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東谷暁による「事件」に対する解釈論

習近平は毛沢東になった?;2人の指導者による支配はどこが違うのか

習近平の独裁的支配は、かつての毛沢東による文化大革命に発展してしまうのではないかとの説があることは、すでに紹介した。最近の中国恒大集団の経営危機が、習近平の「共同富裕」に示される、かなりイデオロギー的な傾向の規制から始まったからだ。もちろん、それは杞憂だという説も少なくない。

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たとえば、英経済誌ジ・エコノミストの人気コラム「Chaguan(茶屋)」は、同誌10月14日号で「習近平の中国と毛沢東の中国はどう違うのか」を掲載している。導入文が「迷信への攻撃は政治コントロールの問題であって、伝統の破壊ではない」というのだが、ちょっとおもしろいので簡単に紹介しておきたい。

このコラムはしばしばレトリックがきいていて、私にはよく意味がとれないこともあるのだが、今回の主張は明快であるかのような印象を与える。「いくつかの理由から、コメンテーターがいまの中国が新しい文化大革命に向かっていると言ったら、それは誤解を招くといってよい」というのだから、習近平の中国は文化大革命などには向かわないと、全否定していると読んでもおかしくない。

たしかに、習近平の中国には誤解を受けてもしょうがない点もあると同コラムはいう。たとえば、これまでの例からして、大金持ちや有名人が激しいまでの取り締まりの対象になっているのは目新しい。大物も映画スターも中国共産党から受けた恩恵を忘れたために、ひどい目にあっている。そしてまた、習近平の権力はますます強くなっている。

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Wiredより


「しかし、それは文化大革命への回帰だということを意味しない。1966年から1976年までの文化大革命では、毛沢東とその仲間が敵対者たちを誹謗中傷することで、中国全土を恐怖に陥れ、何十年もの成果を無にしてしまった。海外の研究者たちは、非公式のデータから死者は160万人にのぼり、数百万人の生活が崩壊したと推測している」

それに比べて、習近平の場合は全く違っていると同コラムはいう。「中国共産党が攻撃しているのは資本主義が過剰になってしまった部分なのだ。ゴールは安定性と統一性なのであり、全中国は足並みそろえて偉大なる中国へと前進しているのである」。

なんだか、中国共産党のスローガンみたいだが、「ただし、ちょっとだけ気になることもおきている」と付け加えている。いま中国のなかで進行している「前進」のなかには、「迷信」と呼ばれているものへの攻撃も、あるというのだ。それは他でもない、中国人が大好きなさまざまな祭式において、やたら物を燃やすことである。

有名なのは「清明節」で紙幣を燃やす行為だが、もちろん、いまは本物の紙幣ではなくて偽物の紙幣を燃やしている。また、ほかにも紙で作った衣服を燃やす祭式もあって、そのために多くの材料が煙と化している。省によっては、こうした行為を禁止したほうがいいのではないかと、真剣に議論を重ねているところもあるという。

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文化大革命を知っている人は、こうした「文化破壊」が極端な形で遂行されたことを思い出すだろう。同コラムによれば、こうした蛮行によって「それまでの伝統がまったく断たれた」といってもよい。ことに葬式に対する紅衛兵の攻撃と関与はひどく、葬式なしで自分の親を埋葬せざるを得なくなったことについて、いまも心の傷となっている人は多いのだという。

では、いまの「迷信」への規制はどうなのかといえば、そもそも、いまの若い人たちは、かつてのように偽物の紙幣を燃やさないと気がすまないということは少なくなった。「そんなのは、資源の無駄だ」と言い捨てる人たちもいる。しかも、禁止しようとしている省の理由というのが「資源の無駄」とか「火事の危険」であって、「伝統」は何でも悪いという思想に凝り固まっているのではないと、同コラムは述べている。

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ずいぶんと中国も「伝統」にたいして寛容となり、いまの資本主義批判と同じく、合理的で健全なものだと思う人もいるかもしれない。しかし、最後の段落は次のようなもので、その判断は読者にお任せしたい。

「すでに文化大革命が、中国の過去と繋がる多くのルートを根絶やしにしているので、封建的な迷信を新たに作ろうと思っても、できるものではない。今日の中国はボス支配であり、社会は保守的であり、情け容赦のない支配が存在している。毛沢東主義のファナティズムなどなくとも、もう十分に中国は権威主義的な巨人にのしあがっているのである」