危ういことだから、そうなってくれれば、むしろ「成功」だったのである。受け入れは、たまたま経済が加熱した時期で、高い労賃で雇えるときだけに限られることになる。

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さて、話がすこし長くなったが、これからの「失業の時代」に、すでに日本国内で働いている外国人労働者に対して、どのように接するべきだろうか。それはすでに述べたように、いまの賃金を維持できない場合には契約のやりなおしだろう。

 そして、その外国人が再契約はしたくないといった場合、あるいは、日本企業がまったく雇えなくなった場合には、帰国の費用と数か月分の賃金を日本側もちで帰ってもらうしかない。この過程が守られることに関しては、もちろん国が責任をもつのが当然である。つまり、そういうことが可能であるような条件で、日本で働いてもらうというのが、永遠にバブル状態でいられる経済でないかぎり、外国人労働者との本来的な接し方だったはずである。