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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナ戦争の思想的な意味;フランシス・フクヤマの理念と世界のリアリティ

2022年2月24日は世界史にとって、決定的な転機の日だったとフランシス・フクヤマは述べている。プーチンのロシア軍がウクライナに侵攻することによって、「歴史の終わり」だった1991年以来続いてきたリベラルな世界が終わり、「プーチンの世界」が始まったからではない。フクヤマはこの戦争に、本来のリベラルな世界がよみがえる、ひとつのきっかけを見出しているからなのだ。

 

フクヤマについて、ある程度ご存知の方は、すぐに後半に飛んでもかまわない(自由と民主主義は「腐敗」した以降)。いうまでもなくフランシス・フクヤマは1989年に論文「歴史の終わり?」を書いて、冷戦の終わりは自由と民主主義が、抑圧と社会主義に勝利したことを意味すると論じた。ヘーゲル哲学研究家コジェーヴが述べていたように「歴史とは自由が実現していく過程」だとすれば、冷戦終結は自由が最終的に勝利して「歴史の終わり」を迎えたことなのだというのである。

その後、フクヤマは自由と民主主義だけでは、来るべき新しい世界を支えるには不十分だとして、ギリシャ語でいう「テューモス」(気概)が必要だと付け加え、『歴史の終わりと最後の人間』を1992年に刊行した。歴史を切り開いていくには気概が不可欠で、その気概を生み出すのは自由と民主主義なのだというわけである。

さらに、冷戦後、自由主義に基づく資本主義を発展させているのは、相互に相手を認め合う信頼を醸成する社会が必要だと主張し1995年に『信頼』を刊行する。ここでは単なる血縁や地縁だけで作り上げられた社会は、規模を拡大することができず、見ず知らずだった人間同士が、信頼を介して巨大な社会を形成できる社会のみが、巨大な資本主義を支えることができると論じて注目された。

血縁や地縁でなく広範囲にわたる信頼によって、資本主義がさらに発展するとすれば、たとえば東アジアにおいては、どの国が将来的に主導していくのだろうか。血縁を介して急激に成長している中国や韓国には限界が生まれ、欧米社会と類似している信頼による資本主義を形成した日本だけが、これからも発展できると論じたので、日本では好意的に評価された。

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フランシス・フクヤマ:冷戦終結後の思想をリードしてきた


ところが、この『信頼』を刊行している間に、日本はバブル崩壊から立ち直ることができず「失われた20年」を迎えることになり、そのいっぽうで中国が経済成長を続けたので、フクヤマの議論は信用を失ってしまった。さらには、2001年に起こったニューヨークでの同時多発テロをきっかけに、アメリカはアフガン戦争とイラク戦争を行い、とくにイラク戦争では、戦争の大儀を確認できないまま占領を行って世界的非難をあびる

そのためフクヤマは深刻な思想的危機を迎え、それまでの古典的リベラリズムの実現を至上の価値とするネオコンサバティブの立場を捨てて、2006年の『岐路に立つアメリカ』からは「リアルなウイルソン主義」への転換をはかっていく。つまり、理想とする価値観を現実に直接反映させようとするネオコンサバティブから離脱して、現実的に価値を追求する方法を歴史のなかに見出そうとしたわけである。

しばらくフクヤマは、欧米の政治思想史を沈思する時期が続く。おおざっぱに言ってしまえば、2012年の『政治の誕生』は自由と民主主義が生まれて欧米の価値観となっていく過程を考察し、2015年の『政治の腐敗』は、それが次第に「腐敗」していくことで、機能しなくなっていく過程を論じたものだった。そして、翌年にはトランプ政権の成立をそのひとつの結果として批判した。

 

自由と民主主義は「腐敗」した

 

フランシス・フクヤマが『フォーリンアフェアーズ』2021年1月18日号に寄稿した「中心まで腐れたのか?」は、フクヤマが批判してきた「自由と民主主義の腐敗」の果てが「トランプ時代」なのだと論じた。ここでは、偏った極端な議論を展開して民心をつかむ左派と右派の挟撃にあって、「アメリカの政治がトランプ時代において、いかに腐敗が加速されたか」を指摘している。

腐敗の時代には、たちどころに病気を治すと称する「インチキ特効薬」を売り歩く人間が次々と登場する。しかし、それこそ腐敗をさらに加速する劇薬なのだ。「そうしたインチキ薬は、トランプをホワイト・ハウスに送りこんだようなアメリカ国民によって服用されることになる」。その結果、「アメリカ政府はいまもパワフルなエリート集団によって占められてはいるものの、まさに彼らが自分たちの利益になるように政治をゆがめ、リベラリズム体制の正当性そのものを損なっていくのだ」。

こうした激しいアメリカ政治批判を展開していたフクヤマが、プーチンによるウクライナ侵攻を目撃して、フィナンシャル・タイムズ2022年3月4日付に寄稿したのが「リベラル的秩序におけるプーチンの戦争」なのである。「プーチンはかつてのソ連を復元しようとしている。ウクライナをロシアに併合し、1990年代からNATOに加わった東欧の国々すべてに、影響をもつ空間をつくろうとしている」。

激しくプーチンを批判して延々と論じ始めるのが、リベラリズムがこの数十年いかに危機に陥ってきたかの分析である。「リベラリズムとは17世紀に初めて明確に主張されたドクトリンだ。リベラリズムは、政治的に世界を観る傾向を低下させることによって、暴力のコントロールをやりとげようとする。つまり、リベラリズムは人びとが最も大事にしているもの、たとえば、従うべき宗教といった問題に同意しないことを認めつつ、しかし、自分とは異なるものの見方を持っている人に、寛容であることを求めるのだ」。

こうして形成されたリベラリズムは、近代において欧米が繁栄することを促した。そのピークというべき時代が20世紀にやってきたが、21世紀になると早くも腐敗し始める。それは先ほど触れたように左派と右派による、極端な議論を好む傾向によって加速される。「左派からリベラルの価値である寛容と言論の自由が批判され」、そして、「右派からは同じ宗教を信仰することと、同じ民族性を共有することが求められる」わけである。

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こうした奇妙な変化は何から起こったのだろうか。それは冷戦時代の現実を忘却することから始まったとフクヤマは指摘している。「ベルリンの壁崩壊から一世代以上の年月が過ぎてしまい、また、リベラルな世界で生活する喜びが当然のものとなったからだった」。そしてまた、リベラルは「ネオリベラル」に変容して国内だけでなく世界に格差を拡大し、まがいもののリベラル的秩序である「ワシントン・コンセンサス」となって、それ自体がリベラルな価値観を抑圧することになった。

「右派にあっては、大戦後の経済的リベラリズムが、1980年代から1990年代にかけて、しばしば言われるような『ネオリベラリズム』に変容していった。当初、リベラルたちは、市場の大切さは理解していたのだが、ミルトン・フリードマンと『シカゴ学派』の影響で、市場を崇拝するようになるいっぽう、国家については経済成長や個人の自由に敵対する、悪魔であるかのように受け止めるようになる」

こうした変容が世界に広がった状況を、フクヤマは「グローバル・コンテクスト」のなかのリベラリズムの腐敗ととらえるわけだが、そこには中国やロシアによる、明らかにリベラリズムに敵対する勢力の急拡大、あるいは1990年以前への後退を促すものとなったと見ている。したがって、2014年のロシアによるクリミア併合も(おそらくは中国のウイグル弾圧も)、グローバル・コンテクストのなかのリベラリズムの腐敗のあらわれなのだ。

そしていま、ロシアは中国の支持を得つつウクライナに侵攻した。リベラリズムの腐敗は、リベラリズの価値観とはまったく逆の世界を生み出している。ここでいま、フクヤマが何を見出しているのかといえば、非リベラリズムの全体的な支配の始まりではなく、リベラリズムの蘇生だというのは興味深い。まさにリベラリズムの腐敗が極まったところで、その本来の価値観が、この戦争においてロシアへの反対運動をきっかけに、生きかえるわけである。

「もしプーチンがこんどの戦争に失敗したとしても、リベラリズムの苦難は終わらない。中国は羽根を広げるのを待っているし、イラン、ベネズエラキューバそして西側のポピュリストたちも同様である。しかし、世界はリベラル世界の秩序とは何かを学ぶだろう。ただし、そのためには人びとがそのために戦って、相互にサポートすることを必要としている」

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さらにフクヤマは付け加えている。「ウクライナ国民は、他の国の人びと以上に、真の勇気とは何かを示してきた。そして、世界の一隅に1989年(ベルリンの壁崩壊)のさいの精神が残存していることを証明してくれている。われわれもまた、まどろみの中から覚醒していこうとしている」。

 

リアルな世界とイデアルな妄想

 

こうしたフクヤマの世界観を見せつけられて、私が何を思い出したかといえば、1990年以前の進歩主義者たちの、安っぽい弁証法だったというのは皮肉以上のものがある。フクヤマは1989年に「歴史の終わり?」を書いてのち、通俗的ヘーゲル主義が現実の前にいかに脆弱かを味わってきたはずだ。そして、イラク戦争のときにそれは決定的になったのではなかったのか。ところが、いまフクヤマが確信をもって語っているのは、弁証法によるリベラリズムの劇的なよみがえりなのである。

しかし、それは「歴史の終わり?」と同じ運命をたどるのではないだろうか。もとともフクヤマはリアル・ポリティクス論者だったサミュエル・ハンティントンに師事した。ハンティントンの出世論文は「政治的発展と政治的腐敗」で、ベトナム戦争に典型的なように、自由と民主主義の政権を支援しているつもりが、たんなる腐敗政治に加担していることを指摘し、国際政治においてはイデオロギーより統治力(ガバナビリティ)が問題だと論じた。

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サミュエル・ハンティントン:文明の衝突論で知られる


その後の著作『変革期社会の政治秩序』(1968年刊)においては、徹底して統治力に力点をおいた政治発展論を展開したので「政治発展論の極北」などと評された。こうした師に対して弟子であるフクヤマは、まったく逆の、政治的理念に力点をおく議論を展開して、レオ・シュトラウスの弟子たちが形成した(レオ・シュトラウスと弟子たちは決裂している)、「ネオコンサバティズム」の一翼を担うようになる。そのひとつの頂点が「歴史の終わり?」だったわけである。

これに対して師であるハンティントンは1993年に「文明の衝突?」を書いて、いま国際政治は何らかの理念が実現しているのではなく、価値観に基づく文明ないし文化がせめぎ合う文明の衝突が起こっているのだと指摘した。この論文と1996年の『文明の衝突と世界秩序の再編』では、7つから8つの文明が合従連衡を繰り返す世界構造を提示し、リアルな世界政治の見取り図を示した。

こうしたハンティントンの「反論」は、世界史にイデオロギーの興亡をみるフクヤマに対して、あくまでもリアルな政治構造において論じようとする立場を貫いた。そのいっぽうでは、文化ないし文明という概念を用いることによって、かつての統治力中心の議論から逸脱しているとの指摘もあった。ハンティントンは、かつては「安易に文化とか文明を国際政治で論じべきではない」としていたからである。

すでに触れたフクヤマの『歴史の終わりと最後の人間』は、師ハンティントンの政治発展論への徹底した反論であることは、この著作の注記や文献一覧を見れば明らかだった。その後の著作がかならずしも成功したとはいえなかったが、以降もフクヤマは政治イデオロギーの発展と世界政治との関係を追求したことからみて、師であるハンティントンのリアリズムからの脱却を目指していたといっても過言ではない。

いっぽう、ハンティントンのほうも、文化や文明をもち出したことについては、それまでのリアル・ポリティクスのスタンスをかなり変えたことは明らかだ。その途上では『文化が問題だ』という論文集を編んでいることからも、思想の根底において大きな変化だったことが分かる。そしてそれは、アメリカの民族構成の急激な変化が、もともとのアメリカを体質的に変えてしまうと憂慮した、2004年の『われわれとは何者か:アメリカのナショナル・アイデンティティへの挑戦』に顕著に見られたわけである。

この師弟の思想的な戦いは2008年にハンティントンが死去したことで終わるが、その後、フクヤマはこうした思想的な戦いを実りのあるものにしたかといえば、どうもそうではなかったのではないだろうか。もちろんアメリカにおいて「自由と民主主義」を疑うことは、自らのアイデンティティを疑うことにつながる。それはハンティントンの晩年の格闘を見れば分かる。しかし、ハンティントンの場合には晩年にウォルトやミアシャイマーを支持したように、リアルな世界認識という点で一貫させている。

しかし、ここまで描いてきたようにフクヤマウクライナ戦争論は、何らかの根拠をリアルな事実に求めるのではなく、イデアルな思想展開だけで論じる傾向に回帰してしまっている。たとえば、いまのウクライナ戦争がプーチンの敗北に終わったとき、それは現実において、世界金融システムを動かしている勢力の勝利、つまりは「ネオリベラルの勝利」となってしまうが、どうやらフクヤマはそのことに気がついていない。

もちろん、そのときにはウクライナ国民の抵抗と多くの流された血が、その勝利をもたらしたと称賛されるだろうし、それはかくれもない事実である。しかし、その背後で血を流すことなく、世界政治において事実上の勝利を手にするのは、フクヤマが考えているような本来の自由と民主主義ではない。理念やイデオロギーを操作することで利益を確保した、フクヤマが批判したはずの「腐敗」そのもの、ということになってしまうのである。