中国の元外務大臣・秦剛が行方不明になってから1カ月を超えた。外務大臣には政治局員に出世していた王毅が復帰したが、今回の混乱については憶測や噂が絶えない。それはもちろん事件の異常さにもよるが、米中の緊張が高まると同時に、ウクライナ戦争も微妙な局面に来ているなかで、中国の外交が不安定になるのは、世界にとっても迷惑なことだからだ。そもそも、この事件の本質はどこにあったのだろうか。
英国のBBC電子版は「秦剛 中国の外務大臣の失踪は憶測を掻き立てている」を掲載して、事件後のさまざまな噂を含めて、いったい中国の政治に何が起こっているのかをレポートしている。あまり興味がなかった人のために簡単に説明しておくと、7カ月前に習近平の寵愛を得て中国の外務大臣に就任した秦剛が、突然、公的活動から姿を消してしまい、同国外務省も沈黙を続けるという異常な事態が続いていた。そのため、根拠の不確かな揣摩臆測の類が世界に広がっているというわけである。
BBC電子版は多くの人の証言を紹介しているが、いちおう名の知られたメディアとしては珍しく、他では無視してきたスキャンダルについても触れている。シンガポール国立大学のイアン・チョンは、「中国政府はいまのところ憶測を流すメディアに対して検閲をしていないが、それが噂の類に真実味を与えている。たとえば、権力闘争だとか、汚職が関係しているとか、権力と地位の乱用だとか、さらにはロマンチックな男女関係だとか」と憶測と噂を並べている。
秦剛と傳暁田の「ロマンチックな関係」を伝えるSNS
最後の男女関係について補足しておくと、BBCは「ソーシャル・メディアでトップになった、秦剛の妻と愛人との話が反映されている」とだけ解説しているが、ここで愛人とされているは香港フェニックステレビのキャスターだった傳暁田のことで、アメリカで秦剛の子供を出産したと、ネット上では盛んに話題になったことがあった。最近では傳は、実は、二重スパイだったとの説も流されるようになっていた。
また、アジア社会政治研究所のダニエル・ラッセルは、憶測と噂が繁茂しているのは、秦剛があまりに劇的に脚光を浴びたことと無縁ではないという。「秦剛の急速な出世とあっという間の転落は、いずれも中国のリーダーに責任があることです。この事件は政治トップ(習近平)の決断における、とんでもない間違いに原因があるんです」。
経済の落ち込みに習近平は直面している
たしかに、秦剛の出世は中国においても近年まれにみる現象だった。秦は中国外務省のスポークスマンだったが、習近平の外遊に付き添うようになり、中国外交の真っただ中で影響力をもつ存在となった。駐米大使に任命されると、アメリカに対して一歩も譲らない姿勢を示して「戦狼外交」と称賛されるようになり、ついには若くして外務大臣に異例の抜擢となった。
ワシントンにある外交評議会シニアフェローのイアン・ジョンソンは、この12カ月の間に習近平が直面してきた多くの大問題に、秦剛が深く関係することになったと指摘している。秦剛が失踪した後に王毅が外相に復帰したが、おそらく来年3月の人民代では新しい外相が公表されることになるだろうと予測し、「今の状態は中国政府に、もう少し注意深くなるための時間を与えているのではないか」とジョンソンは述べている。
BBCの記者は、中国において重要人物が人民の前から姿を消すことは、実は、必ずしも珍しいことではないと指摘している。習近平もまた2012年に権力の座に就く前に、短期間だが姿を消したことがあった。失踪した人物の調査が済んだあとになってから、空白は犯罪の取り調べのためだったと発表するか、あるいは何の説明もなくその人物が政治に復帰することもありうるという。では秦剛はどちらなのだろうか。
前出のジョンソンは、王毅の復帰は別の外相が決まるまでの単なるつなぎだろうと予測している。「王毅はこれまで外相を務めてきたこともあるが、今回は危機を乗り切る消防隊員か介護要員のようなもので、中国の外交をスムーズに継続するために、軌道に戻す役割を果たすことになる。彼は極めて有能だから、それを完璧にこなすだろう」。
中国分析センターのロリー・ダニエルズは、今回の王毅の再登用は米中関係の安定を継続するためのもので、「習近平としても、外相は世界中の外交関係者と関係をもっている人物がいいと思うようになったということではないのか。不確実性の時代には、中国も外相というポジションには、継続性と予測可能性のある人間を望むわけです」。
こうしたダニエルズの指摘には、秦剛の外相就任というのは、そうした継続性と予測可能性を損なうことになったとの含意が感じられる。つまり、秦剛は外相に就任してから、実は、新しい中国の外交、新しいアメリカとの関係を、追求するようになっていたとの判断だろう。では、どこが新しかったのか。
今回の秦剛の失脚(と呼んでももういいだろう)は、秦剛がこれまでの王毅の親露外交を転換して、アメリカとの対立を緩和する方向にもっていこうとしていたことが、今回の混乱の決定的な原因となったとの説がある。その根拠としてブリンケン米国務長官との長時間の会談があげられる。つまり、王毅はロシアとの連携を維持・強化しようとしていたが、秦剛はアメリカと接近しようとしていたので、王毅をはじめとする中国外務省が危機感を抱いたというものだ。
しかし、秦剛は駐米大使時代に見られるように、むしろ、アメリカに対決する姿勢で名をあげたことを考えると、習近平への期待に応えるべく、対米関係では強く出ることを考えていたとみるほうが自然だ。ブリンケンとの長時間の会談は対立点が多かったゆえということになる。秦剛は「戦狼外交」の先駆者として対米強硬姿勢を続けることが、習近平のおぼえをよくすると考えたのだろう。
しかし、老練な王毅からみれば、たとえ今はウクライナ戦争がらみで親露路線でも、いずれアメリカとの関係も何らかのかたちで修復しなければならない。いまことさらに対立をきわださせるのは得策ではない。実は、構図は上の解釈とはまったく逆であって、秦剛の対米強硬姿勢が、あまりにナイーブで危険なものに見えたということではないだろうか。もちろんスキャンダルも習近平への説得や世論への対策として使われたかもしれない。しかしそれはあくまでも手段のひとつにすぎなかったと思われる。
【追記 7月29日夜】英経済紙フィナンシャルタイムズ7月29日付が「王毅、中国のタフな外務相の復活」を掲載している。残念ながら秦剛の失脚について詳しく述べていないが、王毅のプロフィールとこれまでの評価を簡単にまとめている。このしたたかな外務大臣の復帰を、むしろ歓迎しているトーンが感じられる。
1953年生まれで、文化大革命のさいには農村での労働を強いられたが、中国外務省に入って、アメリカのジョージタウン大学で学び、日本語に堪能で在日大使になったというのは、日本でもよく知られている。次のくだりも記憶しておくべきだろう。
「そこそこの家柄の出身だが、結婚によってエリートの外交グループに属することになった。彼の義父は銭嘉東で、後の周恩来の支持者だった。周恩来の有名な言葉に『外交に携わる者は背広を着た人民軍である』というのがあるが、まさに王毅はこの言葉に従って行動しているといえる」
同紙によると、ピーター・マーティンの『中国の人民軍』は王毅の演説の一部を紹介している。これも周恩来に関するもので、「王毅は、周恩来は外交官の模範であると語り、外交官は人民軍と同じく、厳格に外交方針に従い命令に服すだけでなく、人民に仕える必要があると述べていた」という。これは微妙な発言で、その時の政治権力には従うが、中国の人民全体=人民共和国への長期的利益も忘れないという意味になる。
さらに、オバマ政権で外交のアドバイザーだった、ジョージタウン大学のイヴァン・メディロスによれば、「王毅は多くの顔をもっていて、地域や世界についての深刻で粘り強い議論をすることができるが、その一方で、彼はきわめて政治的動物でもある」と評していることも、王毅とこれからの中国外交を深く知るためのヒントだろう。
「北京とワシントンはいま対話を復活させようと試みている。王毅は以前よりアメリカの国家安全保障担当補佐官ジェイク・サリヴァンと対話チャンネルがある。ただし、シンクタンク、アジア社会政治研究所のダニー・ラッセルは『これはきわめて重要な対話チャンネルだが、双方とも極めて多忙で、秦剛の失脚以後、王毅は以前の2倍の忙しさだろう」と述べているという」(同紙)
周恩来で思い出すのは、彼が「不倒翁」(おきあがりこぼし)と呼ばれていたことで、毛沢東が支配した中国において、毛に忠誠を示しながら複雑な外交をしきり、死に至るまで実務としての政治と外交における地位を失わなかったことだ。もし、王毅が周恩来に何かを学んでいるとすれば、この不倒翁ぶりであって、「政治的動物」はアリストテレスの「ゾーンポリティコン」というよりは、中国の外交を背景にして自己の権力の存続をはかる、現実的政治家という意味だろう。