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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ロシア軍はなぜウクライナ軍に勝てないのか;戦略で肝心なことを忘れてしまっているから

ロシア軍は首都キーウを攻略できず、こんどはウクライナ東部に戦線を移して、新たに戦闘を繰り広げている。しかし、こちらの戦場ならばロシア軍が勝てるという保証は何もない。それどころか、キーウ攻略の失敗や黒海の旗艦モスクワが撃沈された反省が、いまの東部戦線でも生かされていないという指摘がある。


外交誌フォーリンアフェアーズ電子版4月29日付に掲載されたフレデリック・ケイガンとメイソン・クラークの「いかにして国家に侵攻しないか ロシアのウクライナ攻撃は悪い戦略の見本」は、それほど長いものではないが、キーウ攻略のみじめな失敗と、いまのウクライナ東部での奇妙な戦いぶりを分析して、ロシア軍は同じ失敗を繰り返そうとしていると指摘している。

戦略や戦術にとくに興味がなくとも、この論文の筆者たちは実に分かりやすく述べてくれているので、キーウ攻略の失敗の本質も、また、ウクライナ東部戦線の近未来も、きわめて明瞭に理解できる。それはややこしいセオリーなどというよりは、常識的な話なのだ。いずれの場合にも「勝負をするときには、資源を一点に絞って、集中的に投入する」ということを、していないということにつきる。

こまかく事態の細部を紹介したいのはやまやまなのだが、この明快さに助けられて、大枠のみ紹介することにしたい。全体の専門家による翻訳は数カ月内には現れるだろう。では、まずキーウ攻略の失敗だが、これはキーウ攻略と東部戦線、さらには南部攻略に戦力を割いてしまったことが大きいと二人は指摘している。たとえば、すでに親ロシア勢力が支配していた東部については、ウクライナの軍隊を誘い出すために刺激をするとしても、キーウ攻略にほとんどの資源を投入すべきだったというのである。

いってみれば、ロシアが「こうしたい」ということを、「全部一緒にやる」という、戦略としては最も拙劣なやりかたで、ほとんどウクライナ全土にロシア軍を展開してしまったことで、結局は肝心のキーウ攻略に失敗してしまった。こうした例は軍事史には膨大にあるわけで、これはこの論文に書いてあるわけではないが、ヒトラーソ連侵攻がまさにそうだった。ヒトラーはモスクワ攻略を目的としておきながら、途中でドイツ軍をモスクワ攻略とカスピの油田攻略に分けてしまい、結局は両方とも達成できなかった。


こうした汚辱にまみれたキーウ攻略の失敗の後に展開されているのが、いまもウクライナ東部から南部にかけての作戦だが、キーウの反省が生かされているかといえば、驚くべきことに、また同じパターンに嵌っていると二人は呆れながら指摘している。このウクライナ東部から南部での作戦では、ドンバス地方の四つの軸によって展開していると二人はいう。イジュームから南方へ、ルビンツネ周辺から西方へ、ポパスナから西方へ、ドネツクから北方へ、の四つの軸である。これに攻略したことにしたマリウポリが加わる。

これは、あたかもウクライナ内部の一点を目指しているかのように、ぐるりと周囲から固めていく作戦のようにみえる。しかし、この作戦もこれまでと同様に、かなりの高い確率で資源分散の悪い例になってしまうだろうと同論文は述べている。これも、ひとつひとつの細かな解説があるのだが、ここでは一例に絞って記しておく。ドネツクから北方に進軍して、おそらくはアウディウカまで行くのだろうが、そのためには高速道路を使うことになる。その間の50マイルから100マイルの間、ロシア軍は友軍の支援なしでウクライナ軍の攻撃にさらされることになるという。

ロシア軍が近くに展開している自国軍から、支援を受けながら作戦を展開するという、この鉄則は、ソビエト時代にはかなり守られていたらしい。そうでなければ、広大なユーラシアの戦争において、敵にあれほど恐れられることもなかっただろう。論文にはないが、有名なスターリングラードの攻防はその典型で、おびただしい若者の血を吸ったスターリングラードの市街戦はあくまで囮であり、その間、補給線が伸び切ったナチス軍(この時点でナチス軍の命脈は尽きていたのだが)の背後から、大きく迂回したソ連同盟軍が連携を取りながら、大きな輪をスターリングラードに向けて縮めていった。

ところが、最近の事件を取り上げれば、これもこの論文にはない話だが、黒海の旗艦モスクワなどは他の巡洋艦との連携なしに、ぽつねんと単独でオデーサに接近していったといわれる。他の友軍との連携関係や、背後に控えの兵を常に置いておくというのは、戦国時代を舞台にした歴史小説が好きな人はご存じだろうが、もう、戦いの常識のようなものである。本隊の勝ちに乗じてさらにとどめを刺す、本隊が危機に陥ったときには援護するのに必要なわけだ。


著者のケイガンとクラークは、それでもこのウクライナ東部での戦いで、ロシアが勝つとすれば、どんな場合かも書いている。たとえば、さっきの四つの極が円滑に進軍を遂行することで、その輪が締まっていくように相互の距離が縮まれば、相互の補強関係が成立することになる。そうすれば、キーウでの失敗を繰り返さずに済んで、ロシア軍は勝利の切っ掛けを見出すかもしれない。とはいえ、そうなることは確率的に低いと、この論文の著者たちは予想しているようだ。

「いまのところ東部での展開は、まるでキーウの失敗をそのままコピーしているようなものだ。ということは、ロシア軍はキーウ攻略失敗もソ連時代の記憶もすべてなくしており、広大なスケールで機械化された戦争の戦いかたを、忘れてしまったということになる。そして、そうであるならば、ウクライナが、たとえ武器が不十分でも、勝利を手にするチャンスをものにできることを意味している」

 

【付記】論文の筆者の一人、ケイガンという名を聞いて、ネオコン理論家のロバート・ケイガンを思い出した人もいるかもしれない。こちらのフレデリック・ケイガン氏は元ウエスト・ポイント陸軍士官学校教授で、ロバートの弟らしい。読んでみた感じでは、むしろ地道な戦略史研究家といった感じで、特にネオコンというニュアンスはないし、略歴にもそれは出てこない。兄のほうも、いまもネオコンであることは変わらないようだが、トランプ批判の急先鋒となり、また、民主党系のフォーリンアフェアーズに投稿するなど、2006年ころの『ネオコンの論理』とはちょっと変わったような気もする。まあ、ネオコンだったフランシス・フクヤマなどは、イラク戦争のさいにネオコン離脱を表明していたが、最近は自由と民主主義がウクライナを介してついに実現する、というようなことを再び言い出している時節ではある。